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2013年6月19日水曜日

人生の選択

人生の選択

昨日若い二人のあまりにも噛み合わない会話を聞いていて可笑しくて、ぷっと吹き出してしまいそうになったのでここに披露させてもらいます。
一人の男性はトラックの運転手をしているようで、その運送会社の作業服でした。もう一人の男性は白いワイシャツにノーネクタイでグレーのサマーウールのパンツを履いていました。二人は同級生らしく、偶然再会したようです。
トラックの運転手は「またスピード違反で切符を切られた上に罰金だよ。今回はオービスに引っかかって20キロオーバー、もう少しで免停だよ。免停になったらくびだよ」と苦々しく、少しも悪びれるでもなく煙草を吸いながらそう言いました。
もう一人は「僕はオービスにつかまった事はないよ。だって、オービスのあるところには病院があるから静かに走行するのが普通だよ。僕が入院していた時に静かに走行する車とそうでない車がどの位病人にとって悪影響なのか分かったからね」
その言葉を聞いた運転手は「そうか病院のあるところにはオービスがあると思えば良いんだ。なるほどそうすれば用心できる、勉強になったよ」と煙草を排水溝に投げ入れて足早に車に戻って行きました。
残された男は走り去る男を目で追ったがそれ以上言葉は出ませんでした。
この話ではありませんが、私達は絶えず選択を迫られています。日々、選択の連続と言っても良いでしょう。若い時はどうしても早急に結果を望みます。今しなければならない事を忘れて先を急ぎます。この話を環境のせいであるとか、学歴の違いだと言って簡単に済ませるのはちと早計です。人間は変われるのです。
この運転手はその機会を得ているのに少しも変わっていないのです。それさえ気付かないのです。おそらくこの先変われる機会は何百回、何千回とあるでしょう。しかしこれだけの猶予があっても気付かない人間には神は容赦しません。(キリスト教徒でもイスラム教徒でもないのでひとつの象徴としての神です)
こんな話をするのはこの歳になって、私よりずっと年上の人でもこのことを理解しない、理解しようとしない人が多くいるからです。いつもはそうじゃない人とお付き合いしているのでほとんど感じた事はありませんが、世の中には本当に多くこの事を分からずにただ歳を重ねて行く人の多い事に驚くとともに情けなさを感じます。「情けは人のためならず」なのに・・







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