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2011年1月26日水曜日

福袋とバーゲンセール

ポン**とかポ***という会員限定のクーポンサービスが大盛況のようです。

妻の友人も多くが利用しています。確かに初めてのお店に行くには便利かもしれません。ファーストトライとしては・・・・確かに納得です。

しかし私は実はこの種が全くダメなんです。全く全くもって信用できないのです。

以前ファッションの流通業界で働いていた頃に福袋の袋詰めを行ったことがあります。早朝から寒い中何時間も並んで意地でもその福袋をゲットしたい人の気持ちが全く分かりませんでした。

さらに、装飾品担当でフロアー担当もしていた頃、沢山のテナントに呼び掛けてスーパー****なるバーゲン企画をしたときもなんでこんな商品買うのと???と思いっきり引いていたのです。

本多静六氏の蓄財法を持ち出すまでもありませんが、費用の前払というやつはマネタリーベースでは大変な効用です。要件を備えれば税法でも認められている立派な節税なのです。

しかしです。自由意志を阻害する恐れのある行為(簡単にいってしまえば行きたいとき行く、行きたくない時行かない)は私の消費行動にはないのです。何故なら、それはお金を使うことが完全なる自由意志にならないからです。

もちろん妻にはそんなところは全くありません。私だけが頑なに信奉している消費哲学なのです。

下流社会の著者M君、こんな考えはおかしいの?アーバンからサバ―バンに移り住んだ悲哀ですか???

分かりません・・・・

包摂する社会 

菅首相の演説に使われた包摂する社会とは、その中でも公務員や行政のみならず社会全体が弱者を幇助する社会の構築に向けて考えると言う意味合いの言葉でしたが、このところブログで何回も申し上げている「他者との孤立」「個人主義の肥大化」にも関係します。

確かに「無縁社会」「孤立社会」は顕著にあちこちで見られます。

しかしながら、従来型の構造を社会が持ち続ける(持ち続けるベクトルがどうしても強い気がします)ならばこの社会的包摂も意味をなしません。

社会的包摂を説くならば同様に国民に自己犠牲を問うべきです。この両論なくば論理は構築されません。

そうです日本人の最も不得意とする個の自律です。これをどうやって為し得るのかそれこそが社会的包摂なのです。

所詮一時のあだ花というなかれ、タイガーマスク現象はその一条の光となるかもしれません。社会学的に再検証する必要がありそうです。

NIRA 個の自律について

NIRAは財団法人総合研究開発機構 National Institute for Research Advancementの略です。

この機構の理事長をしているのが伊藤元重教授です。確か数年前に日銀総裁も囁かされましたがすっと身を引いてこちらの職におります。ときおり彼らの発表を観察しています。

我が国の経済はマスコミに露出する慶大教授のK氏や財政で言いたいことをいっているJ氏(こちらはK野ではなくJ野です)などによって言いたいように言われていますが、私には違和感どころかこんなやつに政策を任せられないと思っているので、このNIRAの発言は自分のためにも必要な安定剤なのです。

今回のこの発表の詳細は是非HPで見て下さい。何より拍手を送りたいのは、欧米型の雇用と社会システム、日本型の社会システムの良い所だけ部分入れ替えをしてもきちんと作用しないという点です。そうセットになっているものをバラバラにして組み立ててスイッチを入れてもうんともすんともいわない機械だということです。

http://www.nira.or.jp/pdf/review49.pdf

筑紫楼  ご馳走




恵比寿で私が居酒屋をやっていた同じ頃に産声を上げた筑紫楼さんが今では都内5.6店舗の展開をしています。

今日はいつもお世話になっているO社長のお呼ばれで恵比寿の筑紫楼でランチを戴きました。

場所は元千代田生命のビルです。

O社長の言うように中華は色々と分け合って食べれるところが嬉しいです。

名物のふかひれスープを白いご飯にのせて食べると至福の味です。デザートの杏仁豆腐も普通のお店のそれとは違います。もし食べた事のないならば是非お勧めします。決して甘すぎません。

本当にひと月分の滋味を戴きました。これなら風邪も大丈夫でしょう????

ご馳走様でした!!!!!

アブダクション チャールズ・サンダース・パース Charles Sanders Peirce

チャールズ・サンダー・パースという論理科学者をご存じだろうか?彼は父親をハーバードの教授に持つ秀才で後にアメリカで最も偉大な論理学者といわれはしましたが、多くの人生を赤貧で暮らした人でもあります。

その彼が演繹法と昨日法とは別にもう一つの思考法があると唱えたのが、このアブダクションという考え方です。一般には日本語で推論とか仮説と訳されます。

確かにU理論などはこの方法を昇華させた考え方のように思います。

そういえばスコラ哲学の中で「オッカムの剃刀」という原理があります。これはある事を説明するのに必要以上に多くの実体を仮定するべきでないというものです。

しかしこれとて後にアインシュタインによって「必要以上に簡素化するにも限度がある」といって論破されたのです。

一応、基礎素養としてアブダクション程度は理解しておきましょう。