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2012年9月28日金曜日

団塊の世代とその後

娘の御主人は地方公務員である。30年前の私だったら何故と思ったかもしれない。その頃の日本はこれからもずっと良くなると戦後の成長神話をし信じ続け、大きな仕事こそ男の本懐とばかりに今日の日本の姿など想像だにしなかったから。

友人のFBにとある鼎談の話が載っていた。3人とも開成から東大に進学した男性である。一人は年収3億の外資系トレーダー、六本木に住み贅沢な暮しをしている。もう一人は地方公務員、東大出の少ない中、仕事よりも家庭の安定を望んでいる。そして3人目は30歳で司法試験に合格したが年収はまだ300万円の居弁である。それぞれが自分の人生は間違っていないと話す・・・

これを読んでいて、確かに幸せのかたちが多様化したことがこうした事実を作り上げた要因だと思われるし、変化した世の中に適応していくためにそれはそれで仕方のないことだとも思う反面、戦後の日本の教育は個人主義、自由主義を歌うばかりに共同体としての繋がりを逸してしまっているような気がしてならなかった。

この歳にして想うのは、家族とて永遠の集合体ではない。夫婦とて同じだ。全ての人が自分と同じ価値観をもつなどあり得ない、しかしだからといってそれは関係ないとばかりに個人主義に走るのは折角の人生を無駄にしているようではありまいか。

スタッフによくいうのは、仕事も家庭も楽しめる方が良い、嫌だと思ってやる仕事と楽しいと思ってやる仕事では10年後にものすごい差がつくと・・・これは経験から・・・

私が今付き合っている友人の多くはそうした仕事も家庭も、友達もみんな大切と思いながら人生を謳歌している。

人間誰しも偉くなりたい、お金持ちになりたいと心の底では思っている。思っている事が悪いわけじゃない。ただ、それだけしか思えないのは寂しいのである。それだけでは結局虚しさしか残らない。

大切なのは今を楽しむ事だ。資本主義は労働からの解放が大命題だなどとその3人はほざいていたが、それは頭の大きなボンクラが考えることだ。

例えば私が3000円の対価を支払って車を洗ってもらう。これは労働を対価で買い取った事だ。

ではどうであろう、私が車を洗車するのは私が3000円の労働をしたというのであろうか。

とんでもない、私は3000円など要らない、この労働を私は楽しんでいるのだ。

自分のポケットが少ない人ほどこうした考え方をする。ポケットの多さは世の中の楽しみ方にあると思う。

蟻がいいとか、キリギリスがいいとか、そんな簡単な事ではないのだ。結局人生についてあれこれ考えるなら「キンチョールでも買っとけ」のとおり、最後に目をつぶる時に「俺の人生・・総じて楽しかったな」と思えるかどうかである。

ネイティブインディアンの格言にあるように「人は笑顔に囲まれて生を受け、涙に囲まれて生を終える」それが最高の人生というものなのである。

2012年9月27日木曜日

我田引水

昨日の自民党総裁選挙で「もう辞めます」の人が再度総裁になりましね。いやー驚きました。前総裁もそうですが、党員及び地方組織も含めてこの党の人達は国民の気持と言うもを全く理解していないのですな・・ここまで民意が読みとれないとなると選挙で勝つどころか、壊党の恐れすらありますよ。

私の注目していた大阪の人もやはり時期早尚、外交や防衛問題では素人の発言を繰り返し、国民から期待外れの冷めた目で見られ始めています。

こうなると人気の無かった政府与党は結果的に他がないからという排除の選択で勝ってしまうかもしれません。世の中、どうなるのか皆目見当が付きません。

こんな結果を予想してか青年議員代表の小泉氏は出馬せず、大敗の将でない石破氏を支持していました。彼は風が読めるのかも知りませんね。

私がニュースを見ていて驚いたのは一国の宰相を経験した総裁は集団的自衛権の行使をよく口にすることです。彼は集団的自衛権について何の見識も持っていないのでしょうか。

集団的自衛権というのは冷戦構造の頃、NATOやコメコンに代表される諸国がアメリカやソ連といった超大国の傘のうちで守ってもらうことだと認識しています。

だから他国から攻められたら助けて下さいとお願いをするのであって、間違ってもアメリカが攻撃されたら日本の自衛隊がアメリカ本土までいき戦うなんて事は想像していないはずです。

良くも悪くも敗戦国日本は日米安保という傘の中で守られてきたのであって、その事をなしには現状では何の防衛も出来ないのです。

もちろん日本が憲法を変え、自衛権を主張し、石破氏がいうように自国民の命と財産を守るために海兵隊を組織することも可能でしょう。ただ、やみくもに場当たり的改憲主張では困るのです。この国の未来のために大きな絵図を描かなければこの国は火の落ちる国となってしまいます。

チャイナリスクについて数年前色々と考えた事がありました。直接の動機は大手ビールメーカーの中国進出と撤退についての一冊の本からでした。

当時、上海駐在の友人にその事を尋ねたら、彼もそのリスクについては十分承知していました。

中国という国を理解するにはまず中国共産党について理解しなければなりません。最近読んだ本にこの組織の特殊性について書かれていたものがありました。この組織は権力の二重構造とはまた違う、入れ子のようなものだと書かれていました。

つまり、人民と人民軍と共産党がそれぞれ入れ子になって存在しているのです。だから、ある部分だけを見ると人民軍的思想であり、また別の部分は党の思想なのです。

マスコミで流される反日の映像を見るたびに、これも政府の仕組んだ政策なのかと本当に末恐ろしくなります。まさにそこに存在しない自分が体験したかのように感情の澱をつくり、そしてどんどん積もっていく、恐ろしいことです。

