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2011年9月6日火曜日

人面魚 

ヨシヒコは中学生になっていた。といっても通う中学は小学校の隣で、生徒は小学校の生徒がそのままスライドして中学生になったようなもので、新しい顔ぶれはなかった。そんな中、父親の転勤で隣県の埼玉から転校してきた女生徒が一人いた。名前はヨウコといった。少し日に焼けたショートヘアの似合う彼女は笑うとエクボのできる子だった。彼女には何かはっきりとは分からないのだがこのあたりの子とは違う都会的な雰囲気があった。彼女の家はヨシヒコの家のすぐ近くにあった。借家だというその建物は白くペンキの塗られた瀟洒な建物だった。小さいながら庭もあり、芝生の緑がまぶしかった。それに引き換えヨシヒコの家は戦後建てられた「文化住宅」という安っぽい平屋の建物だった。ヨシヒコには何が「文化」なのかまったく理解できないでいた。

あの恐ろしい深く澱んだ淵のことを忘れかけていた夏のある日、ヨウコがヨシヒコを呼びとめた。

「ヨシヒコ君、土曜日、面白いもの見に行かない?」と突然ヨウコが話始めた。

ヨシヒコはバスケ部に入り、土日も練習だった。ただ今週の土曜日だけは練習がない。この地域の投票所として体育館も練習場も使えないのだ。ヨシヒコは毎週でも選挙があれば良いのにとありもしないことを考えていた。

「何を見に行くの?」

「面白いもの」

「だから面白いものって何?」

「いいの、いいの行けば分かるから」

その面白いものはここから自転車で1時間ほど走ったM町にあるという。M町に人家は少なく一面、田圃ばかりだ。舗装されてない農道の横には用水路が流れていた。

ヨシヒコは小学生の時、このM町にザリガニ釣りに来た事を思い出した。ザリガニ釣りとは言っても、木の棒に糸をくくりつけて、その先にサキイカを結ぶだけのもの。それでもサキイカは「なとり」じゃなきれば釣れないなどと友達と話していた。ザリガニは2種類いた。正式には過去形である。以前は毒々しい赤い色のとげとげのしっかりしたザリガニではなく、ほっそりしてどちらかというと海老に近いようなザリガニもいたのだが、繁殖力の強い侵入者に淘汰されてしまったのだ。

その日は強い夏の日差しが容赦なく体をさすように降り注いでいた。

ヨウコはブルーのサッカー地のショートパンツに白いTシャツで短い髪を後ろでかろうじてしばっている。一方、ヨシヒコはつい最近同級生とお揃いで作った二本線のエンジのジャージに、上はランニングだった。ランニングには紫でアメリカのプロバスケットのチーム名が書かれていた。ヨシヒコは母親に部活に行くといって出てきたのだ。

M町に近づくと、田圃からカエルの声が大きくなってくるのが分かる。ヨシヒコは蛙は苦手だった。何故か蛇もトカゲも平気なのに蛙だけは苦手なのだ。

当時、一番最初にする解剖はフナだった。そして次はカエルだった。このあたりではフナもカエルも自分たちで捕まえてこなければならない。時給自足なのだ。若い理科の女の先生がヨシヒコを指名した。こういうときヨシヒコは要領がよい。あたかもみんなのためというしたり顔で、授業を抜け出すお墨付をもらい、子分を数名を引き連れて蛙を捕獲に出掛けた。そのときもヨシヒコは一切蛙に触りもしないし、探したりもしなかった。6匹の蛙を捕獲したのはヒデオとモトヒサだった。ヨシヒコは剥き出しになっていた体育館のコンクリートの階段に腰をおろし、二人の作業をぼんやり眺めていた。

自転車は埃を巻き上げながら目的地についた。その場所からは見渡しても人家は見当たらない、田圃に囲まれた小さな池だった。電燈も一切ない。小さな池には無数の泡が見える。魚がいるらしい。ヨウコは池の右端の少しくぼんだ所を指さし、あれがその目的のものだとヨシヒコに告げた。

それは鯉だった。ヨシヒコは以前、鯉を飼っていたことがある。釣り堀で釣り上げた鯉をそのまま飼っていたら2倍近くの大きさになったが、一緒に飼っていたメダカは全部食べられてしまった。

