このブログを検索

2012年10月9日火曜日

イノベーションのディレンマ

山中信弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞おめでとうございます。

いつかは受賞する業績ではありましたが、近年のノーベル賞は慎重になりすぎるきらいがあり、画期的な業績を残してもそれが間違いでないと判明するまで、過去の倏疴からか中々受賞させない傾向にありました。よって受賞者は高齢になり、場合によってはこの世にもういないなんてことが多くありました。ですから、今回の受賞については研究者のはしくれである息子も驚いていました。

しばらく前に写真の本を読みました。内容は端的に言ってしまえば、優秀な経営者のもとでは画期的製品=イノベーションは生まれないというものです。



確かに多くの日本企業はそこらじゅう見回してもその手の例にもれません。

物作り大国として海外に胸を張っていた大企業メーカーはこぞって優秀な社員を獲得していきました。大学生も自分の優秀さをはかるスケールとしてA数を多く引き連れてこれらの企業に就職しました。結果、保守的になりエリート経営者を生みだし、過去の遺物を引きずったのです。

ある液晶メーカー(すでにこの手の呼び方に変わっている)など好例です。

では何故、山中教授はこの画期的発明が可能だったのでしょうか。彼がエリートでないなどとは言いません。しかし、彼の何が普通のエリートと呼ばれる人と異なっていたのでしょうか。

私が彼の略歴を見る限り、決して一直線の道程ではなかったような気がします。まずはお決まりの臨床医としてデビューします。それも内科医ならまだ分かりますが、整形外科医としてです。

その彼が色々な人との出会いを通じて、本研究に至った訳です。まさに一直線、最短距離の成功ではなかったが結果としてまだ若い年齢での受賞に至った訳ではないでしょうか。

つまり、遠回りをした結果、彼には多様性のある人々が集まり、さらにその中で今までの慣習や制度に囚われない自由な発想を後押ししてくれるパトロンが現れ、研究が進んだとみられます。

そうです伊藤穣一氏の言う「コネクト」であります。

確かに彼の在籍する京大はその校風からして自由で風通しがよく、権威的で保守的な東大と比較されます。

そうしたすべてのセレンディピティが次から次へと登場し、たまたま結実したということではないでしょうか。

ノーベル賞そのものが時代と共に変遷し、本来の意味から少し距離を置き、自らが権威的となり、若い研究者の励みというよりも、象徴的となりつつあったことに、この受賞が反撃してくれたことは私には嬉しい事です。そして、息子達にはさらに「パンのため学問はするな」と強く伝えたいと思います。