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2012年11月13日火曜日

うなぎ 鰻


うなぎ(鰻)

私の育った街は川に囲まれていた。すぐ裏手には渡良瀬川が流れていたが当時のそれは悪名高い鉱毒こそ無くなったものの、様々な生活排水が流れ込み綺麗ではなかった。魚といえばハヤ(私達はそう呼んでいた=ウグイ 鯎)や毒魚のギギなどしかいなかった。それでも少し足を延ばせば山女や岩魚を捕ることもできた。

近くにいた両親の友人一家が引っ越していった郊外の住宅地を流れる川にはイモリやうなぎがいた。うなぎといってもお腹に斑点が七つある八つ目うなぎである。うなぎ捕りに使う魚篭は入口が返しになっていて魚が逃げないようになっており、一番奥に石で潰したタニシを布に包んで入れてある。その魚篭を川のあちこちに石の重りをつけて一晩沈めておく。翌朝、上げてみるとまんまとうなぎが入っているという訳である。私はこの八つ目うなぎを一度も食した事がないし、たぶんこれからも食すことはないと思う。 

話は変わるがうなぎの卵が遠く北マリアナ海溝で見つかったとテレビで放映していた。うなぎは稚魚(シラスウナギ)を河口で捕り、これを養殖させるわけであるが、どうやらうなぎの生態は未だ詳しくは解明されていない様子である。 

私が幼いころ、両親がうなぎを食べに連れて行ってくれた店は家からそう遠くない(当時の私にはとても遠く感じたが)ところにあった。名前は忘れたが麻の白い暖簾に墨字で「うなぎ」と書かれていた。店は小さいながらも小綺麗で、玄関と通路にはいつも水が打ってあった。その店のうなぎは旨かった。子供心に美味しいと感じた。店の前はいつもその美味しい香りが漂っていた。 

うなぎは好きな人と嫌いな人が分かれると言う。あの姿が苦手だと言う人もいれば、美味しいうなぎを食べたことが無いという人もいる。直木賞をとった四国出身の男性作家は後者で大人になって初めて美味しいうなぎを食して好きになったと何かに書いてあったが、私の場合は少し違う、つまり原体験は美味しかったのだ。子供にうなぎの味が分かるはずもないと叱責されそうだが、あのうなぎは確かに美味しかったのだ。 

上京してうなぎを食す機会が無かったわけではない。しかしながら貧乏学生、薄給のサラリーマンの食べられるそれはどれも身は硬く骨っぽく、表面には水飴の様なベットリしたものが付いていた。こうして私は暫くうなぎからは遠ざかることになった。 

関西は腹開き、関東は背開きという。私にはどうでもよい。それより、うなぎを蒸すか蒸さないかが大切である。関西や名古屋でうなぎを食したことがある。名古屋の弼まぶしはそれなりに美味しいと思うが、蒸さない関西のうなぎはどうも苦手である。別嬪という言葉の由来はこのうなぎから来ている。豊橋の老舗のうなぎ屋(丸よ)が特別に美味しいうなぎを指して別品=べっぴんと呼んだことで、この意味が拡大し美しい女性を別嬪と呼ぶようになったと聞くが、なんともうなぎが転じたとは面白い。 

一度だけ海外でうなぎを食べたことがある。もちろん、日本式のうな重である。食べたのは高級ブティックが立ち並ぶパリのサントノーレ通り。お昼時を過ぎたそのお店は比較的空いていて私たち以外に数組の客がいただけだった。東麻布に本店のあるN岩というその店はガイドブックには必ず載っている有名店である。日本と同じように30分以上待って恭しく運ばれてきたうなぎを食して愕然とした。まるでゴムのようである。噛み切れない。たれやご飯は普通に美味しいのにうなぎが全然違う。あたりを見回すと、金髪を肩のあたりまで伸ばして指には数カラットもあろうかと思う宝石を身に付けたマダムが何も言わず美味しそうに無言で食していた。あとで分かったことなのだが、どうも欧州のうなぎは日本の物とは種類が違うらしい。

