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2012年6月23日土曜日

コンセンサスを求める日本人

ジエットラグも治り頭もしっかりしてきました。海外では色々な新聞に目を通すようにしています。

もちろん現地の地域新聞の場合もあります。

あちらの新聞に同じ政党なのに党首の旗振りに対して、首を縦に振らない議員に対して何故そこまでコンセンサスを求めるのか、それが不思議だという論調が載っていました。

さらにその方法が日本式なのかとため息交じりの筆致でした・・・・

形式主義と言えば聞こえは良いですが、後になって禍根を残さないとする旨を良しとする精神構造は今の凋落する日本を代表している気がしてなりません。

自民党もそうだったように、民主党も同じです。そして国民も・・・劇場化したマスコミに自らの無知を委ね、自らが正しいと「キヨキココロ」を同期させるのです。

原発はいらないと声高に叫んでいる人が、今中小企業の製造業とくに電気を大量に必要にするような業種に携わっていたら、本当にそんな事が言えるのでしょうか?

以前、私はメッキ工場の社長さんとお話したことがありました。社長さんと言っても毎日、油まみれになって働いているような人です。メッキは長い間通電していないと製品にならないそうです。

それが停電したら、製品は御釈迦です。当然会社は倒産し、従業員は路頭に迷うことになります。

私は絶対に原発を今すぐ停止しろなどその人の前では言えませんでした。

物事が単純化されています。マスコミは劇場化しています。我々が正しいと思うことをするときに、その事で被害をこうむることの事も考えましょう。

原発が良いエネルギー政策とは思っていません。しかし、次の政策をきちんと策定せず、ただむやみに感情論でこの日本を導いて良いのでしょうか・・・

閑話休題

私は日本が鎖国をしたらどうなるのかしばし考えていました。江戸時代のようにです。ある米国の著者も同じように考えたようです。不均衡な貿易、空洞化する産業、それらをもし保護主義的な政策で国内に残置することか出来たらどうなるのかと・・・・答えは驚くべきものでした。結果はみなさんご想像下さい。

日本はもは一等国にはないのです。それなのに安穏に高福祉、平等を求めることがどれだけ矛盾しているのか・・・