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2010年7月14日水曜日

西武VS東急  光が丘団地

西武系企業に勤務していた私は2度ほど、当時は各社に割り当てられていた鎌倉霊園の墓守にいったことがあります。

そこですることといったら定刻に鐘を打つことと、そこにおいてある西武の歴史のような書物を読むことでした。

東急の祖、五島慶太と堤康次郎が伊豆や箱根で覇権を争ったことや、次々に買収する五島を評して強盗慶太と呼ばれたことなどそのときにアウトラインが描かれました。

今、冷静にこの2つのコンツェルンを見ると、どちらも創業者とのつながりは薄れています。しかしブランドイメージとしての東高西低の感は歪めません。

どうして、このようになったのでしょう。

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西武線沿線には光が丘団地があります。あのマンモス団地です。ここでは当時、左派の知識人達が先鋒として住民運動を主導していました。ポリオのワクチン問題、鉄道運賃の値上げなどを通して大規模な反対運動になっていったのです。

当時の住人は、秋山駿、不破哲三、矢田部理などの名前が見られました。また実際の知り合いの共産党系の弁護士さんもここに住んでいました。

このような社会主義に対する沿線住民の運動は東急沿線も含めて他の路線では見られない現象でした。

思想というのはその影響が強ければ強いほど、思想の吹き荒れた後には荒涼なる大地と化します。社会主義崩壊後の東ドイツや東欧諸国を見てください。私にはこれに似た風景を荒廃した多くの団地で感じるのです。

映画「グッバイレーニン」で取り壊される像のようです。



戦後なりもの入りで建てられたニュータウンの多くに東京の知識人が移り住み、今や崩壊の手前です。

思想と言うものの怖さとそこに暮らす人々の繋がりがどう関連しているのか分かりませんが、私には因果律があるような気がします。

トマス・ピンチョン


トマス・ラッグルス・ピンチョン(Thomas Ruggles Pynchon)はドン・デリーロやフィリップ・ロスらとともに現代アメリカを代表する小説家です。

ピンチョンとい名前からどこか他の国からの移民のような気がしますが、どうしてとうしてノルマンコンクェストこと征服王ウィリアムとともに英国に移住したというから何をかいわんやです。

彼はロングアイランドの出身でコーネル大学を卒業したことは分かっているのですが極端なマスコミ嫌いで実像はベールに包まれています。

今回、新潮社より8冊のピンチョン全集が出版されます。第一弾はこの「メイスン&ディクスン」(上下巻)です。早速、アマゾンに注文しました。第2巻以降はあざみ野のカボスで予約します。

あの書店が潰れては困る本好きが多いのです。

今年のマウイの1冊です。

Col de la Madeleine マドレーヌ峠


W-Cupも終わり、残るはツールの優勝の行方です。早いもので第9ステージまで来ました。

舞台はマドレーヌ峠です。美味しそうな名前です。試走したことがありますが(笑 グーグルアースで)全体的にダラダラな上りが続きます。頂上付近は少しフラットになります。

マイヨジョーヌのエバンスが大きく遅れてしまいました。ハンガーノックのようです。ハンガーノックの経験者としては本当に脚が動かなくなるから恐ろしいのです。上りゴールでなかったので下りで補給食を得、なんとかゴールしました。

ステージ優勝は面白い駆け引きがありました。前を引かないクネゴがステージポイントの前で急に前に上がったので、引いていたLLサンチェスは面白くありません。

こうなるとサンチェスも残りを意地でも引きません。懸命に引いていたFFJのカザールが漁夫の利です。

コンタドールアンディもトップとほぼ同タイムでゴールしました。これでアンディがマイヨジョーヌです。

前半戦の山岳があと1日続きます。

それにしても大腿四頭筋の痙攣はとても痛いものです。Sサンチェスは右ももを抑えながら必死の形相でゴールしました。まさに執念です。ロードやっているとヒラメ筋の痙攣はしょっちゅうです。ひらめ筋は乗りながらもストレッチできますが、この大腿四頭筋は中々リカバーできません。
ということで個人的に敢闘賞をこのSサンチェスに送ります。