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2013年5月21日火曜日

父親のジャジャ麺


親父のジャジャ麺

餃子のところでも書いたが父はジャジャ麺を作ってくれた。子供の私は父親が家族に今日の夕食はジャジャ麺だと公言するとなんだかソワソワした。母親が作る味とは違う、どこか謎めいた味に期待していたのかもしれない。しかしながら田舎町に今のように中華材料があるはずが無い。手に入る材料を工夫して作っていた。当時、花山椒はなかった。父は普通の山椒と唐辛子で代用した。テンメンジャンも無かった。赤みそと白みそ、砂糖、酒にごま油で作っていた。ただ生姜と葱はよく炒めていた。
父は北京鍋を好んだ。私は今でも中華をする時は北京鍋を使う。我が家に上海鍋(両手の付いた)は無い。父に言わせると北京ではコークスで料理するため持ち手が丈夫な北京鍋でないと駄目らしい。本場ではそれに包帯のように布をぐるぐる巻いて使うと言っていたが、中華街でその光景を目にしたのは後年になってからだった。
群馬県と言うのは概ねうどん文化圏である。隣県の長野とは違う。市内でも手打ちうどんの旨い店が多かった。家から500メートルの距離に次郎長という旨いうどん屋があって、打ち立ての麺も売っていた。私は百円玉を握りしめてこの店にお使いに行かされた。
家に帰ると母が大きな鍋に湯を沸かし、今か今かとうどん玉の投入を待っていた。
冷たい流水で清められ食卓に出されるそれはつるつるでしこしこの食感で新鮮なキュウリが大盛りに添えられたジャジャ麺だった。一言もしゃべらずに最後の一本まで麺をすすった事を思い出す。その時の父はとても満足そうだった。私が料理をするようになったのもこの父のお陰かもしれない。
仕事で盛岡に行った。盛岡と言えばわんこそばや冷麺が有名であるがジャジャ麺も有名とは知らなかった。名前は忘れたが市内の店を見つけ暖簾をくぐった。出されたそれは父が作ったそれと似ていて麺も中華麺でなく家よりやや細めのうどんだった。味噌もその濃さといい、少しシカシカする赤みその食感といい、とても似ていた。
そうこうするうちに東京にも盛岡ジャジャ麺の店が進出してきた。その店は神田にある「キタイチ」という店だ。麺は盛岡で食べたそれよりさらに細く、腰が無い。最後に生卵を入れてスープにして飲み干すところは似ていた。
梅雨入り前にこの店に出掛けるもよし、自分で腰のある麺を見つけて作るもよし、こうして父の感慨に耽るのも悪くないかもしれない。父の年齢に近づいている艾年を超えた男として。



70歳の自分


70歳の自分

人間人生は50年、後は残りの人生などとほざいている奴が何をぬかすかと激昂されそうであるが、昨日テレビを見て自分の70歳はどんな顔をしているのだろうと不安になった。
その人は若くして起業し、そして裏切り、挫折の連続であった。最後の貸し本チェーン店も売り上げの水増しの責任をとって辞任した。そして老境になって飲食店のチェーンを始めた。でもその人の顔は悲しそうだった。何をやっても心底満足できないそんな顔だった。
その人のやっている飲食店に行ったことがある。フレンチなのに格安しかし立ち飲みで時間は限られる。いわば立ち食いそばのフレンチ版である。食材費は70%という。それはそれでいい。でも本当に美味しいだろうか。残念ながら私の口には合わなかった。
結局どのビジネスをとってみても彼の本質は変わっていないと思う。新し物好きの日本人の集客は当面可能だろうが、果たして彼の気の休まる事はあるのだろうか。尤、彼は気など休む必要は無いと言われそうだが。
彼と私の決定的な違いは短い期間でも組織の中で働いたという点だと思う。大学を卒業し実家に入るなり、起業したりすることは可能だ。けれども何か足りない気がする。
私も卒業と同時に起業を目指した事がある。しかし恩師に止められた「一度は会社という組織に入る事をお勧めする」と、やっとこの歳になってその意味が分かってくる。本当恩師には感謝している。
人生というのはリズムだと思う。若い頃、先走ってリズムを崩して失敗する事もある。それはそれでいい。けれどもその失敗を次にしないように教えてくれるのが組織というものだ。だから組織の経験者はそのような失敗をしなくなる。心臓の鼓動を整えて次の船出のチャンスを待つ事が出来るからだ。人、もの、かね、それだけ企業には余裕があった。
飲食というのは一人の料理人の夢にどれだけ多くの人を引き付けるかの真剣勝負だと思う。
大衆の目はごまかせても本質を知る玄人はごまかせない。つまらない仕掛けや店側の理論は看破されてしまうから。これは私の経験からもそう思う。だから70歳になってもまだそのような事に拘泥したくない。
幸いにも私の周りには70歳を超えてもまた超えないまでも第一線を退いたとはいえ世情に通じそれでいて穏やかで幸せそうな笑顔を持った友人が多くいる。
私もそんな友人に見習いたいと心底思うのである。幸せな人生を歩んだ人は自ずと幸せな顔になっていく。これが今日の教訓である。幸せだと思える一日かどうかの積み重ねなのである。