その鯉は「ドイツ鯉」という種類だった。正式な名前か分からないが、みんなそう呼んでいた。
ヨウコの指差した先にいた鯉は少し鈍ったような金色をした大きな鯉だった。鱗の大きさが一様ではなく、大小の鱗が左右対称に並んでいた。ヨウコはその顔が人の顔に見える人面魚だと言っていた。確かにそう見えなくもない。しかも、その顔は当時人気のあったフォークグループのボーカルをしていたコウセツに似ているという、コウセツ鯉だった。ヨシヒコは鯉に似ているといわれたその人を頭の中で想像したが、旨く結び付かなかった。

自宅近くにもどってから、いつもの駄菓子屋に二人ではいった。ヨシヒコは袋に入っていたベビーラーメンを台紙からむしり取ると、テーブルに置かれていただ薄い液体の入ったお椀の中にパラパラと落とし入れた。鉄板は熱くなっていた。その液体を流し入れるとジューという音と共に、目の前のヨウコの顔が白い蒸気の中に隠れた。

二人はさして会話もせず、せっせと土手を作っては壊し、ヘラで器用に口に運んだ。熱い口の中にあくまで人工的に色づけされたチェリオのグレープを流して、冷ましながら。

店を出ると夕闇が迫っていた。ヨシヒコはヨウコに明日またといって分かれた。

ヨシヒコのコイの話。


深く澱んだ淵

ヨシヒコは学校からの帰り道時折り遠回りをした。家から学校に行くにはその遊水地を横切って行くのが早道だったが、朝ならともかく夕方の遊水地の森は不気味だった。
 実際にヨシヒコが小学校に上がる前に、3軒隣のタツオ君が行方不明になった事件があった。神隠しではないかとか、ひとさらいに攫われたとか言われたが、次の日の朝、タツオ君は大きな樫の木の根元で眠っているところを警察官に見つかった。タツオ君は無事だった。当時のタツオ君の話によると、白くま(みやまくわがたの大型で産毛が生えていて白く見えるからこう言っていた)を探しに森に入って暫くすると、遠くで梟の鳴く声が聞こえ、猛然と眠くなってしまいそのまま意識を失ってしまったようだ。

 今日は一緒のはずのコウイチロウが掃除当番をさぼって、ヨシヒコ一人で掃除をするはめになった。同級生のオサムも手伝ってくれたが、理科実験室がその日の当番だったので、普通の教室のように一気に机や椅子を移動させて掃除をすることが出来ない。ヨシヒコは理科実験室の掃除が苦手だった。

ガラス製の容器を丁寧に扱わなければならないこともあったが、ホルマリンに漬けられた蛙やイモリを見るのが嫌だった。ヨシヒコには何故、彼らがホルマリンに漬けられているのかもっともな理由が見つからない。この容器の中の生物のことを授業で説明を受けた事もなければこれから受けるであろうとも思われなかった。ただ理科実験室の装飾品のようなホルマリン漬けが哀れでならなかった。
 理科実験室の掃除を済ませると、タケシとモトヒサが帰るところだった。ヨシヒコと一緒に校門を出たときに西の空は茜色から、群青色に変わろうとしていた。二人はヨシヒコの家とは反対方向で校門を出て、ヨシヒコは右手に、二人は左手に分かれた。

 ヨシヒコは今日も遠回りして帰ろうかと思ったが、まだわずかながら太陽の光もあり、早く家に着きたいと言う思いで遊水地の森を真っすぐ抜ける道を選んだ。

 この森の奥には池がある。夏の間は苔なのか水草なのか分からないが、緑色が一面に広がり中の水が見えない。秋になるとその緑は消え失せ、今度は底の見えない水面が顔を出す。その澱んだ淵の反対側に小さな祠があった。祠は苔蒸していて文字が書かれているのだが何と書いてあるか分からない。

 ヨシヒコは足早にその淵を見ないように歩いていた。プチッという音が足元で聞こえた。数日前に母親に買ってもらったばかりの黒キャンパス地のコンパースのバッシュの紐が切れた。ヨシヒコはその場にしゃがみこんで紐を繋ごうとしたがその切れ方は鋭利に刃物で切られたように2か所も切れていて結び直すのは簡単ではなかった。そうこうするうちにあたりは暗くなり、ブーンというモーターの唸るような風の音が聞こえた。

