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2011年10月4日火曜日

カラカウア通り

ヨシヒコはホノルル空港に降り立った。空港のビルを出ると花の香がした。

花の香りは木々からではなく、生の花を使ったレイを売るお店からしていた。

ヨシヒコは団体用のチケットに安いホテルを付けてもらっていたので、そのホテルのシャトルで7.8名の団体客と一緒にワイキキに向かった。

空港からワイキキに向かうハイウェイはH1と呼ばれている。日本の高速道路と違ってまさにフリーウェイ無料だった。ハイウェイは朝の渋滞をしていた。

ヨシヒコの泊るホテルは海の見える高級ホテルと違ってアラワイ運河とカラカウア大通りの間にあった。部屋は山側を向いていた。マウンテンビューとはよく言ったものだが、山の前に巨大なビルが立ちふさがりうっとおしい景色だった。

ハワイのホテルはチェックインが遅く、3時過ぎにならないと部屋に入れない。

ヨシヒコは荷物をフロントに預け、Tシャツとショーツとサンダルに履き替え、数冊の本を持ってワイキキビーチに出掛けた。





ワイキキビーチは今までヨシヒコが数日過ごした西海岸のどこより、日本人が多かった。

ヨシヒコは熱海の海岸を思い浮かべていた。

真っ黒に日に焼けたヨシヒコは緑色の大きなオウムを肩に乗せ有料で記念撮影をさせる男性からも声も掛けられない。完全に現地の人とと同化していた。

ワイキキビーチの外れのその一角は初老の男性がチェスをしていた。ヨシヒコにはその勝負がどちらが有利なのかも分からなかったが、ひがなこうしてチェスをするのも悪くないなと考えていた。

ヨシヒコは椰子の木陰に座り持ってきた本を読み始めた。

しばらくすると無性にのどが渇いた、ヨシヒコは通りの向かい側にあるABCストアでバドワイザーを買って飲み始めると、ビーチから男性が近付いてきて、ここではアルコールを飲んではいけないと注意された。看板を見てみるとアルコールの持ちこみや犬の連れ込みも禁止と書いてあった。

日本ではどのビーチでもそんなことはなく、ハワイは違うんだこのとき初めて知った。

2冊目を読み終えた頃、ヨシヒコの近くで椰子の根本あたりをおろおろしながら何か探しものをしている少女が目にはいった。

少女はアロハと書かれた紺色のショートパンツにピンクのタンクトップをしていた。ヨシヒコはその格好を見て日本からの観光客に間違いがないと思いこんだ。

少女の手足はすらりと長くよく褐色に日焼けしていたが、ヨシヒコは自分と違い相当長くハワイに滞在しているのだろうと思った。

少女はペンダントヘッドを探していた。友人にもらった大切なビーチサンダルの純銀製ヘッドだった。

なんでもそのサンダルは好運を呼ぶお守りなのだとか。

ヨシヒコも一緒になって探した。暫くすると砂と芝生の隙間にそのペンダントヘッドは潜り込むように隠れていた。

少女の名前はカオリと言った。少女はペンダントヘッドを探してくれたお礼をヨシヒコにづけると、自分は今ハワイ大学で海洋生物学の勉強をしていて、ヨシヒコより1つしたの年齢だと伝えた。

