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2014年4月1日火曜日

ユーミンの罪

 私が休日の三々五々にでも読むべく買ってあった本がない。家人に聞くと、借りていて今読み終わったとのこと。一言断り無きは言語道断と強気の言葉や嫌味の一つも言いたくなったが、ゴクンと唾と一緒に言葉を飲み込みやおら穏やかに妻に感想を聞く。
妻は読んでいて「ふーん」と思ったそうだ。感動も発見もなし、平坦な抑揚のないものだったと。

私が日本のポップミュージシャンの中で凄いと思ったのはこのユーミン(荒井由実)が最初。当時ユーミンの音楽を聞いた母は「何でこんな外れたような音がいいの」と音楽を全く理解できなかった。理解できない程凄かったのだと思う。歌詞の内容も知らない、若者が感じたのはその音楽の持つ叙情性だった。「ひこうき雲」が人の死と無関係でないこともうすうす感じていた。

ユーミンの歌の持つもう一つの特徴は極めて「額縁的」であるということだ。この点はこの本の著者、酒井順子さんも同じことを考えている。この額縁的というのはまず現実には絶対に有り得ないような完璧なシチュエーションということである。だから実際には手に取れない、遠くから眺めているだけなのだ。山手のドルフィンから見える景色は完璧で貨物船が通る。それをソーダ水の向こう側に見る。私のようなユーミンファンは絶対に歌に出てくる店にはいかない。最初から幻想と分かっているからだ。

そんなことを考えながら本を読む。妻と同じように「ふーん」と感じながら一気に読み終えてしまった。事象を時代と重ねあわせることは誰にでもできる。そこに必然性を与えれば立派なストーリーとなってしまう。でもこの本の著者はそんなことしたくなかったのではないだろうか。「ふーん」と一気に読ませることで偶像としてのユーミンと一人の人間としての「荒井由実」「ユーミン」「松任谷由実」を合体させたかったのではと思うのである。つまりは私も妻もしてやられたということか。