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2010年2月17日水曜日

ЯПОНИЯ  キリル文字

なんて書いてあるか分かりますか?答えは「日本」です。

この文字正式に言うと「キリル文字」といいます。

以下ウィキペディアによるキリル文字の説明です。

キリル文字(露: Кириллица、英: Cyrillic alphabet、キリール文字とも)は、主にスラヴ諸語を表記するのに用いられる表音文字の体系の一種である。伝統的には、正教会の宣教師キュリロスとメトディオスの兄弟がスラヴ人に布教するためにギリシャ文字を元に考案されたとされるが、彼らが実際に考案した文字はグラゴル文字であったらしい。しかし、グラゴル文字はすぐに廃れたため、キリル文字が広く用いられるようになり、キュリロスが作った文字であるという意味からキリル文字と呼ばれるようになった。日本等では特にロシア語の文字として知られ、ロシア語で使う 33 文字(大文字小文字を同一視して)は、ロシア文字とも呼ばれる。しかし、キリル文字の総称としてロシア文字と呼ぶのは、起源や使用範囲から見て問題がある。また、誤って「キール文字」とされることが稀にある。英語名の「シリル文字」もごく稀に使われる。
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同じくギリシア文字を元に作られたラテン文字とは似た形の文字が多いが、形が似ていても音価が対応関係にない、あるいは音価が対応していても形が対応関係に無い場合も多いので注意を要する。例えばラテン文字のR([r])と似ているキリル文字としてЯ([ja])があるが、前者はギリシア文字のΡから、後者は合字のІАから派生した文字であり、発音も起源も全く関連が無い。また、例えば [v] の音価に相当する文字は、ラテン文字ではギリシア文字の Υ ([u]) から派生した V だが、キリル文字では Β([b]、現代ギリシア語では[v])から派生した В である。



キリル文字がブルガリアが原初だとは知りませんでした。ロシアのどこかの街だとばかり思っていたら、首都のソフイアでした。勉強不足も甚だしいですね。

いや入力が出来るようになったので嬉しくて書き添えました。

Vancouver Olympic Game 思うこと「ユニフォーム」

必死に仕事をしているスタッフをしり目に男子500メートルの決勝をネットTVで見ている私ですが(みんなにはごめなんなさい)

昨日の長島選手、加藤選手の銀、銅のメダルには感動しましたし、他にも頑張っている選手を見ているとスポーツの世界の大変さがよくわかります。皆頑張っています。

しかし、あくまで、あくまで個人的にですが、日本のユニフォーム何か違う感じがしません?確かにサプライヤーが数社入っているのでそれぞれの協会や企業の思惑もあるのでしょうが、何か一つ統一感に欠けるというか、やりすぎているというか、要はかっこよく見えないのです。

そこへいくと、スウェーデンの選手は一目見てスウェーデンとわかりますし、ノルウェイ、デンマーク、ドイツもそうです。アメリカや開催国カナダは強いし、露出も多いので必然的にあのユニフォームはアメリカ、カナダだと見るものが理解しているからいいのですが、日本はどうなんでしょう。

競技全体を通してジャパンイメージが統一していない感が歪めないのです。

女子のモーグルだって彼女たちが来ているからまだかっこよく見えますが、ゲレンデにいたら普通のダサいボーダーにしか見えませんよ。ルーズなウェアは仕方ないにしても(スノボーの特徴?)もう少しなんとかならなかったのかと思うわけです。まあシジイが何を言っているのだとの向きもおありかと思いますが、因みに私の周りでは老いも若きも皆が同じようなことを言っています。

アメリカの大学   IVY LEAGUE

妻に「アイビーリーグいくつ言えるかな?」と質問するととんでもない答えが返ってきたのでそのことは秘しておきます。

答えは8校です。「ハーバード」「プリンストン」「イェール」「コロンビア」「コーネル」「ブラウン」「ペンシルバニア」「ダートマス」です。いずれも超難関で、授業料も目玉が飛び出る位高いようです。文系学部では特に群を抜いています。

これらの大学はまさに名門中の名門と呼ばれる大学ですが、理系の研究セクションでは、これらの大学以外にも目を見張る研究を進めている大学があります。もちろん研究の内容により得意とする分野は分かれるのでしょうが、例えば「ジョンス・ホプキンス」「デューク」「MIT」「CALTEC」「タフツ」などがあげられます。そうです日本のように私立・国立・公立という枠組みの中で、アメリカらしいのは国立がないことです。いまさらかもしれませんがお国柄でしょうか・・・・・・・・・・・・・

デフレ経済の先にあるもの

デフレ=低価格  これは本当でしょうか?

巷には「デフレ経済こそ日本の成長」とか「デフレは継続する」といった極端な肯定論と否定論ばかりが平積みされています。

私には「山を見て木を見ず」のような気がします。

そもそもGEやシアーズなどの低価格戦略はアメリカ型大量消費社会に下支えされている、いわば20世紀的消費社会の残滓のようなものです。

バブル崩壊後、日本の金融機関は自らの理論で統合を繰り返し、店舗数は激減し、リテールとは程遠いものになってしまいました。いわば川上の論理です。

前出していますが、ネット社会により個の情報が共有化され、情報の不等式が等式化するにつれ、物そのものへの興味より、「その物に付随するサービス」が求められているのではないでしょうか?
そうですそれこそが川下の理論ではないでしょうか。

某建築会社が素晴らしい建物を建築してくれたとします。しかし、最後に顧客の心を無視するような行動をとったならばこの関係は崩壊します。顧客リテラシーを忘れてはならないのです。