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2013年3月7日木曜日

お金の話



考えてみると太古の昔よりお金は禍福と深いつながりにある。小学生の時にベニスの商人の短い演劇の脚本を書いたときにお金が初めて恐ろしいものなのだとぼんやり思った。
それ以来、この魔物に取りつかれて家や財産、家族、はたまた命まで無くしていった人を多く見てきた。

バブルの頃だったと思う。今はもう跡かたも無くなってしまったが、新宿に本社を構える証券会社の役員がどこから嗅ぎつけてきたのか、私に100億円借りなさいと薦めた。そして返さなくて良いとも。当時の無知な若者でもその胡散臭さが鼻についた。いや、それどころか身を滅ぼす危うさを感じた。借りなかった。

その人に限らず、こうしておけば儲かるという謳い文句で誘ってくる人がいる。そんなに儲かるのだったら人に言わず自分で買えば良いだろうと思う。
こういう被害にあった人はテレビでも相手が如何に旨く誘い自分は被害者だと強く訴える。でもこういう手合いに引っかかる人にも問題ある。

楽をして儲けたいという欲がある。その欲が目を曇らせる。楽をして儲けられるものなのこの世には無いと断言できる。数億円稼ぐ野球選手だって幼いころからの人並ならぬ努力をしてきたであろうし、ずっと続く訳でもない。
不動産所得をよく不労所得だと言う人がいる。とんでもない、何もしないでいて大丈夫なはずがない。

私の周りには2種類の大家がいる。ひとつは昔からの家業として続けている人達で、この人たちは慎ましやかでかつ疑り深い。もう一方は、お金が出来て、または借りて大家になった人達でこちらは派手で、人の言う事やマスコミをすぐ信用する。

大家業で大切なのは店子に儲けさせてもらっているという感謝の気持ちだ。ところが後者の人達は貸してやっているという奢りの態度が強い。さらにここが肝心なのだが、自分を良く見せようとする傾向が強い。これが全てをマイナスに導く。

例えば前者の人達は一番使いづらい場所に自分の居所を作る。一方、後者は一番目立つ他人から良くみられる場所につくる。私も縁あって都心のホテルの社長室にお邪魔したのだが、それは決して良い場所にはなかった。なるほどホテルは貸すプロフェッショナルである。そのあたりを心得ている。そしてその結果、両者には何十年という間に大きな差が生じる。

後者の人達はネットで買い物はするけれどフェイスブックのようなSNSやブログで情報発信しているような人を見かけない。もちろんヒルズ族の様な人達で豪遊ぶりを他人に見せびらかす人達は居るだろうが、それでもこの文章を読んでいる人達が読者とは思えない。

バブルの頃、借りる事も一つの能力であり、借りたお金も財産だと言う人が居た。今はさすがに言わないだろうが、そんなことあるわけない。借りているものは借りているものなのだ。決して、自分のものではない。

例えばローンで車を買う。その車は決して自分の物ではないのだ。家だって同じ、何十年というローンを払い終えて初めて家を持ちましたと言えるのではないか。
ある人がオフバランスの経営を説いていた。なるほど見え体裁が無ければこのオフバランスが良い事もあるのだ。使わなくなって処分できない別荘地、固定資産税ばかり高い都心の土地、住宅だって家族構成が変化すれば家の形も変わってくる。ならば最初からオフバランスというのも良いかもしれない。

こうしたことは色々な人から教えられた。親戚でアパレルメーカーの社長をしている人は寝覚めの悪いことはしないと言っていた。なるほど寝覚めの悪い金というのも分かる気がする。その会社はこの荒波の中脈々と続いている。

もしその気があるなら一度自分にはどの位お金が掛るのか毎日細かく付けてみると良い。私の場合も驚くほど少ない金額だったのだから。

お金の話は人前でしないというのが江戸時代からの暗黙の了解である。しかし、この江戸っ子気質というのは少し問題である。何故ならこの根底にはどんな種類のお金でもお金はお金と言う考え方がある。極端な話だが着物を質草に入れたお金も、娘を売り飛ばしてコサエタお金も一緒だからだ。だから敢えてお金の話をする訳ではないが、人生を豊かに暮らす方法としてお金の事は気にかけていた方が良いと思う。お金はぼんやりとふんわりとそんな感じで良いじゃないですか?所詮あちらには持って行けませんから・・