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2014年2月7日金曜日

絵画教室

母は素っ頓狂なところがある。貧乏で食べるのもやっとなのに小学校に上るや否や絵画教室に通わせた。家からだいぶ離れた場所にあったその教室は6.7人の生徒に絵画を教えていた。先生は年齢にして30才前後、どこかの学校で教えていて、副業をしていると言うわけではなく、東京の美術大学を出て理由は分からないが実家に戻ってきてこうして子供たちに教えるようになったそうである。

私には赤ん坊の時に死んでしまった叔父がいる。中学生の頃より肺結核を患い若くして他界した。私が幼かったこともあり、離れた山里の療養所で生活していた。覚えているはずもないのだが、優しい口調で絵本を読んでくれたその膝の感覚。先生はその叔父に似ていた。

先生は生徒のやりたいように描かせた。時折、相談に来る生徒には一言二言付け加えるだけで決して生徒の絵を否定しなかった。

私が一番年端のいかぬ生徒であったが心から楽しかった。
絵画教室の行き帰りも楽しい。すぐ近くにパン屋さんがあって中にレーズンが入っていてくるくる渦巻きになった砂糖でコーティングされたパンがあった。初めてそれをデニッシュというのだと知った。そのパンを母に一つ買ってもらうのが楽しみだった。
何ヶ月か通ううちに家計が苦しくなった。私はそんな内情を察してか知らずか、自分から行きたくないと母に告げた。本当に行きたくない訳ではなかった。その月で絵画教室を辞めた。

その後も絵を書くことは好きだった。ところが中学校に入って。美術の先生は型にはめた絵を描かせようと生徒たちに強いた。線がどうの、遠近がどうのと煩かった。一度、あまりに頭にきたのである有名な写真家の一枚を模して提出した。するとその時だけは二重丸の評価にあがった。馬鹿らしくなって絵を描くことも嫌になった。

今でもレーズン入りのデニッシュを見ると、あの時の絵画教室のことを思い出す。小さな家だったが庭には色とりどりの花と実をつける木が植えられていて、近くの山から野鳥が飛んできた。

そんな声を聞きながら無心で絵を描いた。あの光景はずっと今も心の奥に座ったままだ。