このブログを検索

2013年6月19日水曜日

気持ちの良い店

気持ちの良い店
旨い料理を作る店はあるが、帰った後もその味の余韻とサービスで満足させてくれる店は以外と少ない。星のついた、ある鮨店など常連客以外は客でないような扱いをするし、人前で従業員を怒鳴りつける。また、究極のラーメン作りを謳ってテレビにもよく登場するあのラーメン店では子供はお断りである。カップルの客も別々に座らされ大層肩身の狭い思いをして食べなければならない。もちろんそんな店はこちらの方から払い下げで、気持ちがよくなるはずがない。
昨年、娘が嫁ぐ前に親子三人で京都に一泊した。娘の好きなイタリアンの八坂にある「イルギォツトーネ」に出掛けた。東京にも進出している有名店であったが、私は初めてだった。
コースもあったが、いろいろなものを食べてみたいと食い意地が先立ち、アラカルトで頼む事にした。給仕の女性が細かく焼き加減や嫌いな食材が無いか確認したうえで供された料理はどれも端正で、品があった。イタリアンと言うとニンニクの香りでどの皿も似たような味わいになってしまうところが多い中、京野菜を中心にした素材を生かした味付けで野菜はきちんと自分を主張し、チーズやニンニンクに力負けしていなかった。
薦められたワインも秀逸で、ワインが勝ちすぎる事も、また料理が勝ちすぎる事もなかった。
食事をしてホテルに戻り老眼鏡がないことに気付いた。レストランに忘れた事は分かっていたので、東京に戻ってから連絡しようと翌朝は名古屋に向かった。娘を送り届けて自宅に戻ると小包が届いていた。開けてみると「イルギオットーネ」から老眼鏡と短いメッセージが添えられていた。そこには大切な日に店を選んでくれた事の御礼が書き込まれていた。何たるタイミングであろうか。そしてカードの文面から素晴らしい心のこもったおもてなしを感じたのだった。今でも娘が嫁いだ日の記念としてこのカードは大切に取ってある。是非、八坂の同店に行かれて確かめられる事をお薦めする。もちろん予約が取れればの話ではあるが。
もう一店、駿河台に古くから「土桜」という老舗レストランがある。このレストランは客に阿吽の呼吸で料理をサービスしたいと言う気持ちからこの店名にしたそうである。これでニオウと読む。日本語とはやっかいなものであるがこの意味を知り置けば読み方は後から付いてくる。
私はランチタイムに入店した。鎌倉の「ルコンドル」以来のシャリアピンステーキを食べようと決めていた。カウンターに通されるや、白い太くて長いアスパラガスが目に入った。ランチでは無理だろうとシェフに窺うと調理を快諾してくれた。昨年はアスパラが不作でとても出せるような代物ではなかったが、今年は良いと言う。シェフは早速、ホワイトアスパラガスのプレゼを作り始めた。アスパラの季節の最終章、ブルターニュ産のアスパラだった。もちろんフランスの国営航空会社で空輸されたもので、正真正銘ジェットセッターである。少しだけニンニクの香りを付けても良いかシェフが聞くので、ご自由にやってほしいと答えた。
出来あがったそれはゆっくり煮た、くたくたのアスパラとは対照的にシャキシャキとした食感が心地よく、それでいて筋は口の中に少しも残らない。浅く出汁を吸わせたアスパラとニンニンクの相性は抜群だった。前菜のようにぺろりと2本のホワイトアスパラを食べ終えると本日のメインエベント、シャリアピンステーキが供された。ここのステーキはマリナードをしない。脂の乗った和牛をさっと焼いてたっぷりの玉ねぎを乗せてあるだけだ。しかし、今時こういう形のサラマンドルを使う店は少なくなった。ステーキは鉄板やフライパンで焼かれるため油が落ちないし、焼き色が薄くなる。そこへいくと、このサラマンドルはしっかりと焼き色も付き油は下へ流れる。この表面の香ばしさと玉ねぎがとてもマッチしている。
そしてご飯、味噌汁、おしんこの三点はこのステーキに外せない。これほど白いご飯と合うステーキも少ないからだ。20センチ以上あろうかというステーキを平らげて最後にアイスクリームのデザートである。ラム酒にバニラビーンズを入れてゆっくりバニラの香りを抽出したラムがアイスクリームに練り込んであり、シャーベットのようにすっきりしている。なるほど、このステーキ後にこのアイスクリームを出すとは中々手が込んでいる。恐れ入谷の鬼子母神である。
そしてこの店にはもう一つの続きがある。私達のアスパラの根元の部分は普通捨ててしまうところだが、隣に座っていた老紳士一人と若い女性二人に同じようにプレゼして供したのである。別の席ならまだしも同じカウンターの隣同士、一緒に食べていて、みんなで味を共有してほしいというシェフの気持ちの現れである。
その方々は私達に礼を言い、美味しい美味しいと口々にアスパラの話題を話しながら店を出て行った。
誰です。私達のアスパラが少なくなったとケチな事を考えている方。そんな考えでは美味しいものが逃げて行きますぞ。

出店 八坂「イルギオットーネ」 駿河台「土桜」







人生の選択

人生の選択

昨日若い二人のあまりにも噛み合わない会話を聞いていて可笑しくて、ぷっと吹き出してしまいそうになったのでここに披露させてもらいます。
一人の男性はトラックの運転手をしているようで、その運送会社の作業服でした。もう一人の男性は白いワイシャツにノーネクタイでグレーのサマーウールのパンツを履いていました。二人は同級生らしく、偶然再会したようです。
トラックの運転手は「またスピード違反で切符を切られた上に罰金だよ。今回はオービスに引っかかって20キロオーバー、もう少しで免停だよ。免停になったらくびだよ」と苦々しく、少しも悪びれるでもなく煙草を吸いながらそう言いました。
もう一人は「僕はオービスにつかまった事はないよ。だって、オービスのあるところには病院があるから静かに走行するのが普通だよ。僕が入院していた時に静かに走行する車とそうでない車がどの位病人にとって悪影響なのか分かったからね」
その言葉を聞いた運転手は「そうか病院のあるところにはオービスがあると思えば良いんだ。なるほどそうすれば用心できる、勉強になったよ」と煙草を排水溝に投げ入れて足早に車に戻って行きました。
残された男は走り去る男を目で追ったがそれ以上言葉は出ませんでした。
この話ではありませんが、私達は絶えず選択を迫られています。日々、選択の連続と言っても良いでしょう。若い時はどうしても早急に結果を望みます。今しなければならない事を忘れて先を急ぎます。この話を環境のせいであるとか、学歴の違いだと言って簡単に済ませるのはちと早計です。人間は変われるのです。
この運転手はその機会を得ているのに少しも変わっていないのです。それさえ気付かないのです。おそらくこの先変われる機会は何百回、何千回とあるでしょう。しかしこれだけの猶予があっても気付かない人間には神は容赦しません。(キリスト教徒でもイスラム教徒でもないのでひとつの象徴としての神です)
こんな話をするのはこの歳になって、私よりずっと年上の人でもこのことを理解しない、理解しようとしない人が多くいるからです。いつもはそうじゃない人とお付き合いしているのでほとんど感じた事はありませんが、世の中には本当に多くこの事を分からずにただ歳を重ねて行く人の多い事に驚くとともに情けなさを感じます。「情けは人のためならず」なのに・・