コストカットの名のもとに海外に進出していった企業が痛い目に会っているのは仕方ないでしょう。だってそこには自社の製品を少しでも中国市場で売りたいと言う魂胆が見え隠れしているのですから。

しかし、前述したそうした企業に従事しない国民の感情の澱が、こらえ切れなくなり大きく舵をとったら益々この国は相手の思うつぼになってしまうのです。

すでにあの国はフィリピンの領土を6つも占領しました。まさに侵略です。しかし、マスコミも国連もその事を口にしません。

世界の警察に盆暮れの送りものが届いているからかは分かりませんが、もはや警察は何も言えぬ体となってしまったようです。

2012年9月26日水曜日

カーグラフィック#28 G63 AMG

このところ欲しいと思う車もなく、挙句に今日グーグルから5年後にハンドルやアクセル、ブレーキを使わない車を作るとニュースを聞いたところに、最新型のゲレンデが来たとの連絡を受け、試乗の運びとなりました。私の琴線を知り尽くしたディーラーのナイスリコメンド!!

そんな浮気心を察してか、我が白い貴婦人はおへそを斜めにしたようで、ディーラーに着く直前にESPとBASの警告灯がつきました。

試乗の間に調べてもらうことにして、いざ試乗です。

まずはスタイリング、大きく開いたディフューザーは結構決まっています。これはこれで良いと思います。グリルもシンプルながら力強く、正面からの姿は良いですね。ただし、ボコッと出っ張った補助ミラーはスタイル台無しです。


なんでも横の凹凸の多いゲレンデはサイドカメラをつけても死角が出来てしまうようです。

室内は最新型のメルセデスの乗用車と等しくなりました。まず気づいたのはアクセルが手前になり乗用車に近くなりました。





ブレーキにホールド機能が付いたので、坂道は楽になりましたが、私には不要です。

エンジンは以前のスーパーチャージャーからターボに変更され、扱いやすくなっています。

それでもドロドロとしたV8のエンジン音とターボがただ物でないことを証明しています。

あれ以前サイド2本だしのマフラーが1本??なんと後部座席に乗る際にマフラーでやけどをしたので1本は下を向いているとのこと・・・驚きました・・・・

ハンドリングははっきりいって素晴らしくなりました。乗用車とは行きませんが、これなら都心でも扱いやす舵角です。

さらにサスペンション、ゲレンデはラダーなのでエアサスは付きません。リジットなのにここまでフラットに持ってきたのはAMGの経験知のなせる技でしょう。

省エネのためアイドリングストップが付いているのはまだしも、この車にもミリ波レーダーが搭載されています。試しに70kmに設定ししてみると、アクセルもブレーキも踏まなくても、車が勝手に前の車についていきます。まさにグーグルが言っていた車のようです。さらに死角に車が来ていてレーンチェンジしようとすると自動的にハンドルを抑制します。もはやブレードランナーの世界です(古いか)

インテリアも選択肢が増え、赤のレザーも中々良いと担当者のSさんが言っていました。

マットからーは実際手にしてみるとサメ肌のようだと言っていました。そして手垢(脂が付くと)が目立つのが難点とも・・なるほどそうかもしれません。

個人的にはここまでパワーは要りません。また、V8ターボの難点である走行距離が延びると油漏れの心配もありますので、550で十分かと思いますが、ホイールがかっこ悪いのと、色が選べないなど考えると微妙でもあります。

白い貴婦人はどうやらコンピューターの故障らしく、少し長く入庫しないと治らないらしいです。

月末に入庫する約束をして、東名高速に乗ると・・・中々良いじゃありませんか、この車、確かにG63 AMGは良いけれど、これだって捨てたもんじゃありません。

トルクは低速からあるし、ハンドリングも秀逸です。まあ、宝くじがあたれば1800万円の買い物も考えなくもないですが、まだまだこの白い貴婦人で十分と思える今日でありました。

反対側のBMWによってみると担当者M澤さんは今日はお休みとの事、きっとゴルフにでも行っているのでしょう・・・残念、折角M5,M6の北米でのトラブルの話を聞こうと思ったのに・・・・

2012年9月20日木曜日

昔の話

政治と宗教の話は人前でするなという家訓のため(家訓なんて嘘です)この手の話はあまりしないのですが、昔の話として聞いて下さい。

私が大学に入学した1977年は学生運動は下火になり、学内にもそれらしきプラカードも見かけなくなっていた頃だった。都内の一部の大学では多少見られたものの全体としてはすでに風化する一歩手前だった。

そもそもニュースで毎日のように流れる学生運動を見ていて、私が直感的に思っていたのは、何故彼らは学生を続けているのだろうという素朴な疑問だった。そして、彼らの行動の先にある理想が全く見えなかったのだ。

少年の私には何か親に甘え駄々をこねている分からず屋の子供に映っていた。

私の大学にもそんな余波から当時の学生運動の中心でもあった東大から多くの教授が疎開しいた。

それから30数年、学生運動こそ無くなったが、世の中の多くの反対運動(反原発、基地、などなど)の多くはこの学生運動同様、その先にあるものが全く見えないのだ。

もちろん、原発が良いなんて言っていない。ただ、こうした反対運動では国民の多くは私同様に反対したけどどうするのという疑問を突き付けられ、下火になり結局は実現する事は出来ないと思う。

ある防衛庁の幹部経験者に聞いた話であるが、そもそも墜落しない飛行機なんてないのだそうだ。
だから、防衛庁はその事を見越して、減損分を上乗せて調達すると言っていた。