 風の音と一緒に誰かの呼ぶ声が聞こえたような気がした。声はアツシ君に似ていた。

アツシ君は生まれながらに脳に障害を持ち、いつもは通級棟で授業を受けていたが、ときおりヨシヒコのクラスにもやってきて授業を受けていた。アツシ君はとても優しい子だった。いつだったか誰かにいじめられ血だらけになって怪我をしていた猫を拾ってきてただ抱きしめて涙を流していたこともあった。そんなアツシ君であったが、子供は悪魔である。いじめの対象でもあった。反撃しないことをいいことに、多数で鞄を隠したり、机の中にカエルを入れたりされていた。でもアツシ君は怒ったり、反撃したりしない。ただ、笑うだけだった。

 そんなアツシ君が死んだ。もともと心臓に持病を持ちそのことが原因で死んだらしい。葬儀には先生とクラス全員で出掛けた。アツシ君の遺影の写真はいつもの笑い顔で、頭に木綿の紐付の帽子をかぶっていた。次々と焼香を済ます人に両親は頭を下げていたが、その両親の顔には何となく安堵の色が窺われた。ヨシヒコはそのことを言うのは不謹慎だと思い、そっと胸の中にしまいこんだ。

 風の音がピタリと止み、人の声も聞こえなくなった。祠のあたりに黒い影が見える。人なのか動物なのか分からない。その影は形を変えながら祠の周りをうろついていた。人と犬の中間くらいの大きさだ。ヨシヒコは結びなおせていないバッシュをつっかけるように履きなおし、慌ててその場から走り出した。胸の鼓動は高まり、心臓が口から出そうなくらいだ。
何者かが後ろからヨシヒコを追ってくる気配がした。ヨシヒコは振り返らず遊水地の門の街灯目指して猛スピードでダッシュした。

 家では夕餉の準備が終わっていた。母子家庭のヨシヒコは母親が帰って来てから夕食を作るので手の込んだ料理は食べられない。この日も屋台で売りに来た6個のシューマイと千切りのキャベツ、味噌汁と漬けものにご飯だった。ヨシヒコは額の汗をぬぐい食卓についた。





なでしこ応援  葱ぬた わさび芋

なでしこの試合が予想より早く始まってしまいました。

なでしこの応援には日本酒だろうと菊正宗のピンを買い求め、シンスケの料理に習い「葱ぬた」を用意し、並木藪を模して「わさび芋」を仕込み、鴨焼をしようと鴨を探しても季節外れの由、鴨はおらず仕方なく牛肉でタタキをこしらえ、マグロの赤身と楽しんでおりました。

それにしてもわけぎ1把を使ったぬたの美味しい事、日本酒は肴で決まるということです。

わさびも本わさびを使うと何とも言えぬ甘さが出るのです。旨めぇ!!

以前、17年も居酒屋を開いていたと申しましたが、実際には「シンスケ」や「金田」のような店とは程遠く、売上をあげるためマーケットを意識し、メニューを考えていたのです。

今となっては若かりし頃の自分が如何に浅はかだったか良く分かります。顧客は「儲けている」と感じたときその店を離れるのです。一言も言わずに。これはどんな商売にも当てはまります。

ですから本当の営業力というのは相当の「やせがまん」か相当の「財力」が必要となってくるのです。

今なら自分の納得できる仕込みをした時だけあけるお店も出来るでしょうが、当時の雇われマスターの私には到底出来なかったことです。

それともう一つ忠告をしておきます。親類、友達を問わず一度口にしたことは有言実行した方が良いという戒めです。20代の若者ならいざ知らず、家庭を持って社会に出ている大人が一度口にしたことは撤回は出来ません。するとすれば相当の覚悟が必要です。何故なら相手はそのことですでに善意で動き出しているからです。それを踏みにじる行為は結局己に返っていきます。

友達に関して言えば、そういう輩を排除して今の友達が残っているのですけどね・・・

なでしこは偉い!!有言実行です。少しも尊大な所がない!!

そうこうしているうちに菊正宗の5合は空になり、妻は寝床で高いびきです。

明日も男子なのでそろそろパジャマに着替えて眠る事にします・・・・・