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2012年8月27日月曜日

観光の受難

観光という言葉の語源はウィキペディアによれば『易経』の、「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」との一節による。大正年間に、「tourism」の訳語として用いられるようになった。ただし、学者や論者によって定義が違うこともある。例えば、国土交通省『観光白書』では「宿泊旅行」を「観光」「兼観光」「家事・帰省」「業務」「その他」に分けている。この解釈によると、家事・帰省、業務、その他を除いた旅行が「観光」でとある。

全国各地に観光旅館、観光ホテルと名のつく施設も多く、観光バスは今でも多くの旅行客を乗せて活躍している。

こう書けば未だに観光は日本人の余暇の中心で、まだまだ地方活性化の切り札と思われるかもしれないが、実はこの観光が今窮しているのだ。

熱海の大型観光旅館が相次いで店じまいした。熱海は東京から近く日帰り客に変わってしまったからと論ずるかもしれないが、どうしてこの観光旅館の経営不振は熱海に限った事ではない。

20年前、北陸を中心とした超豪華な旅行に便乗させてもらったことがある。旅行会社の人に言わせればその二泊はK屋という海沿いのホテルと山代温泉のHという旅館が群を抜いて素晴らしいと言う。実際に泊った感想はただ建物だけが大きく、テーマパークのようなそれは私の思っていた北陸のイメージとはかけ離れたものだった。

今回逗留した旅館はこのK屋とHのようなホテルは除外した。除外したというより、私が停まったMという旅館は大型温泉旅館から辛うじて個人客にターゲットの変更がなされた稀有な旅館なのだ。
そこを観てみたかった。

案の定、山代温泉にしても山中温泉にしても団体客が激減していると聞く。もちろん柴山潟に面した片山津温泉も同様である。

大きな建物はボロボロで修繕の余裕すらなく、寂れる一方である。

私の泊った旅館はやはり観光客が激減する中、資金注入と回収を続け3期に別けて改装を行い、個人客に対応できるようになったという。

以前、水戸市内にある老舗旅館のリフレッシュを頼まれた事がある。お世辞にも綺麗ではないその施設を変えるには莫大なお金が必要となる。しかし、もっと変えなければならなかったのは経営者の気持である。何とかなっている(最低限)うちには次の手を打とうとしないのだ。それが顧客の減少を加速し、最後にはどうしようもなくなる。

その旅館の主にどんな宿屋に宿泊した事があるのか聞いて見たが、海外はおろか日本の話題になっている旅館にも忙しくて行った事はないという。それでは見込みはない。まずそこから変えなければ話にならない。

今回、金沢で食した店で一番美味しかったのは、観光ガイドにも、本にも載っていない友達が教えてくれた店だった。本やガイドの店はどこもそれなりに混んではいたが、味はひどいものだった。
もはやガイドや本によるつまりマスメディアの情報より、SNSによる信頼に足る人の情報がより信頼出来るという結果であった。

インターネットの普及により情報の発信者と受信者が同質化する。マスメディアの片務性は解消され莫大なデータが集められる。もちろん玉石混交ではあるがリテラシーを持ってその情報を読み込めば知は集積される。

若い頃、お世話になったお客様の家の新築設計のプランニングをお手伝いしている時にその家の奥様から「オルセー美術館の2階のコリドーのような床にしたいの」と言われた。私は知らなかった。今のようにインターネットで調べることも出来ず、私は反省した。そして実際に見ることでそのお客様と情報の共有をやっと果たしたのだ。

観光に携わるひとにこそ、この事実を理解すべきだと思う。旅行がパーソナライズされ、楽しみ方が増えた今、受けての一方的情報提供とサービスが中庸なものとなり、顧客が望むものと乖離してしまったら、次はもう行かなくなる。

兼六園の徽軫灯籠の前で団体写真のお客を待つカメラマンと21世紀美術館の中でアングルを変えながらスイミングプールで写真を撮っていた若者を観て、その対極に今観光業界が置かれている縮図のようなものを感じた事を付記しておく。

片山津温泉で唯一、人々の往来が多く、元気だったのは谷口吉生氏が設計した地元住民の立ち寄る街湯だったのは皮肉である。