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2013年5月23日木曜日

賞賛と叱咤


賞賛と叱咤
昨日、ヨコハマナガゴミムシの事を教示戴き、私のような老人ロードバイカーの依頼にもかかわらず歩いて迂回路を見つけてきてくれた稀有な河川管理局の職員より直接お礼の電話があった。お礼のお;礼である。私はその方の迅速な対応にお手紙で賞賛した訳で特別な事をした訳ではない。本当に恐れ多い電話であった。

多くの日本人は苦情こそ言うが、感謝の気持ちを相手に伝えない。日本人は阿吽の呼吸という言葉を使い、言葉は無くても理解できると己の無恥さを棚に上げている輩が多い。だから私は阿吽の呼吸という言葉を使う事が大嫌いだ。

怒ると叱るの違いはご存知だろう。人数の差こそあれ、この違いも分からずに人の上に立つのは問題である。怒るのは人間も動物なのだから仕方が無い。生態的危機が発生すれば昆虫だって怒る。怒るとはそういうものだ。では叱るとはどういうことだろう。辞書には相手の行動を修正し、正しい道に導きだすとある。つまり重箱の隅をつつき失敗した問題を検証するというよりその後を考えて励ます意味合いが強い。叱るとは叱咤することなのだ。

では賞賛との違いはどこだろうか。叱咤は相手以外の他の人に伝える必要は無い。一対一でよい。社員を叱咤する場合も同様であろう。ところが賞賛となるとこれは一対一では宜しくない。他の人に分かってもらう必要があるからだ。

賞賛には思わぬ波及効果がある。その人のモチベーションが上がると同時に組織全体に幸せオーラが降りてくる。これは常々いっている良い循環を起こす引き金にもなる。官庁に勤める人を一羽一からげに揶揄するよりも、彼女のように一人ひとりを見て評価しなければならなのだ。そして組織が少しずつ良くなっていく。

私は名刺入れの中にこんなカードを入れて持ち歩いている。これは私のホームリゾートでスタッフに何か嬉しい事をしてもらったときにその人の名前を書いて帰る際に支配人に渡すカードである。やはり欧米は日本よりこのモチベーションの効果を認識している。

私は社会的影響力が無いから人に賞賛出来ないと思っているとするならばそんな事はない。私のようにお礼の手紙を書けばよいのである。心をこめてその行為を賞賛すればいいのだ。ただし、宛先はその人の上司または上長にあたる人にする必要があるのだが。




バブルとGHEEの思い出


バブルとGHEEの思い出

八十年代というのは何かとしぶとく私に纏わりついてくる。振り払ったかと思うと突然、私の目の前に現れ自分がその時代にいた事を思いださせる。
お洒落やファッションが何たるかなど知るはずもない年端のいかない若造が神宮前周辺で仕事をしていた。仕事をしていたと呼べるほどのものではなく要するに使い走りである。
それでも最先端のファッションを提供していた会社に入り込むことは出来た。
アパレルメーカーが経営する飲食店も多かった。表参道にあったKEYWEST CLUBもそんな一つだった。あの頃こうしたお洒落ら店で何故か安く飲む事が出来た。きっと諸先輩のお陰であったと今は思う。
あの頃から食事には煩かった。お金も無いのに女の子にカッコの良いところを見せようとカフェバーではない美味しい料理を提供する飲食店で食事をした。お金が無いのだから高い店はNGである。かといって美味しくない店は尚更NGである。安くて、旨くて、カッコ良いこれが条件だった。
GHEEを初めて訪れた時、ここは今までのインド料理店とは違う雰囲気だった。見た事も無いのにセイロンのようだと思った。あの頃はスリランカではなくセイロンだった。何故かそう思ったのか分からなかった。(後に新婚旅行にこのスリランカに行く事になるのだが)
とにかく内装がお洒落だった。周りはバブルの前夜、1億2億という内装の店も珍しくなかった。私はこの店で「ハズシ」という言葉を知った。お金があってもお金があるように見せない。拘りが少しだけ分かる人にだけ散りばめられていた。
白い木製の窓枠に、真鍮の取っ手が付いていた。窓の景色は南国風であるがエスニック過ぎない。流れる音楽のボリュームも大きすぎない。私は一辺で気に入った。
ここのカレーは兎にも角にも香辛料がドーンと入っている。ドーンである。舌や口の中で、もごもご、ごそごそした。それが良かった。GHEEというのはカレーに使う油のことだ。他の香辛料もないのに、知ったかぶりをしたくてこのGHEEを明治屋で買い求めて家に置いていた。恥ずかしいような甘酸っぱい思い出とともにこのGHEEはいつしか冷蔵庫から消えていた。
あの味はもう無い。渋谷のチャーリーといいこのGHEEといい今になって懐かしい。
内装集団のスーパーポテトが彗星のように続々とカッコのいい最先端の店を作っていた。その横で傾いた建具のまま、GHEEは皆に愛されていた。
巷ではこの店のレシピを教わったオーナーの知人の息子が市ヶ谷でカレーの店を開いているという。行きたい気持ちはやまやまであるが、もし違っていたらあの頃の思い出が別の姿に見えてくるかもしれないから止めておく。GHEEの味憶はそのままで。