煙も味のうち
私の家は横浜の北部で野毛はさほど近くない。それでも足を延ばしたくなる魅力的な店が多い。
横浜三塔をご存知であろうか。横浜に縁のない人のために説明すると、一つ目のキングは県庁本庁舎の事で、二つ目のクイーンは横浜税関、そして三つ目のジャックは開港記念会館の事だそうである。歩きながら上を向いて探して見るとよい。夜の方がライトアップされているので探しやすいだろう。
偉そうに言っている私もつい最近教わったばかりなのだ。この事を教えてくれたのは私の友人の弟さんである。彼は由緒ある船舶会社に勤められている根っからの正真正銘の浜っこである。私のような横山人とは月とスッポンなのである。
野毛には横浜にぎわい座という寄席や演芸を行う小規模なホールがある。この中の美味しい河豚店を教えてもらったのもこの方なのである。残念ながらその店は無くなったが、東京では信じられないような、新鮮でかつ、豪勢に厚く切った河豚を安い値段で提供していた。我が社のハラペコどもを連れて大挙して押しかけたのがきっと閉店の一員だと反省している。惜しむらく残念である。
もう一軒教えてもらったのが「若竹」である。はじめて行った時は普段変わっている店でも、さほど驚かない私も驚いた。震度云々の話ではない。少し揺れただけで倒れそうである。蜑戸よりまだひどい。窓は開け放たれ、もちろん冷房は無い。冷房はうちわである。店内は白い煙でもくもくしている。その煙を押しのけて進めばトイレがある。トイレは傾いていて酔ってもいないのに自分の平衡感覚が変になる。その壁には仙台四郎の写真があった。なるほど、ここ店主は東北出身とみた。
仙台四郎は実在した人物である。彼が困って商家に行き、いくばくかを与えた商家が繁栄した事から、商売の神様となり、東北の商店街ではこの写真や置物を見つける事が出来るが関東では珍しい。
そんな店であるが、暖簾を掛ける前に既に満席である。他人と寄り添ってただ食べる。焼きたての串をかじりつきながら、ビールで流し込む。旨い。また一本、また一本、永遠に食べられそうである。頑固でとっつきにくいと思われるかもしれないが、そんな事はない。実はここの女将のコンピューターはかなり精度のよいチップが使われている。友人のお嬢さんの経歴や年齢までしっかり記憶していた。いやはや人はみかけによらず(失礼)である。
食べ終わって外に出た。さぞ洋服に匂いがついたろうと嗅いでみるが臭くない。あれっ、一同きょとんとした。あの煙は味となって胃袋の中に収まってしまったのかもしれない。
そんなあっけにとられた私達の姿をみて、となりの黄色い店の看板が笑っていた。
さあ、もう一軒マリンタワーの近くのバーに行こう!友人が歩き始めていた。