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2013年12月24日火曜日

味の大関

子供の頃の私はいつも腹をすかせていたような気がする。あの頃はいくら給食をたくさん食べても放課後のバスケットの練習ですぐにお腹が空いていた。家に帰っても誰もおらず、その空腹を満たすのは煎餅だった。前にも書いたが、隣の家はパチンコ屋に景品を届ける仕事をしていた。時折、洗剤やらお菓子を頂いた。その中に煎餅が混じっていたのだ。煎餅の名前は忘れたが、袋には国定忠治と赤城山が描かれていた。醤油味のその煎餅は一枚でも十分な大きさだったが、空腹の子供には一袋食べるのは朝飯(夕飯)前だった。とっておきは冷蔵庫からバターを取り出して、せんべいに直接付けて食べるのだ。これが醤油の香ばしさと相まって最高のご馳走だった。ただ、母に見つからないように煎餅の跡のついたバターをならしてそっと冷蔵庫にしまっておかねばならなかったが。

家と中学校の中間あたりに商業高校があった。高校の前にインスタントラーメンだけを食べさせる店があった。店の名前は忘れたが、色々なインスタントラーメンの名前が壁に書かれていた。それぞれ料金が微妙に違った。当時、カップに入ったラーメンは発売直前でまだ見たこともなかった。暫くして同級生の一人がこのカップラーメンで家を新築したとクラスで公言していた。話によるとカップラーメンを発売したN製粉の株を持っていたそうで、株が値上がりして大変な儲けになったようだったが、株にも家の建て替えにも縁のない私はうわの空でその話を聞いていたのを覚えている。
その店で私が頼むのは決まって「味の大関」というインスタントラーメンだった。他のラーメンより10円近く安かったからだ。インスタントラーメンにも地方色があるということをこの時知らなかった。このラーメンはあまりメジャーではなかったようだ。たまたま工場が同じ県内にあり、輸送も簡単だったため流通していたのだろう。後になって東京の人に聞いても何それと知らん顔をされた。近年ではこのメーカーのカップ焼きそばが売れてテレビでもCMを流すようになり、その名前も知られるようになったが当時は無名のメーカーだった。
ラーメンの器にはラーメンとスープ以外何も入っていない。玉子どころかキャベツのキャの字も見当たらない素のラーメンだった。
時間まで働いている母を労るというより、己の食欲を満たすため少しでも早く夕飯になればと自分に出来ることはしていた。お米を研ぎ、水に浸し、そしてコメをざるにあげておく、味噌汁の出しまでとっておく。その程度まではいつも済ませていた。お陰で一人になっても自炊は苦にならなかった。

醤油味のお煎餅と味の大関、あの当時も私の胃袋の最強のリリーフピッチャーだった。