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2014年3月17日月曜日

相対化と絶対化

 私も含めて歳を取ると物事をはっきりと白黒つけたがる傾向がある。私も注意しなければならないと自省する。
「下流社会」の著者は私と奇しくも同期である。彼は社にいた頃から都市と郊外について文化的側面も踏まえて考察してきた。だから彼の言う「ファスト風土化」という言葉も頷ける。

 私の住んでいる田園都市沿線は彼の言う典型的郊外である。多くの人が都心に働きに出掛け、夜遅く寝るためだけに戻ってくる。同じような小田急線も同様に典型的郊外を形成する。三浦しおんの小說「まほろ駅前多田便利軒」は同名のモデルとなった町田駅を中心とした小說であるが、現実の町田も犯罪が多く、夜は物騒で歩けない。
彼の言うとおり路上に直に座り、ファストフードを飲み食いする若者もこの沿線に多いのも事実だ。こうした若者は歴史や文化、地域のネットワークから外れ、マイホームレスチャイルドと彼は命名している。

 しかし私はあくまで自分の周りを見るとこうした若者が見当たらない。夜遅く寝るためだけに帰ってくるサラリーマンも多いかもしれないが、私の周りは少数派である。ある友人は親子鷹宜しく息子に野球を教え、甲子園で優秀を果たした。そしてその息子は大学を卒業し無事エリート企業に就職した。その友人はもちろん超多忙である。
また別の友人は大手メーカーの重職を定年で辞した後も、仕事を続けて欲しいとたっての要請を受けメイドインジャパンの先鋒として世界中を飛び回っている。もちろんその子供たちは立派に職を得、結婚し独立を果たしている。

 マーケティングしいては社会学の宿痾のものとして仕方のないものなのかもしれないが、相対的に評価しようとするとピントがズレる。マイホームレスチャイルドが出来るとすればそれはそもそも親自体がその素地を持ち、なるようにしてなったのではないだろうか。それに悪い行いのほうが目立つし、話題にもなりやすいだろう。玉石混交ということだと思う。

 地方の郊外化はいけないと食い止めることは出来るのだろうか。ファスト風土化することはいけないことなのか。私には何だか時代に棹さして昔はよかったと言っているようにうつる。ある討論番組で若者が私達くらいの大人に「あなた方が巻いた種で育ってきて、この時代が悪かったというのは無神経すぎる」と言っていた。
彼らは生きる時代を選べない、今あるのが彼らの時代なのだ。相対化しようとすると多様性が見えなくなる。また、絶対化しようとすると潮流が読めなくなる。どちらも注意したいものである。