オスプレイがどのくらい危険なのかは分からないが、こうした一連と同じではあるまいか。

その人は日本のマスコミは世界の事を全く話題にしないと嘆いていた。芸能人のゴシップや目に飛び込みやすい話題ばかり流して、全く世界の事を話題にしないと。

その人から聞いた話であるが、某国の海洋政策(軍事政策)はその時に既に決まっていて。今話題らなっている尖閣ばかりでなく、太平洋を大軍事基地にすべく覇権を狙っていると。

日本から遠いモルディブの日本人が作ったカツオブシ工場の跡地に中国の軍港があることは日本人の何パーセントが知っているというのだろう。

沖縄の人に聞いたことがある。本当に基地は要らないのかと。するとその人は小声で「大きな声では言えないが、無くなってしまっては困る」とまた「反対しているのは地元の人じゃないね、みんな本土人よ。地元の人は一部じゃないかな・・」

断っておきますが私は原発推進でも基地容認でもありません。こうした話題にならない事実も重ね合わせて、大きな設計図を持ちながら物事の判断をしなければならないんじゃないですかというだけ。

そうでなければ、子供が親にしがみ付きながらギャーギャーわめいているのと何も変わらない訳でだから。

閑話休題

最近のメルセデスに乗って、これじゃメルセデスは売れないなと感じたと同時に、これはもう日本人を相手にしてないということなんじゃないかと思えた。こっちが乗らないじゃなくて、あっちが相手にしていないのじゃないか・・・これって日本の自転車産業や家電産業が衰退していった事実と同じ航跡をたどっているような気がした・・・憂国の念がふつふつと湧いてきた・・・・

2012年9月19日水曜日

借りた目 借りた耳

私達はともすると「借りた目」「借りた耳」で物事を語ってしまう事が多い。

糸井さんも書いておられたけどこれ結構危険な事が多いんですよね。

中国で反日運動が起きていると言うマスコミの映像を見せられて、中国人全体に対して「コノヤロ」という感情を持ったとしたらそれは「借りた目」なのです。

逆に言えば行動を起こした中国人の多くがその「借りた目」や「借りた耳」をきちんと理解していないと言う事でもある訳です。

私は再三言っておりますが原発推進派でも反対派でもありません。ただ、総理官邸を取り囲んでデモ行進するその姿は、中国人が愛国精神のためなら人の物を棄損しても構わないと言う精神のそれに似ていて、末恐ろしくなったのです。

知り合いはそのデモのために渋滞を余儀なくされ、損失を被っているのに等の本人達は正義の行動のために多少の犠牲はやむえないということのようです。

これはデモの参加者に限った事ではなく、政治家でもまた評論家と言われる多くの人でもこの「借りた目」「借りた耳」によって物事を判断している人が多く居るわけで、そうした人の特徴は事物について蓋然的なことしか言わない。一つ一つの事はどうでもよいから全体としてはこう見るんだとという全くお気軽な発想であり、軍部の独裁により太平洋戦争の発端だとする通説もありましょうが、私は個人的に色々な資料や証言も含めて考えると、当時のそうした「借りた目」「借りた耳」が思想的に蔓延し、もはや軍部の誰ひとり実証的、検証的な物事の進め方をしなくなっていたのではないかと思えるのです。

「借りた目」「借りた耳」を脱する唯一の方法はまず実践する事です。そうは言っても忙しいし、全ての事を実践できるわけがないと反論される向きもおありでしょう。

確かにそうです。ではどうするか、結論はその事実を色々な角度で検証してみることです。

昨日、我が社の優秀なスタッフのT氏が「某ハンバーガーショップの揚げ油はラードだとアルバイトをした経験のある人から聞いたので間違いないようです」と胸を張って言っていたのである。

私はこの事実を全面的に受け入れる事は出来ない。言っていた人を疑う訳ではないし、そういう可能性ももちろんあるだろう。また、インターネットの掲示板にはその手の書き込みが多くある。

しかし、私には二つの疑問が生じた。

一つ目はトランス脂肪酸の食品添加が厳しいアメリカではラードを加工した油ならばFDAや裁判で大きな問題になるのではないか。二つ目は一般的な食品加工で使われている油はショートニング油と言って発火点の高い、固形の姿をしているのでラードと間違えた可能性があるのではないか。三つ目は当時はそうだったかも知れないが今は変更されているのではないかという疑問である。

二つ目の疑問は本人に聞かなければ為らないので解決はされないが、1つ目に対しては2005年に訴訟が終わり、トランス脂肪酸からの変更が遅れた事による数億円のペナルティーが課せられていた。つまりアメリカではすでに変更されているという事。

何故トランス脂肪酸が発生するかというと、精製している時に水素を加えることでこのトランス脂肪酸が発生すると言われている。

近年ではこの水素不添加で精製されるショートニングも多くなっている。

日本はアメリカのようにこのトランス脂肪酸の制限は今のところおおっぴらには行われていないから、アメリカの油と全く同じではないかもしれないが、全てラードで揚げているとは考えにくいのではないだろうか。

もっとも肥満大国のアメリカでは予防医学上、出来るだけ摂取しない方が良いということで、人体への明確な影響が証明されている訳ではない。これとて「借りた耳」なのである。

私なんぞ下手な合製油より天然の油であるラードの方が体に良いのではと思ってしまうが、まあ、カロリー的には問題もあろうからその点も加味しなければならないだろう。

掲示板にはゴキブリも寄り付かない、食べたら毒などと恐ろしい言葉が書きなぐられている。

えっ?これってどこかの国の日本叩きに似ていない??そうなんです、まさに「借りた耳」「借りた目」が2チャンネルを所せましと跳梁跋扈しているです。

2012年9月18日火曜日

殻で決まる

海老や蟹がどうしてあんなに堅い殻を持っているか知っていますか?殻がないとどんどん成長して無駄に大きくなってしまうかららしいです(というのは嘘です)

