オニオングラタンスープ シェ・アヅマ
寒い時期には誰もが暖かいスープを求める。東海岸ならボストン風のクラムチャウダーがいい。南部に行ったならばオクラのたっぷり入ったカンボスープか。犬友のK井ご婦人のつくるそれは素晴らしい。一家はニューオリンズで暮らしていたというから味は本場仕込みで黒人たちの労苦まで織り交ぜて深い味になっているようだ。私にとってはタンシチュー同様、これを食さないと年が越せないそんな代物である。
私が初めてオニオングラタンスープを食したのは1987年の11月の土曜日だった。
この日のことは今でも良く覚えている。何故なら翌日大韓航空機が日本赤軍にハイジャックされ一面この報道で埋め尽くされていたからだ。
車で134号線を松波を右折し逗子に向かった。逗子の渚橋のファミレスで少し早目の昼食をとることにした。その時、生まれて初めてオニオングラタンスープを頼んだ。スープにはパンが切って落とされてその上にチーズが溶けている。器も熱々になっていた。
人生において食べる機会のなかったものというのがある。私の場合、食べることは生命の維持を図ることが第一目的であり、その他の物はずっと後になってついてくる。オニオングラタンスープもそんな仲間だった。
一口飲んで体中の細胞に滋味が行き渡ることが実感できた。寒さで縮こまっていた細胞が復活するように。それ以来、美味しいオニオングラタンスープを探し求めている。
事務所からほど近い並木橋の袂(これが袂という言葉がぴったりの場所)にシェ・アヅマがある。シェフは鉄人にも出演していたベテラン料理人である。席数のそう多くない店内はいつも美味しい逸品を求める老若男女で犇めいている。
私はビストロが好きである。レストランとは違うビストロである。辻静雄氏の著作にはビストロの語源はコサックの兵隊がパリの料理屋で「すばやく済ます」という意味が転じて呼ばれるようになったと書いてあったと記憶する。(当時は外で食事することは禁止されていた)だからビストロの料理はだらだらと遅いのでは困る。皿数もそう多い必要はない。ただし、念入りの仕込みが肝要である。鴨のコンフィに至っては食材と火入れの妙が大きくものをいうし、子羊のナヴァランは丁寧な下処理が大切である。断っておくがもしあなたがこの店で子羊のナヴァランがメニューにあったならば(いつもあるわけではない)迷わず注文することをお薦めする。私の少ない経験ではあるがここのナヴァラン程バランスのとれた逸品は食べたことがない。至福の極みである。
話はオニオングラタンスープに戻そう。ここのそれはまさに看板メニューである。客のほとんどが頼むと言っても過言ではあるまい。オニオングラタンスープといえばただ長くオニオンを調理すればいいのかと言われればそうではない。きちんとしたタイミングで鍋からオープンに移し玉ねぎの甘みを生かしながら調理する。経験がものをいう料理なのだ。
今日も熱々のスープを口に運ぶ。口福とはまさにこの一瞬である。熱チィ・・・しかし火傷必至である・・・・・・・・。我が家は暫く寿司屋でお節を注文していた。しかし、ある年のお節は冷蔵庫に入れていたのだが元旦までもたなかった。それ以来、その寿司屋には行っていない。今年はここシェ・アヅマにお節を注文することにしよう・・・