少女とばかり思っていたのにヨシヒコは自分と変わらないことに少し驚いた。

カオリはヨシヒコは自分よりずっと年上のそれも現地のローカルの人だと思っていたようだ。

ヨシヒコはニューヨークの話、そして友達と西海岸でサーフィンをしたこと、そして一度も訪れた事のないこのハワイに経由便で来た事などを話した。

ヨシヒコにとってハワイはあと一日しかなかった。カオリは自分が車を持っているのでもしよかったら明日休みなので案内をしてくれると申し出た。

足の無い、金の無いヨシヒコにはとても嬉しい申し出だった。

翌日、カオリの運転するエンジ色のフォードのSUVはヨシヒコのホテルの前にすべるように停車した。

運転席でカオリが手を振っている。昨日の洋服とは違い、黒のタンクトップに白のスキニーのパンツだった。おおぶりのサングラスもしていた。大人っぽかった。

ヨシヒコは飛び乗るようにSUVの助手席にのぼり、シートベルトをカチットはめた。

車はマッカリーストリートを北上し、H1に乗った。車はそのままH1を西進した。

オアフ島のハイウェイは西行きならWEST、東行きならEASTと書いてある。WESTはさらにホノルル空港や西側のマカハに行く道に分かれる。


二人を乗せたフォードは40分、50分走り続けて、高速道路を下りた。

あたりは赤茶色の土が剥き出しになっていて。背の低い植物が植えられていた。ヨシヒコはその植物がバナナであることを初めて知った。



長い下り坂から遠くに海が見える。道路脇の看板には虹が描かれていて、ノースショアにようこそと書かれていた。ヨシヒコが夢にまで見たノースショアが目の前に広がっていた。

夏の間は波が無く、素潜りを楽しむ家族連れでにぎわうここも、一たび冬になれば世界でも有数の大波が襲う。日本でよほど腕に自慢のある人でも、ここでは子供のように扱われ、まっとうなラインナップには並ばせてもらえない特別な場所なのだ。

ハレイワタウンに行く道とそのまま迂回してノースのさきに行く道に分かれる。カオリはハレイワタウンを通る道を選択した。

カオリは街の入り口にあるテントと自動車で海老を売る屋台に車を止めた。



ここの海老は雑誌やコマーシャルにも良く登場するイタリア系のその名前の店より、安くておいしいと説明してくれた。

カオリの薦めるまま注文した料理は、単純にスティームしたたげの海老にカラシと醤油で味付けされたもので、これにご飯かついたそのプレートランチは抜群にうまかった。

食事を済ませ、ハレイワを抜けるまでワイキキとはまったく表情の異なる質素な木造の建物に雑貨店やサーフショップが入っていた。

Mというグローサリーストアの前には日本人の女の子が名物のレインボーシェイブアイスを注文していた。ヨシヒコ達は通り過ぎるだけだった。

ワイメアベイはまだ眠っていた。ここが覚醒するのはう1.2カ月先のことだろう。

ノースショアのビーチには一つ一つ名前が付けられている。

ワイメアの手前から、チャンズリーフ、ワイメア、オフザウォール、パイプライン、エフカイ、ロッキーポイント、サンセットビーチ、ベルジーランドだ。


ヨシヒコは藤沢の映画館で観た、ジェリーロペスがチューブの中をリラックスしている映像が大好きだった。当時、パイプラインマスターと言われたジェリーのことだから、あの場所はパイプラインに間違いないと思いこんでいた、実際にはGランドのチューブだった。

パイプラインは何が危険かと言うと、海底の岩や珊瑚だ。シャローリーフは速度を増しチューブを作る。このときほんの一瞬の迷いが生死を分ける。

ヨシヒコはいつかハワイで波乗りをしたいと思った。ノースショアなんて無理だけどワイキキのポイントなら乗れそうだと思ったからだ。しかし、夏のアラモアナはときよりスーパーセッションが開かれる。そういうときには素人はお呼びでないことを後で知るようになる。この時はまだ知らなかった。

車はノースショアを抜けて、タートルベイに着いた、ホノルルとはちょうど正反対の場所だ。

ここは風が強く椰子の木は大きく弓なりに反っていた。

ここを過ぎると海老の養殖で有名なカフクを過ぎ峻険な山並みでゆうめいなコウラオルア山脈が見える。牧場があり、ハワイとは思えない光景が広がるこのあたりは私有地になっている。だから、多くの映画やドラマの撮影に使われるとカオリが説明してくれた。

車は穏やかな入り江の海岸線を走り、ワイキキに戻っていった。本当ならこのパリハイウェイを南下すれば早いのだけど、カオリはどうしても見てほしいものがあるといって。

カイルアの街に車を進めた。ここカイルアには軍港がある。日本人の姿はほとんど見られない。

カイルアの街出て、海沿いを走るとチャイナマンズハットと呼ばれる海に浮かんだ島影が目に入ってきた。

車は目的のシーライフパークに到着した。

アシカやイルカのショーが繰り広げられていて、カオリとヨシヒコも観光客に混ざってショーを楽しんだ。カオリは今大学で、ここにもいるハワイアンモンクシールというアザラシの研究をしているといった。

ハワイアンモンクシールは暖かい海にいる珍しいアザラシだ。今ではその数が激減して保護の対象になっている。

カオリはそうしたアザラシの生態を研究している。近年アザラシが消化できないプラスチックの容器やナイロン製の漁網を詰まらせて死んだケースが多く見られると言う。人間の勝手な行動が他の生物に影響を与えているとカオリは憤慨していた。

あざらしは短期間で大きくなる。その理由はアザラシのミルクが栄養価が高く、成長を促進するらしい。カオリ達はこの成分を分析して、他の動物や薬に使えないか研究をしていた。

でもとても飲めたものではないカオリは舌を出して笑った。

途中のガソリンスタンドでヨシヒコは今日のお礼といい、ガソリンを10ガロン入れた。もちろんキャッシュで払った。

車はワイキキに戻ってきた。お昼に食べた海老もすっかり消化し、ヨシヒコもカオリも空腹を覚えてきた。

ヨシヒコはカオリに豪勢なものは食べられなけど何か食事ほご馳走させてほしいと申し出た。

カオリは子供のような顔でチャーハンに味噌ラーメンそれに餃子が食べたいと屈託なく答えた。

二人は近くの「えぞ菊」というラーメン店に入った。手にはバドライトの缶を2つ持って。

ヨシヒコは成田へ戻る飛行機の中でカオリの住所が書かれていた紙を眺めていた。日本に戻ったら連絡する約束になっていた。カオリは来年の1月には戻らなければならないといっていた。

ヨシヒコは自分の使うサーフワックスもアザラシは口にしているのかなと不安に思った。ヨシヒコの見たワイキキのビーチはサンオイルとサーフワックスの混ざったような香りが強烈だったからだ。

カオリは石鹸の匂いがした。

賞賛できない日本人 自分ことばかり言う日本人

我が社のT女史が珍しく怒っていました。なんでも本来予備用として大家さんが持っている鍵を何故か紛失しているのに不動産会社の担当者は言い逃ればかりして、はたまた前任者の責任にするなどひどい対応だと憤然としていました。大家さんは良い方で結局鍵の交換に応じたとのことですが、こうした独りよがりで共感力の無い人は男性だけによりません。

もっとも契約の時に鍵の交換の費用は借主負担と言う特約そのものが、借地借家法の著しい権利の汎用にあたる恐れがあることを貸主さんも分かっているのでしょうか・・・心配です。

ところで昨日、こんな会話をしていました。アラフォーと思しき女性が何故自分が得意先の会社から認められないのか、相手先の悪口を言い、相手の担当者の個人的攻撃まで口にしていました。

それを聞いている女性もアラフォーらしく、結局自分たちに降りかかるこうした事は前世の霊のせいだと回りも憚らずに言ってのけていました。

私は笑いをこらえて、自分がそんなに可愛いのか不思議でなりませんでした。自分が、自分がといううちに周りは離れて行きます。そうした人に限って相手をけなし、尊敬の念を持ちえません。