いや海老や蟹の殻はどうでもよろしい、私が言いたいのは人間の殻の事です。

幸い私の周りには己の殻によって自らの成長を止めてしまうような男性は少なく、世の中のいろんなものを吸収してその分大きくなっていく人達が多いので嬉しい限りです。

しかしながら世の中を見渡すとこれがまた自分の殻を頑なに守って、私は私は、あなたはあなたと言い切る寂しいご仁が多いのも事実。

知識と言うのは日々更新されるべきものです。己の経験知などさして重要でもなく、大切な事は自分の知らないことがあると知ることです。知っていると思った瞬間その人の叡智は地に果てるのです。

私は朝令暮改を旨としています。間違っていたり、失敗したらその事を次の経験に繋げれば良いだけで、何もしないで失敗を恐れ、頭で考えるだけでは成長は出来ません。

大学を卒業して久々に友人達と再会するも、皆そんな自分の殻に閉じこもる輩が少なかったことも嬉しい限りです。

動物と言うのは防衛本能を発揮するとき、知らずに血圧が上がり、ファイティングポーズを獲るものです。その時が最大の危険なんだそうです。つまりは余裕のなさですね。そうすると周りの状況が見えなくなってしまう訳です。

まあ人間はそれが怖くてつい硬い殻を身につけるようになってしまうのでしょうね。

私のところの弁護士先生は面白い事を言います。プロになればなるほど専門用語や難解な言葉を用いずともお互いの約束が出来ると。逆に素人ほど難解な法律用語や無意味な防御創宜しくの文言を付けたがると。

なるほどそうかもしれませんね。

私が半年前、デザインに惹かれてミラーレスを購入した時にも、プロのカメラマンはミラーレスも良いけどちゃんとした一眼かコンデジの良い奴をお薦めすると言っていました。

そして使って、調べて、そして反省して、今彼らの言っていた意味が良く理解できました。

よく宣伝文句に機動性とか、軽さなんて言葉がありますが、そもそもミラーレスだって十分嵩張ります。それにレンズがオールマイティなんてことはありません。

大きなカメラには大きなカメラの利点があり、それを知るべきです。最初から自分はこれで良いんだと魔界の呪詛をするなら別ですが、領袖を広げ知識を得たうえで判断して欲しいものです。

ちまたにこの手の事はインターネットで色々と書かれていますが、書き手が私は知っていると思ったとたんにその知識は古ぼけたオールドタイマーになってしまいます。

確かに買えないという経済的状況を裏打ちすべく、その事実を規成化したいなら別ですが、知識としては理解の上段に据え付けておくべきでしょう。

残念ながら日本人の多くは、己が達成できないとなると判断の蚊帳の外に置く傾向が見られます。

島国根性と揶揄されるあれです。少なくとも硬い殻で自分を守りながら、嚆矢がはなたれないように恐る恐る生きるような後段の人生にはしたくないと思う訳です。

先輩が言っていました。そうしたこともひっくるめて理解したうえで、空気のような老境を迎えたいと・・・納得しかりです・・・・



2012年9月14日金曜日

至宝のエンジン 直列6気筒 水平対向6気筒

名作のエンジンというものは数あれど、BMWが得意としていた直列6気筒(通称ストレート6)はまさに至宝と呼べるエンジンです。

アメリカ車に代表されるV8エンジンはマッスルカーと呼ぶにふさわしい低速から太いトルクでグイグイ引っ張るエンジンでそれはそれで面白いのですが、ストレート6というエンジンはこれとは少し違います。

低速のトルクこそV8に負ける(もっとも最近のBMWはターボーチャージャーでこのあたりをカバーしています)が4000回転を超えてもさらに吹けあがるエンジンはほんの少し甲高い音を鳴らしながら最後まであくまでスムースです。シルキーシックスたる所以です。

ただ難点はエンジンがどうしても大きくなってしまう事と低燃費には限界があるという事です。

そのあたりでBMWも最近では4気筒にエンジンの主流を移していて、ストレート6はほんの少数派となってしまいましたが、素晴らしいエンジンである事は間違いありません。

私の乗っていた525は自然吸気のこのストレート6が搭載された最後のモデルでした。今はスタッフのT氏が乗っていますが素晴らしいエンジンである事は変わりません。

もちろんV12気筒やW12などのエンジンは手を入れればいくらでもパワーアップ出来ますが、個人的には面白いとは感じた事はありません。

また、どのメーカーのV10エンジンにも共通して言えるのですが、このエンジンは扱いが難しいと思います。BMWもM5からこのエンジンを引き上げたのもそのあたりが原因ではないかと推測します。

ということで私の好きなエンジンはこの直列6気筒エンジンと水平対向6気筒エンジンということになりましょうか・・・・・・・・・・

BMWはバイエルン発動機株式会社という名称なのです・・・つまりはエンジン屋なのです!!!