うなぎには綺麗な水が必要といわれる。うなぎの臭みを抜くために1.2日その綺麗な水の中で活かしておくことが肝要らしい。老舗のうなぎ屋には井戸があってその水が大切な役目を果たすようだ。三島は富士の伏流水が市内至る所に流れていてこの水を利用してうなぎ屋が多いことでも有名である。偶然にも銀座からこの三島に住みか(居だけでなく事務所も)を移した弁護士の先生がいることもあり、三島に出掛けることは多い。というよりこのうなぎを目当てに仕事を無理やりつくっていると勘繰られそうである。私は三島広小路の「桜屋」が好きである。ここのうなぎはふっくらしている。そして臭みが例によって綺麗に消されている。店の裏手を覗くとこれから調理されようとしているうなぎが水色のプラスチックの大きな籠の中で元気に動いている。それを若い職人が数匹選んで調理場に持っていく。

世の中に天然もの礼賛の流れがあるが、私はこれに異を唱えたい。既出の東麻布の店でもまた都筑区にある某店でも天然うなぎを提供するが、恐ろしく値段が高い割に硬いと思う。あれが弾力だと言われればそれまでだが、口の中でホロッと蕩けるようなうなぎが私は断じて美味しいと思う。 

渋谷に「うな鐡」という店がある。今は区画整理され綺麗になってしまったが、井の頭線の出入り口に程近い大衆店である。30年も前になるが私の様な薄給のサラリーマンでも食べられる店だった。この店はうなぎを水に付けて焼く、それによって無駄な脂が程良く落ちて、よく蒸したうなぎと蒸さないうなぎの73近く蒸したうなぎ寄りの物を提供する。1000円で食べられるうな丼は特筆ものだ。 

うなぎ懐石なる店がある。フランスのタイヤメーカーのランキング本にはこの手の店が星を付けて載っているが私に言わせればうなぎはうなぎである。邪道以外の何物でもない。

横浜に住むようになって東京に比べて美味しいうなぎ屋が少ないことに驚かされる。辛口の「八十八」とやや甘口の「わかな」が双璧であったが、「八十八」は残念ながら数年前に無くなってしまった。山口瞳氏の著作にも登場するその「八十八」が昨年の開港祭で期間限定復活したのである。私が「八十八」の話題をブログに書いていたところ、相手よりお誘いのメールが来た。もちろん、誘いに乗ってのこのこ出掛けて行きうなぎ弁当を4つ買い求めた。そのお味はこれ以上ない美味しい辛口のぎりぎりの旨さ(これ相当な褒め言葉)。店の復活も期待される。

週末鎌倉で過ごすことの多いこの頃は自転車でお昼を食べに行くことも多く、由比ヶ浜通りの「つるや」はお薦め。原材料高騰の時も旧価格を維持していたが、つい最近1割値上げしたがそれでも他の店よりは安い。何しろここのご飯が美味しい、ふっくらとして炊きたてのそれはつやつやしていてうなぎのたれを身にまとい妖艶といえる代物である。あればの話だが、うなぎの肝を使った「きもつく」は酒のあてには最高である。これ以外にも鎌倉には他に若宮大路のK家やA家などもあるが、私にはやや甘口でやはり「つるや」を選んでしまう。 

数十年前に私の車の師匠でもある翁に帝釈天の参道にある「川千家」「K甚」に連れて行ってもらった。どちらも美味であったが、団体客が多いK甚より「川千家」が贔屓になった。ここのうなぎはかなりレベルが高いが小一時間待たされるのはご愛敬である。

老舗のうなぎ屋の中には予約の中々取れない店もある。浅草にある「H小川」もそうである。予約が取れないのは仕方ないにしても、あの無愛想な電話の応対は如何なものであろうか。人柄の良いご主人が焼くうなぎは辛口でさっぱりしていると、かの作家も書いていたのに残念である。神田明神下にある「K」も食わしてやるという気持ちが見え見えである。

本店は神田にある「菊川」も好きである。近いので用賀に行くことが多いが、この店は最初から「うちは味の不安定な天然ではなく吟味した養殖物を使う」と明言している潔さも良しとしたい。特にお薦めは白焼き。

あーあ、お腹が空いてきたまだ9時だ。今日は墨田に所用がある。帝釈天も程近い、よしと思う横から今日は時間がないと言われた。言われれば言われるほど食べたい。それがうなぎである。曼の意味を持つ「つやつやのふっくらしたうなぎ」こそ鰻なのである。
 
「はっさんちょいと山椒掛け過ぎやありませんか?」「いや、いいって?」このブログサンショウ願います・・・・・・・