結局それは自分に唾する行為なのです。

残念ながら賞賛できない日本人とこうした自分が、自分がという日本人には共通項があります。

見えてないのです・・・・世の中や社会のシステムがどうなっているのか・・・全く見えていないのです・・・

残念な人達です・・・

L.A オレンジカウンティ 

ニューヨークで叔母に頼まれた親戚の見舞いに名代で出席したヨシヒコはすでにニューヨークを離れていた。

叔母は心臓の病気に長年苦しめられ、ニューヨークまでの長旅は危険だと主治医に言われたので子供のいない叔母はヨシヒコに頼むことにしたのだ。

親戚は叔母と同郷の山形の出身であったが、ニューヨークで暮らし始めて30年が過ぎようとしていた。そんな親戚の容体も叔母同様に芳しくはなかった。

数回の手術を繰り返していたが、体力的には限界に来ていた。

その親戚の家はニュージャージにあった。ニューヨークから地下鉄に乗って40分くらいの閑静な住宅地にあった。家の前には春楡の大木が秋の日に輝いていた。

アメリカはもとより、日本からも多くの知人や友人が駆けつけていた。人々は代わる代わる昔の話を懐かしみ、遠い目で過去の様子を探っていた。

本当はもう少しNYに滞在する予定だったが、その見舞いを済ますとなんだかはやくこの地を遠ざかりたい衝動にかられた。

ヨシヒコは大陸の反対側に住んでいる友人のところに向かっていた。飛行機はラガーディア空港から広大なアメリカ大陸の腹の部分を通過しLAに飛び立っていた。

ヨシヒコは思った以上の時間がかかる事にアメリカの国土の広さを改めて感じていた。

ロサンゼルス空港のことをLAXという。ヨシヒコは少し古びた妙に未来的な構築物を見て、以前見た「未来世紀ブラジル」という映画のことを思い出していた。

友人は大学を休学してロサンゼルスに滞在している。正式にはロサンゼルスではなくオレンジカウンティつまりオレンジ郡の田舎町に住んでいる。

彼はヨシヒコとは大学は違ったが、湘南で波乗りをしている内に友達になり、ヨシヒコが一番最初に買ったデーン・ケアロハモデルのT&Cのボードを譲り受けていた。

彼は今サーフィンをする傍ら、ガーデナーの仕事をしている。むろん正式なビジネスビザではない。

しかし、ガーデナーとは聞こえがいいが、ようするに人がやらないような肉体労働のことだった。

不法滞在の移民もこのガーデナーには多く、英語が通じないこともままあった。

友達はそのガーデナーの会社のロゴの入ったピックアップトラックに乗ってきた。親方に今日のことを話し貸してもらったと言っていた。会社の名前はオレンジガーデン&COという英国式のものだった。

トラックは渋滞を抜けると田園風景の広がる地域を走っていた。彼の住む所はサンクレメンテといい、治安は比較的良い場所だったが、同僚と二人で間借りしている部屋は相当古く、シャワーはわずかに水が出る程度だった。

ヨシヒコは日本から持ってきたお土産を同僚に渡し、数日間世話になることの礼をいった。

幸いなことにこの同僚はメキシコ系なれど英語が話せ、サーフィンもすると言っていた。

サンクレメンテのビーチは殺風景だった。少し北のラグナのような高級感も、ハイティントンのような活気もなく、少しさびれた感じのするビーチだったが、波はショルダーのはった良いうねりが入っていた。ビーチと道路を隔てる芝生の周りには黄色い花が咲いていた。

翌日、ヨシヒコのために休みをとった友人と日が暮れるまで、サーフィンをした。

友人はフリーマーケットで仕入れた9フィートのロングボードとアイパのツインフィンのショートボード、そしてヨシヒコから買ったT&Cのボードを持っていた。

ヨシヒコは暫くぶりに元自分のボードに乗った。友人はロングボードでレギュラーの形の良い波をグライドして楽しんでいる。

オフショアの風がグラーシーな水面を作り、その飛沫が風に舞い、太陽がきらきら輝いていた。

一日中、セッションを楽しんだ二人はビーチの外れにあるハンバーガースタンドに立ち寄った。

大きさは日本のマクドナルドの3倍はあるような大きなバンズに3センチもあるような肉厚のパテとピクルスのみだ。それをバドワイザーの瓶をラッパ飲みしながら2つづつ食べた。1つ4ドル、計8ドルの夕食だった。今回の中で一番美味しい夕食だったもしれない・・・ヨシヒコは満足していた。