2012年9月13日木曜日

知らないという大罪

民主党の代表選挙をみていてこの国の政治のポプュリズムが如何にくだらないか、そして喫緊の課題を与えられた国防安全政策について無策の政治の戯言が末恐ろしくさえある。

むろん自民党が良いと言う訳ではない。長老(老害)達に担ぎあげられた、元党幹部のI氏などにこの国を任せれば、口先は体の好い詭弁で煙に巻かれ、その実は派閥の整合に他ならぬは明白。

こうした感情を少しでも抱いた国民が向かう先は関西から国を変えると息巻いているH氏に向かうのか。H氏には共感できる点が多い。しかし、H氏に取り巻く人達はとても同じ使命や政治信条を共有、共感し手を携えて政治生命を賭してやっていこうというとは考えられぬ。

政治家ばかりに責任は押し付けられぬ。昨日、家に帰るとK流ドラマがテレビから流れていた。我が家の男性はK流どころかテレビはあまり見ない。実は80才に近い私の母が何とはなしに観ていたのだ。

私の不機嫌な顔を見るとテレビのスイッチを消したが、つまりはこうした先達が戦後作り上げてきた民主主義の自由と平等こそが、今日の日本の斜陽を招いているのだ。

そうした人達は自らの知識や認識のなさを「知らない」で済ます。実はこの「知らない」は戦後日本の民主主義が植え付けてきた最悪の毒薬なのだ。

大衆迎合を柱とする多数決、標準化を根底に置く学校教育のそれは例え貴重な意見であっても、集団と異なるものは排除される。いじめの温床も実はここにある。そうした中では皆が「知らない」事は「知らない」で済むのだ。逆に知る事は皆と違う意見ということになる。我々は知らず知らずのうちにこの「知る」ということを意識の外に置くようになる。国民のバラエティ化とはその結果。

数年前にある人に言われて日米安保について考えてみた。実は概略は教科書程度知っていたが、当時はいくつかのその疑問も何となく「知らない」で済む方向に消し去っていたからだ。

色々な本を読んでみて、如何にこの日米安保が単純な「賛成」「反対」で俊査されるものでもなく、もっと深く考えなければならないと知った。日米安保と言う枠組みを考えることと、内政の日米安保は全くの別物である。

国にとって安全保障とはまさに最優先される課題である。普通の国は自国の国民を自国が守ると憲法に書いてある。日本はそれを放棄したのである。

さらにここ数年丸山眞男に関する著述を読みかえしている。私が大学に進んだ頃には彼の事は広く人口に膾炙しているとは言い難い状況であったからだ。

日本人の精神構造について、丸山はまさに今考えなければならない、鋭い洞察を行っている。

彼の「古層」という概念と並び、日本人の日本人的精神構造について理解すると、今の窮状がそうした日本人古来のものと、戦後レジームの中で構築されたシステムとの融合により、焼成されたことが分かるのだ。

もちろんだからといって無理やり愛国心に火をつけようとなど思っていない。彼もいうように愛国心とは流感のようなもので、熱を出し、うつるのである。だから、自制する事が肝要である。

H氏が言うように首相公選制ならびに一院制というのは、いくつかの課題を解決できる可能性がある。しかし、その一方でポピュリズムが蔓延したこの国の国民が学び、理解し、適正な判断が出来るか甚だ心配である。そう、まるで放射能の事が分からぬ者が原発と原爆の区別もなきまま、賛成や反対を論じる(論じるならまだしも一方的舌戦)ようなものである。

もっとも丸山はこの事を「キヨキココロ」として我が国の国民の嗜好性と位置付けているが・・・







2012年9月6日木曜日

毒性植物 

私達の身近な所に摂取すると危ない植物が多く存在する。もっとも人間には大丈夫でも酵素を持たない犬、猫が重篤な障害や死に至るタマネギ、ニンニクなどもあるので注意が必要である。

トリカブトドクウツギなど有名であるし、庭先で見かけるということはないが、園芸店で売られている植物の中にも危険なものある。

毒もまた有用である薬にもなる。ジキタリスは心臓発作の薬でもある。また、マダラ蝶の仲間は幼虫時代に毒草を食べるため成虫になっても捕食されにくいそうだ。デジタルとジキタリスも語源は一緒「指」です。ホタルノブクロは近種です。



新春の福を祝う「福寿草」も実は毒を持つ。菊の花弁に似た花は毒性が強い。


さらにデルフォニウムという観葉植物も「デルフィン」というアルカロイド毒を持つ。ちなみにイルカに花の形が似ているから命名されたようだ。


私のオフィスにもあった南の島でよく見かけるこの「モンステラ」も毒がある。なんとなくサトイモに似ているもんね・・


それとこれも近年庭先のガーデニングにしたり、ハワイの海岸で自生しているものを時々見かけるラッパを逆さまにしたエンジェルトランペットという植物、こちらは食べるだけじゃなく触った手で目や口を触るととんでもない事になるので要注意。


山菜摘みに出掛けた人がワラビを一杯持って帰り、そのまま食したら(普通食べられないけどね)死にかかったという事故もある。ワラビは灰汁抜きして塩ゆでして下処理しないと食えんのね・・・

そうそう高原に行った時に牧草地の中にレンゲツツジが自生していた。地元の人に聞いたら馬や牛はそれが毒があるから食べないと言っていた。



人間の食べてるものなら大丈夫と犬にあげているあなた、もしやその野菜は毒かもしれませんぞ・・・・

ペダルの話 TIME  I clic carbon





誰もがロードバイクに初めて乗った時に戸惑うのが、ビンディングペダルだと思う。

昔はペダルに革ひもで括りつける単純なものだったのが、次第に機構が改良されて今のかたちになってきたわけである。

初心者はすぐに外れる(そう言われているが実際にはそう変わらない)SPDペダルを取りつける人も多いが、乗り慣れてくると力の逃げやすいSPDペダルだと満足できなくなってしまう。かくいう私もその一人だった。

