あるきっかけで私が40代の時にMBAを目指そうとしたら、時間は有限だからもっと他の事をしようと言われました。その人もMBAホルダーですが・・私には何故なのかその時は分かりませんでした。
しかし、今になって考えると「その事」をしなかったお陰で「色々な経験」をすることが出来た訳です。
結局、人生は「幾千万回の選択の連続」です。まして時間と言うものは均一ではありません。
皆さんは本川達雄氏著書「ゾウの時間ネズミの時間」という本を読んだことがありますか。
動物はサイズによって心臓の拍動も異なり自ずとして時間も変わっていると書いてありました。
そうです時間は相対物なのです。
人間に至っては若い頃より歳をとった方が一年が早く流れると感じた人が多いのではないでしょうか。そう感じた人は全うに生きていると断言できます。
歳をとり、感化されることが多くなり、物や人との関わりが若い時に比べて格段に多く複雑になっている証拠です。
脳は確かに記憶力や多くの機能が老化します。それは生物学的な自然な流れです。
ただし老化しても強化されて行く部分もあるのです。経験や知覚というものは進化します。そしてそれらは学習を通して新たな次元に記憶は「再構成」されるのです。
ここにもう一冊の本があります。
ここにもそんな脳の不思議な事が描かれています。物忘れがひどくなったと嘆いている人には必見です。
ただ困った人もいます。それだけ処理しなければならない情報や事象が多いのにも関わらずリリース出来ない人です。
こんなはずじゃない、こんなことはおかしいといわんばかりです。
全ての事を保持する事は出来ません。忘れるべくして忘れるのです。
「断捨離」も一種の物のリリースです。これが出来る人は人生においてのリリースも出来るでしょう。心配ありません(笑)
最近巷で話題にのぼる「シェア」、「公共」、「ネットワーク」も実は根っこの部分でこの「リリース」があると私は思うのです。
フェイスブックを始めるまで個人の実名制やそれに伴う様々な効果に疑問的でした。
実際にやってみると、つまり呪縛を解かれた(リリースした)ら物事の次の局面が現れてきたのです。
ですから皆さんも自身の呪縛を是非解いて見て下さい(笑)
「下流社会」で有名な三浦展氏がこのたび「第四の消費」という本を上梓しました。
早速購入して読み始めましたが良書だと思います。倍くらいの文章をまとめたと書いてあった通り充実して内容の濃いものです。
この「第四の消費」にも書かれていますが、「つながりを求める消費」とはつまり「リリースした消費」とも読み変えることが出来ます。
物を売りながら同時に共感や情報も提供していく。新しいスタイルです。
色々と記しましたが、結局自分自身でreleaseしているのかretainしているのか考え選択することなのです。
皆さんも如何ですか??選択していますか??
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2012年4月17日火曜日
喉元の骨・・・
糸井さんと私は直接の知り合いでも無ければお友達でもない。ただ前の会社のグループで彼が作ったコピー「おいしい生活」は今でも記憶に新しい。
彼が震災以降ずっと被災地への応援を継続している。もちろん彼に限った事ではない多くの人が善意と自らの信念に基づいて行っている。
私が言いたいのは何と言うかそういった外形のことではなく、彼の根っこにあるもの、つまり幼いころから今に続く原体験において自然とそうした行為をしているように感じたのである。
彼は私より10歳も年上である。恐らく彼が入学したころには学生運動の真っただ中であったであろう。彼の大学はH大学はそうした左翼のアジトだったと聞く。彼はそんな学生運動をどう見たのであろう。
彼は18年間前橋で暮らした。私の生まれ育ったK市と同じ赤城山の南面に位置する街だ。
彼の高校は県内でトップクラスの進学校だった。私達の頃にも「バンカラ」という気風が残っていた。下駄で登校する輩やわざと学生服の襟や袖を擦り破っていたものもいた。
当時は社会が決めたもの、親が決めたもの・・つまり大人が決めたものをカッコ悪いと思っていた。
不良でもないのに不良を気取っていた。チョウランには虎が刺繍してある学生服を着ていた友達もいた。
私はそれは着られなかったが、それでもアイビールックなんて絶対着る事はないと思っていた。
赤城山からのからっ風を顔に受け、いくら漕いでも前に進まない自転車に乗って砂まじりじりの学校に通った。
私が上京して初めて目にしたものはこの社会の仕組みが18歳の若造が考えていたようなものではなく、そんな事お構いなしに時計のようにコツコツと前に進む世界だった。
止まることも考えることもない世界・・・高度経済成長の最後の時期だった・・・
私は上京して大いなる挫折をした。庄司薫の本とはまるで違うこの社会に・・・・
そして次第に頭から18年間の原体験は消えて行ったのだ。
30歳を過ぎて故郷に帰ったことがある。私も彼と同じく故郷で両親が離婚した。
良いことも悪いこともこの街にはあった。やっと30歳を過ぎて故郷に帰ることが出来たのだ。
そこで私は根っこがここにあったことを痛感した。今まで消え去ったと思っていた原体験が形を変えてひよっこり顔を出したのである。
私はそれ以来故郷を否定しない。つまりありのままの私を顕すことにしたのだ。
そんな事を考えると彼の震災支援は彼の原点回帰なのではないかと思う。
日本は二つの繋がりで結ばれているのではないかと思う。
ひとつは東北から栃木や群馬を連ねて東京につながる道。もうひとつは九州、四国、近畿地方から東京につながる道だ。
我々は思考するとか哲学するとかする以前にこのDNAが影響して知らず知らずに自分の行動に影響しているのではないかとこの頃思う。
私の住んでいる横浜の山の手より鐘が淵や曳舟の工場と住宅が混在している街に行くと妙に心が休まる・・・これも原点へ近づいた知るしかそれとも単なる懐古趣味なのか・・分からないが・・・
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