2日後ヨシヒコは大韓航空のカウンターの前に居た。空席待ちの名前を呼ばれるのを待っていた。

格安の大韓航空は途中、ホノルルに経由する。ヨシヒコは折角だからせめて一日でもまだ一度も訪れた事のないハワイに寄ってみたかったのだ。

飛行機は急上昇して、ヨシヒコの乗っていたエコノミークラス最後尾のあたりには車輪を格納する音がギィギィと伝わってきた。飛行機はホノルルを目指していた。





ペニンシュラNY

Sパパはもと宿屋の親父であります(笑)そのご主人がNYでお薦めなのがペニンシュラNYだとのことでした。



偶然、HPのガシェットに同ホテルの広告が掲載されていました。

なるほどこれぞNYですね。確かに通常の部屋はそう広くないものの、そこから見える眺めはNYそのものです。屋上のテラスにあるサラン・ド・ニンというラウンジも夕刻には素敵な場所になることでしょう。

前回はちょうど911の年で、予約していたフォーシーズンズをやむなくキャンセルしたのでした。

室料は・・・・890ドル???こう考えると日本のホテルは安いものです。

筋肉痛のお話

我が社のスタッフのT氏はフットサルで脚の靭帯を損傷してから、また今度は階段を上る時に同じ所を痛めてしまいました。

私も先日、脚が張ってこれ以上無理をすると同様なことがおこりそうだったので止めましたが、そもそも筋肉痛とはどのようなメカニズムで起こるのか勉強してみました。

よく歳を取ると遅れて筋肉痛が起こるといわれていますが、正式にその原因はまだ分かっていません。ただし、昔のように筋肉痛は乳酸がたまりそれが痛みの原因とされているのは、こうした遅延性筋肉痛の原因ではないとするのが今では一般的です。

では何故痛みがあるのか・単純に言えばそれ以上無理をさせないためです。筋肉が運動により損傷し、それが回復する過程なのです。

靭帯はそれ自体繊維質のような柔軟なたんぱく質で出来ています。いわば筋肉の中にある柔らかな鉄筋のようなものです。これが筋肉や骨を守っているのです。

鎖骨と肩骨の靭帯は落車でいとも簡単に切れました。しかし、そのまま固定すれば自然にくっついて治ります。ドクターに左官職人とプロのピッチャーじゃなければこのままと言われたものです。

知らず知らずのうちに筋肉を酷使するとそのリカバーに時間が掛るのです。

ライトウェイトのお陰で調子に乗りすぎて飛ばし過ぎた帰りに大腿四頭筋が痙攣し、それを無理して回し続けるとこんどはピキッと音がしてきます。おそらく靭帯に負担が掛ったのでしょう。

つまり筋肉痛になりそうになったらよく休め、筋肉をもみほぐして十分休養を与えてあげることが必要のようです。

土曜日、調子に乗りすぎて波に乗り過ぎました。腰がパンパンに張っています。今日はゴッドハンドを受けてきます・・・・火曜日は定休日でした。残念!!

ノーベル医学・生理学賞

マスコミではIPS細胞の山中教授の受賞が為されなかったことが報道されていますが、帰ってきた息子に言わせると大阪大学の審良(あきら)静男教授の方がもっと残念だったというのです。

山中教授の発見は十分受賞するに値し、いつか絶対に受賞するけどまだ年齢が若いと言うのです。

審良教授は今年の3月カナダでガードナー賞を今回ノーベル賞を受賞したジュール・ホフマン教授とともに受賞し、連続で世界で認められた科学者にランクインしている人でもあるのです。

何故選ばれなかったのか、それはほんの些細なことです。切磋琢磨しているこの科学者達にはきっと理解し合えるのでしょうが、ノーベル賞は在名の人に与えられるのが決まりです。授賞発表後、死去が確認された3人目の受賞はやはり委員会の失策です。

詳しいことは分かりませんが、彼らの研究の成果で免疫、とくに自然免疫と獲得免疫の関係、樹上細胞などその基序が分かり始めてきているらしいのです。

難病やそれに苦しむ人に速く朗報がもたらされることを願います。

文学賞はなんとかあの人に取ってほしいものですがどうでしょう・・6日ですね