段々慣れてきて、ペダルの感触や動きが分かるようになって、さらに走行距離も100キロを超えるようになると今度は体のあちこちの痛みと対峙しなければならない。

まずは、お尻、ハンドルの振動、ヘルメットの重さ・・・とにかく老齢の体を色々なところが攻めてくる訳である。

私の場合には、SPDからルックに変えて暫く乗っていたが、膝に違和感と傷みが生じるようになった。

そこでNという神宮前のプロショップのメカニックに話を伺うと、タイムのペダルを勧めてくれた。

迷わずRXSを購入した。軽量化オタクだからすぐにチタンカーボンに買い変えた。

これがすこぶる調子が良い。それ以来膝の痛みから解放された。

タイムの不満な点は、ケオと比べて踏み代の面積が小さい事だった。それにあの独特の形状のため、クリートの位置が問題となる。多少のコツが必要となる訳である。

そこにi clicが登場した。私の場合、ロードシューズ3足のクリートも交換しなければならないため二の足を踏んでいたが、最近ではWという便利な海外サイトからパーツを安く手に入れることも可能になったので、iclic carbon とクリート3セットを購入したのである。

動きは今まで同様で膝への負担も無く、さらに踏み代が大きくなった、バネ式からカーボンプレートになったお陰で泥つまりも多少減った。良い事づく目である。

ただし、一つだけ問題がある。クリートも大きくなった分、減りが早い。慎重に歩いてもすぐに突起が削れてしまう。そこが難点である。それ以外、私にとってこのペダルが無くなる事は死活問題である。その位大切なパーツである。

そうそうペダルの取り付け取り外しは、レンチでなんなく出来るが、締め付け過ぎには注意したい。普通に回していれば自然に締め付けられるからである。クランクとペダルのねじ山の埃取りとグリースアップを念入りにして組み上げてたもう。

練習中のパワーを計りたいという玄人向きには今まではSRMのパワーメーター(カンパ用41万)という高額品しかなかったが、ケオからペダル内臓式も発売されているようなので御探索あれ。




併読中 文系2 理系1

鎌倉の古本屋で購入した開高健氏の釣り魚本と野上弥生子女史の「森」はすでに一読しましたが、再度その文章の筆致を確認したく拝読しております。

好きこそものの上手なれと開高氏の釣り魚本を読んでいましたが、再読していくうちにヘミングウェイのそれと同じに抑圧され、ある日常生活ではとことん困り果てて疲弊し、精神的に会いこまれた逃げ場のような感じがしてくるのでもあります。

亡きあとにかれこれ書かれた開高本は数あれど、友人が言っていた「死んだんだから、そっとしておいてくれよ」という気持ち分からぬでもありません。

まさにヘーゲル先生の「従僕の目に英雄なし」というところでしょうか・・・・・・

もう一冊のお手軽本は東京大学の現役の教授でもある著者が人気講座の一読本として出版したものでありますが、何と言っても読み切りのコラムが面白い。

この先生、金沢のご出身で、先般私が訪れた21世紀美術館はその母校でもある金沢大学付属学校の跡地だったと聞きます。石川県は教育県でもあり、進学率も高いと聞き及びますが、そういえば息子が数学か医科学かで進路を迷っている時に、拙宅の些細な集まりの中で妻の友人の夫に「そんなに了見は狭くないと思うよ」と的確なアドバイスを戴いた、その人も石川のご出身でした。

懇意にさせて戴いている日経新聞の編集委員の方も、すでに亡くなられた免疫学の巨人多田富雄先生の本を出版し、私が興味あるというと、当時のその書籍を直接戴いたこともあり、そんな縁で私は多田先生の本はほとんど読んでいましたが、あとになってその人が多田先生の研究生だった事を知り、世の中の縁を感ぜずにいられませんでした。

閑話休題

CPスノウを持ちだすまでもなく、21世紀になって文系と理系は益々乖離していきます。

その証拠にノーベル物理学賞や化学賞、医学賞などの理系分野の受賞者がどんな研究で受賞したのか的確に説明できる人はどれほどいるのでしょうか、研究の専門家、先鋭化が進み、それを咀嚼し得ることが出来なくなっているのではないでしょうか。もっともポピュリズムに毒されたマスコミの大罪を見逃してはなりませんが・・・

秋の夜長の読書、、、文系2、理系1の割合が当分続きそうです・・・・




2012年9月5日水曜日

靴の話

BMWのディラーの前を通ってカタログ見ながら気にいったからとポンと車を買ったフランス文学者のように物に頓着しないなんてカッコのよい事は申しません。

この世の諸々の事につい心乱してしまう愚か者ゆえ、聖人君主の如き物質文明の批判などしないという前触れをしておきます。

私が靴に興味を持つようになったのは30歳の半ば位からです。もっとも、その頃は良い靴が欲しいとか、こんなブランドが良いと所有欲が強かった訳ではありません。もちろん当時に薄給では買える筈もなく、ただパラパラと本を眺めているだけでした。

或る人が私に「男性は靴を見れば分かる」というのです。まさかそんな事はないと、バカにしていたらあれよあれよとその通り推理が当たるのです。

仕事柄多くの人と当時は会っていました。初対面でその人を見抜けなければ失格です。もちろん、その人の職種、家族構成、居住地、言葉づかい、目線など色々な物事を総合的判断する訳です。

人事部にいた事が役に立ったのかもしれませんね(笑)

そんな中に、スーツを着込んで、控えめなもの言いと落ち着いた態度で面談した男性がいました。

ふと、彼の靴に目をやるとその靴は彼のスーツや言葉からは想像もできないような薄汚れたひどいものでした。

彼はその後会社のお金を持ち逃げして警察の御厄介になりました。

こんな事もありました。親戚が代議士と言う触れ込みで、意気揚々と新規事業を立ち上げると言っていたその男性はイタリア製の少し古臭いブランドスーツに、これまた相応しくないような、派手なブランド物のスリッポンを履いていました。

