このブログを検索

2013年5月23日木曜日

バブルとGHEEの思い出


バブルとGHEEの思い出

八十年代というのは何かとしぶとく私に纏わりついてくる。振り払ったかと思うと突然、私の目の前に現れ自分がその時代にいた事を思いださせる。
お洒落やファッションが何たるかなど知るはずもない年端のいかない若造が神宮前周辺で仕事をしていた。仕事をしていたと呼べるほどのものではなく要するに使い走りである。
それでも最先端のファッションを提供していた会社に入り込むことは出来た。
アパレルメーカーが経営する飲食店も多かった。表参道にあったKEYWEST CLUBもそんな一つだった。あの頃こうしたお洒落ら店で何故か安く飲む事が出来た。きっと諸先輩のお陰であったと今は思う。
あの頃から食事には煩かった。お金も無いのに女の子にカッコの良いところを見せようとカフェバーではない美味しい料理を提供する飲食店で食事をした。お金が無いのだから高い店はNGである。かといって美味しくない店は尚更NGである。安くて、旨くて、カッコ良いこれが条件だった。
GHEEを初めて訪れた時、ここは今までのインド料理店とは違う雰囲気だった。見た事も無いのにセイロンのようだと思った。あの頃はスリランカではなくセイロンだった。何故かそう思ったのか分からなかった。(後に新婚旅行にこのスリランカに行く事になるのだが)
とにかく内装がお洒落だった。周りはバブルの前夜、1億2億という内装の店も珍しくなかった。私はこの店で「ハズシ」という言葉を知った。お金があってもお金があるように見せない。拘りが少しだけ分かる人にだけ散りばめられていた。
白い木製の窓枠に、真鍮の取っ手が付いていた。窓の景色は南国風であるがエスニック過ぎない。流れる音楽のボリュームも大きすぎない。私は一辺で気に入った。
ここのカレーは兎にも角にも香辛料がドーンと入っている。ドーンである。舌や口の中で、もごもご、ごそごそした。それが良かった。GHEEというのはカレーに使う油のことだ。他の香辛料もないのに、知ったかぶりをしたくてこのGHEEを明治屋で買い求めて家に置いていた。恥ずかしいような甘酸っぱい思い出とともにこのGHEEはいつしか冷蔵庫から消えていた。
あの味はもう無い。渋谷のチャーリーといいこのGHEEといい今になって懐かしい。
内装集団のスーパーポテトが彗星のように続々とカッコのいい最先端の店を作っていた。その横で傾いた建具のまま、GHEEは皆に愛されていた。
巷ではこの店のレシピを教わったオーナーの知人の息子が市ヶ谷でカレーの店を開いているという。行きたい気持ちはやまやまであるが、もし違っていたらあの頃の思い出が別の姿に見えてくるかもしれないから止めておく。GHEEの味憶はそのままで。




0 件のコメント: