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2014年1月24日金曜日

規制緩和の弊害

個人的には規制緩和について原則賛成である。組織の利権を守るために不必要な経費を計上し、挙句の果てには国民にこのツケを払わせる類の規制は百害あって一利なしだと思っているからだ。しかし、そうした規制緩和にも弊害がある。

30年近く前の広告業界には厳しいルールがあった。外資系の広告会社が先鞭した比較広告というものはすでに日本でも広まりつつあったが、広告会社の矜持なのか不明だが、全体で見れば僅かなものだった。それが数年後にはこの手の広告が大手を振ってテレビから流れていた。

それでも国民を遊興に勧める類のパチンコや公営ギャンブルのCMはテレビではご法度だった。ところが、昨今ではそんな時代があったのかとばかりに、昼間からお茶の間に流れている。
プロの競技、例えばゴルフのスポンサーも昔は選別されていた。いくらお金を積んでも公共の電波にのせるには相応しくない協賛はお断りしていたはずなのに昨今ではおかまいなしである。

製薬会社も同罪である。製薬会社の企業イメージの広告や市販薬なら構わない。ところが医師に処方してもらわなければならない薬品もテレビでコマーシャルする。例えばS社はインフルエンザの薬として点滴治療薬を宣伝する。よって、何もわからない高齢者は点滴の治療薬を欲しいと医院に駆け込む。医院ならまだいい、高度医療を旨とする病院にもこの手の患者が押し寄せ、点滴をしろと時間と税金を使わせるのだ。

情報の非対称性が必要な場合もある。それは両者の間に察かに知識と理解力の差があり、全ての情報を流すと混乱してしまう場合だ。それを知っていてあえて流すということなら何かしらの恣意性を感ぜずにはいられない。

儲かれば矜持などいらない。何でもするというのか。規制緩和によって人間としての良心のハードルを下げることはしてはいけない。寝覚めの悪くなる規制緩和はご勘弁を。