しばらくして、彼の会社は資金繰りに行き詰まり倒産しました。

この二つは偶然かも知れません。しかし、私がそう思ったように他人からも見られていると思うと靴と言うのはビジネスパーソンの一つの道具だと思うのです。あなたが他人の指図されないような実力者なら話は別ですが、他人との関わりが必要な多くの人には道具は人に見られるものです。

かくゆう私は30代の半ばより自家用車の通勤をしています(余儀なくされました)

今の車がトラックのように高い荷台の車(二匹の犬の運搬も可能な)なのですが、このアクセルとブレーキがトラックそのものなのです。つまりは地面から離れていて、ヒール&トゥで操作できないためコバのある靴では運転出来ないのです。(引っかかる)この車に乗る時は危険なのでドライビングシューズかスニーカーと相成る訳です。

よって事務所には最低2足の靴を用意して、必要に応じて履き替えている訳です。

特別な靴というのは良いもんです。こいつを履いてやるという意気込みが出ます。私の場合にはプレートゥの2足のJLを所有していますが、ここ一番という時にこの靴を履きます。背筋がピンとする感じがします。

少しカジュアルな洋服の場合にはオールデンです。今のようにコードパンが流行る前から大好きで、プレッピーなアイテムとも相性がよく、歳をとってからのアイビーも良いと思うこの頃です。

浜松まで買いに行った別注のスェードのオールデンはいまや手放せません。

それ以外にもグレンソン、EG、チィニー(チャーチ)などイギリスの靴が好きです。もちろんJM
ウィンストンも好きですが、凝ったデザイン性のコルテやイタリア製の靴はあまり持っていません。

そうそう、ジョージクルーニー主演の「マイレージライフ」という映画で、順番を待つのはアジア人の後ろが良いと、ひも靴を履かないお洒落じゃない人を揶揄する場面がありますが、あれはクルーニーの読みは正しいが中身はそんなに単純じゃないのです。

少なからずこの手の靴を履く人は二通りいて、ひとつは最初からクルーニーが揶揄したお洒落やダンディズムとは無縁の人、もう一つはうって変わって、とてもお洒落なのだけどどうしても移動する機会が多く、使い分けている人達です。この人たちは自宅には高級なひも靴がずらっと並んでいたりします。

こうしてみると靴という一つの物がその人を浮き上がらせてくると思いませんか。

少なくとも無頓着言い切れる人は実はその正反対なのではないでしょうか??

皆さんも今日どんな靴を履いているかチェックしてみて下さいね(笑)

もちろん靴好きならば写真の靴は何だかお分かりですよね、ダナーのチロリアンとレッドウィングです。80年代にバックドロップて購入したものとは違いますが・・・・









2012年9月4日火曜日

チューブラーに決めた理由

愛知県の自転車乗りさんより、問い合わせを戴いていたのに間違って削除してしまい本当に申し訳ありません。お役にたつかどうか分かりませんが、以下ジジイの戯言と思って聞いて下さい。

私も最初はクリンチャーでした。迷いもせずアルミフレームにアルミホイールにクリンチャータイヤでした。シマノの初心者用ホイールにミシュランを付けていましたね。

あるときにキシリウムのホイールが格安で売りに出ていて、それがチューブラーだったのです。

まあクリンチャーはあるし、問題があれば戻せば良いという軽い考えでした。

ところがチューブラーにすると、これがすこぶる良いのです。クリンチャーの時のようなサイドのゴツゴツ感がなく、さらに多少の段差による通称カミが少ないのです。それはクリンチャーに比べて相対的に空気圧を高くしないでも乗れるという利点でもあります(空気圧が低いとクリンチャーはカミになってしまう)

そのうちにモノコックのカーボン車体からラグドフレームのカーボン車体に乗り替えたら、さらにその傾向は顕著になり、タイヤがするっと滑る上に、車体がさらにぬめっとしなるような独特の感覚になったのです。これは疲れが全く違いました。

その後、色々なチューブラータイヤを試しました。ビットリオのオープンコルサ、ユッチソンのカーボンコンプ、ベロフレックスのレコード、IRCのシームレスなどです。個人的にはビットリオのオープンコルサEVO CXⅡとベロフレックスのレコードがお薦めですが、どちらもドライ優先です。(ウエットのときはもう少し接地面が多いものがお薦め、ただし、濡れ始めは釘や鋲を拾いやすいので要注意)

その後、カーボンディープリム(ライトウェイトスタンダードGⅢ)を購入しましたが(チューブラー仕様)これは剛性が高く、それほどアルミとの違い(振動吸収性)を感じませんでしたし、高速巡航性を求めるならばもう少し重いホイールの方が実感できると思います。

ただし、いいことづくめばかりではありません。タイヤはパンクします。その時の交換用予備タイヤが嵩張ります。私の場合は家ではミヤタのチューブラーテープですが、携帯用にはTUFUのものを用意していますが、未だ一度もパンクしていません(走行距離が短いだけ?自慢になりません・・笑)交換に要する手間はチューブラーでもクリンチャーでもそう変わらないと思っています。

実際、クリンチャーの時にパンクパッチとチューブを持ってオアフ島の外れでパンクした時には、バルブが吹っ飛んでしまい、結局、修理できませんでした。

結局はどういう乗り味が好みなのかと言う点になります。多少の路面の荒れなど関係ないという向きはクリンチャーでも良いのではないかと思います。路面の状況を的確に捉えたい、タイヤが円である事を味わいたいという向きはチューブラーを履いて見る事をお薦めします。

我が社の力持ちのスタッフもこのFFWDのチューブラーにしましたが、調子は良いようです。疲れが違うとも言っていました(彼のはコルサのSCです)

