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2013年8月6日火曜日

大山鳴動してネズミ一匹  学校のプール開放中止について物申す

大山鳴動してネズミ一匹


私の子供はもう大きくなったので直接は関係しませんが、横浜市では小学校のプール開放を停止しているようです。埼玉県で起こった痛ましい事故が直接の引き金だと思われますが本当にこれで良いのでしようか。一説によると警察庁から各地方自治体に監視をする人間は警備業務に精通した人が好ましいとの狭隘な観点から書類が提出され、資金難に悩む学校は二の足を踏んでしまったようです。こういった書類を作る警察庁も問題ですが、必要以上にオーバーリスクテイクする学校関係者を見ていると今の日本そのものの欠落しているものを見ているようです。教育と言うのは子供に色々な機会を与えて、勉強だけでなく多くの事にチャレンジし、10人10色の特徴を引き出し、社会性を学ばせる事だと思っています。ところがこうしたオーバーリスクテイクは益々個人個人の自主性や多様化を阻害するばかりか、集団を混乱させます。全てが勉強ばかりしている子供だけではありません。親が忙しくて遊びに連れて行く事さえできない家庭もあるのです。そうした子供達はどうやって時間を潰せばいいのでしょう。
先日、悲しい場面に遭遇しました。小学校4.5年生の男の子が駅で出会った母と一緒にいた同級生に向かって、家が貧乏だから学堂に行くお金が無いので、学童にはいけなくなったというのです。それを聞いていた男の子はそうなんだといったきり、そのまま母親に連れられて行ってしまったのです。何も言わなかった母親は忙しかったのかもしれませんが、こうした弱者に対して学校も社会もぽっかりと空間を作って孤立させているようなそんな気がしてなりませんでした。教育とは学校だけでするものではありません。親もそして地域社会も連携してするものです。自分たちのしたことは正しいと思っている多くの日本人はそれが己にとって都合がよいと思っているからなのです。ただそれだけです。だからいじめについても全く根っこは同じです。被害が自分に及ぶと思うからいじめられている人間を擁護しないのです。それを先生たちが率先して行っているのではもはや日本の教育はおしまいです。

教育に携わる多くの人にもう一度輝かしい自分たちの夏休みの事を思い出して下さい。少なくとも私はそれでどれ助けられたか分かりませんから。