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2020年4月14日火曜日

コロナの前の世界、後の世界

2020年世界中をコロナウィルスが席巻し、政治経済活動も大きな変化を余儀なくされている。
私がこの事態(パンデミック)が起こるのではないかと感じたのは2月の上旬に軽井沢を訪れた時だった。武漢を発端にしたウィルスの影響で鎌倉や京都の観光地では中国人の旅行者が激減したと言っていたので、軽井沢もさもありなんと嵩をくくっていた。ところが来場者のほとんどは中国人だったのだ。政府が水際対策をしきりに打ち出していたころである。団体のツアー客は少なくなったが、個人の旅行者は目に見えない恐怖からずっと前に国外に逃れていたのだ。これでは水際対策では甘い。すでに国内に感染源が入り込んでいたのだ。
専門家の言葉もあてにならない。このウィルスは飛沫感染なので戸外ではうつりにくいと言っていた。マスクは必要ないとも。そしてインフルエンザ程度の致死率とも。専門家と言われる人は過去の経験や実績に基づいて発言する。正常化バイアスそのものである。新しいものには全く通用しない。結果、今日の蔓延を招いている。
中小の小売業、飲食業、エンタメ業界も壊滅である。それらの店子に建物を貸している大家にも家賃の値下げや猶予が求められている。大企業も安泰など出来ない。ソフトバンクの1兆円の赤字、オンワードの大幅閉店、航空会社、旅行会社の打撃は計り知れない。誰もが何かしら対応しなければと考え行動しようとするが、こういう時には最適値を求めてはいけないのだ。流れに身をまかせるしかないのだ。
何故ならそれら全ての事は命に比べれば小さいからである。命を守ることが何より優先されなければならないのだ。特効薬がない上に医療が壊滅状態に近い。病院に行くことそのものがリスクになる。今は己の命を守ることのみを考え、この悪魔より怖い見えない敵が通り過ぎていくことをじっと我慢して、次に会う時に「命があってよかったね」と言えるようにすべての価値観をリセットしてみるしかないのだ。全てはコロナの後の世界を見るために。

2020414