車のようです。国産の一般的な乗用車は路面状況が伝わりにくく、スポーツカーは即座に路面を判断できるハンドリングのそれとも似ています。

私の場合にはフレームとホイールとチューブラーにしたお陰で、近場しか痛くて乗れなかったサンマルコのアスビデカーボンが普通に乗れるようになったことも付け加えておきます(DASHは未だ100Km以内)

こんな事で少しでも参考になりましたでしょうか、少し心配ですが、老ローディとしてこれからも自転車には拘り続けたいと考えていますので色々な情報をまた教えて下さい。

ちなみに今日新しいレコードの舟発注しました。(ブレーキシューの交換が死ぬほど楽になったらしい・・・・・)




大きな椎の木と椎の実

私が親業を始めるにあたって先輩から注意された。親は決して前からでなく、子供に後ろ姿で知らせるものだ。そして、植物の水やりと同じく、水を与え過ぎれば根ぐされしてしまうし、逆さまに与えなければ枯れてしまう。

そう思って、出来る限りの事を経験させてきたつもりだったし、決して、親が全てを決めてきたわけではない。

娘が結婚すると聞いて驚いたが、半面、安心した。私達が一生、子供達を見守る事は出来ないのだから。

子供達のやる事は全て幼く見えてしまう。仕方ない、私達の半分くらいしか生きていないのだからら無理もない。私達だってあの頃は全く社会の事など見えなかった。

子供達の意思を尊重してあげようと思う反面、何故こうしないのかともどかしなってしまう。

結局、親が思っているように子供はならないものなのだ。私の仕事柄、親の会社を継ぐ二代目が多い。多くは目的を失い、会社も従業員も不孝になるケースが目立つ。

もちろん全ての二代目が悪い訳ではない。二代目だって、親の基礎の上に自分なりの個性を付加して輝いている人も多いのだから。事実、私の周りにはそうした努力を重ねた二代目が存在する。

しかし、我が子たちにとって親の後を継ぐというのは足枷以外の何物でもないし、もっと輝いて欲しいと思うから、自力で社会に出る事を勧めた。娘の就労には何一つ口出しも、手伝いもしなかった。彼女は自分で全てを乗りきっていった。

相手のご両親が結婚指輪と婚約指輪を買ってくれたそうだ。ポイントで買ってくれたと言う親の優しさ痛み入ります。

大きな椎の木は枝を広く広げ、自分の子孫である椎の実を出来る限り遠くに落とすのだそうだ。

閑話休題

あるYという作家(元大学教授であるが読み物の方が俄然面白いので)がブログで自分の持ち物について、自分は無頓着だと言っていた。まあもそういう人もいるだろう。しかしね、BMWのディラーの前を通りかかり偶然カタログで探した車を無頓着で買ったと言うのは無理があるだろう。
物に対する「意味性」とはその人の主観的概念でしょう。逆に「意味性」を持たなければ所有しないものとそうでないものが存在し、そこには必然的に「執着」が生まれるのですよ。車は走ればいいと言ったってそこに走れば良いと言う「意味性」が存在するのだから・・・・フランス文学者なのだから当然ご存じのはず(ソシュールのシニファン、シニェ)なのにそうするのは????
まあ、「俺は物になんて無頓着だぜ」という読者に多々対するメタファーと受け止められますな・・・・私は執着もするし、諦めもする、聖人君主のように物質文化を超越し、精神世界にのみ生きるなんて決して言いませんから・・・

2012年9月3日月曜日

先人達の教え

世の中にハウツー本なるものが横行しております。中には読んでためになるものも多少はありますが、そのほとんどはお金をドブに捨てているようなもの。考えてみて下さい。今までお金の貯まらなかった人が一冊の本を読んで溜まるようになるくらいなら、この国のGDPはあっという間に世界一になってしまいます。そんな話はさておき、数日前のイトイさんのブログにもありましたか゛、先人達の教えというものを私達はどこかで受けているのです。イトイさんが言っていた「汁物より食べよ」は私の祖母も言っていました。何故、なのか幼い頃には分かりませんでしたが、温かい汁物(総じて)より食べ始めると体の体温が上昇し、腹八分でも満腹感を覚えます。さらに口腔が乾いていると味覚の感覚は乏しくなるのだそうです。と言っている我が家でも妻や息子は最後に汁ものに口をつけるのですが、先人は教えてくれなかったようです。(私は先人ではないので・・笑)

昨日も鎌倉の二楽荘で食事をしていると上品な白髪のご婦人達が3人後ろの席に付きよもやま話をはじめました。聞くともなくその会話を聴いていると、他人の話題や娘息子の話題はほとんど出ず、今自分がどうしているのかいう話題と最近の世間の動きを話しています。決して我田引水にならず、歳を取ると孫と病気の話になるというのとは正反対の内容でした。新しいものを受け入れるというのは中々難しいものです。しかし、そのお一人は楽しい、面白いという言葉がポンポン玉のように出てくるのです。私は感心しきりでした。しかし、ある事に気付いたのです。そのご婦人は決して結論を言いません。楽しいとか面白いとかいう事は言っても、二項対立的な白黒の判断はしないということです。つまりは、経験はするけれども、結論は言わないのです。

ある人に言わせれば、古だぬきのような考え方だと揶揄する向きもおありでしょうが、何でも白黒付けたがる昨今の風潮には新鮮さを感じました。

政治にしてもマスコミにしても、甘受の精神を失っています。例え自らの信条と違えど、他人の意見を一度は聞き、もう一度咀嚼する。そんな行動がめっきり減っているからこそ、新鮮に思えたのです。

アンチョコなハウツー本よりそんな先日達の教えが実は周りに転がっているのです。私はイトイさんのようにそれを広く人口に膾炙することはようしませんが、小さくこうしてアナウンスメント程度はするつもりです、近しい人にだけですが・・・・