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2014年2月28日金曜日

平和な宗教

我が家もそうではあるが大方の日本人は宗教にさほど染まってないのではあるまいか。いや、熱心な信者の方には申し訳ないが、ある国のように未だダーウィンの進化論を否定する宗教を国民が信奉する国ではないと言いたいのだ。
結婚式はキリスト教、葬儀は仏式、初詣に神社にお参りする。これが平均的日本人であると思う。彼の国に言わせれば節操もないということになってしまうがこれが平均的日本人なのだから仕方あるまい。
我が国の歴史を見れば分かる通り、八百万の神、つまり多神教国家だった。これは日本だけでなく古代ギリシャもそうであったように、土着の風習が年月によって生成されたものだ。その後、中国から仏教がもたらされた。仏教は当時の権力者によって利用され急速に拡大した。明治政府が廃仏毀釈を行うまでこの土着の宗教と仏教は併存した。
号令を発したまでは良かったもののすでに拡大してしまった仏教は国民の中に定着し、権力者の自由にはならず結局容認し、そのまま看過され今のような形を作ることになった。
いま世界は宗教的イデオロギーが経済や貧困と結びついて、あちこちで軋轢を生んでいる。キリスト教とイスラム教だけでなく、それぞれの宗教内にも反目と敵対が生じている。
一神教が悪いといっているのではないが、他を容認しない限り平穏は訪れない。そのままではハンチントンの文明の衝突そのものになってしまう。
私はそんな一神教同士の対立をこの日本が仲裁できるのではと密かに期待している。何故なら大方の日本人は多神教であり、他の選択を容認しているからだ。イスラム教もキリスト教も認められる懐の深さを持っている。
ところが最近嫌な事件が起こっている。図書館にあるアンネフランクの書籍を誰かが毀損したのだ。全くもって卑劣な行為である。自らの主張のため他人の事由を奪う情けない行為である。
もっともどこぞの国の首相は隣国が行わないでくれと嫌がっている行為を行い、まるで英雄気取りである。首相というのは国民の最大の幸福のために国民の板塀となって働くものだと石橋湛山も言っていたが、それとはかけ離れた愚挙である。
誰かがいっていた、国が手詰まりになると国民は極右と極左に走ると。