このブログを検索

2012年3月5日月曜日

国際力 企業の場合

テレビで「絆」「絆」と言われると嫌な気がします。人を助けたい、為になりたいという想いは必要でしょうが、声高にこの言葉を叫ぶのはよして戴きたく思うのです。

被災した人達にさらに内向きにさせるような気がしてならないのです。震災でローカリズムが強くなりました。これは大変危険です。傷口を舐め合ううちに、時代は素通りし、世界から孤立してしまうからです。


某衣料品メーカーが車内の公用語を英語にすると言っていましたが私に言わせればアホくさくて驚きです。英語が出来ないより出来る方がよいのでしょうが、簡単に言えば国際力とはそうした単一的思考ではないのです。


みなさん「ネスレ」という総合食品企業をご存じか?そうあのネスカフェを作っている会社です。


この会社今から100年以上前に横浜に支店を構えたのです。


このネスレという会社は現在140カ国以上で販売され、そのうち120カ国以上に現地法人を持っているのです。もちろん英語はもとよりそれぞれの国の人間を採用し、その国々の文化をちゃんと理解しているのです。

スイスと言う地形上の制約が逆に利点となり、新しいものを貪欲に吸収するスピリットです。

地勢的には山と海の違いはあれど似ていると言われるこの国はその国際力に欠けていると言われますが、どうしてどうしてそれでも世界に挑戦している企業もあるのです。

あるときにD工業という空調メーカーの人に聞いたことがあります。そうあのメーカーです。

他のメーカーが国内にのみ目を向けてガラパゴス的視点で商品開発し、ああだのこうだのといっている内に市況ではデフレが始まり、必然的に価格競争になり、どのメーカーも儲けなどほとんどでなくなる一方、このメーカーは海外で順調に成長していたのです。

このメーカーの海外ネットワーク(現地法人)数はネスレのそれに近く物凄い数です。

いつの時代も内向きは駄目です。鷹のように高く飛んで遠くのものを見る俯瞰力が必要です。

アンテナをピンと張り、世界に目を向けると、自分の知らない世界が待っているのです。

少年よ大志を抱け・・・その言葉通りです。

備えあれば  老犬介護 耄碌寸前


少し前に文豪鴎外の息子であるこの著作を読んだ。

老いて行くことを洒脱に面白おかしく書いている随筆だ。

人間も犬もやがて歳をとる。そんな時にやけに神妙で神経質になるより、こんな表現を使うのも悪くないと思った。

****************
****************



もともと走ることも、運動も好きでないセプは若い頃からポーっとしていた。

散歩に連れ出すと何か見える??ように急に動かなくなることがよくあった。

副腎皮質の影響か、沢山食べるのに痩せてきた。多飲でもある。

まあ12歳だから立派な老犬である。

先日、長い長いお散歩から帰り途、左足が全く動かなくなった。いつもから引きずっていて爪が切れて血が出ることもしきりだった。

それ以来、後ろ足の調子はよくない。

ここならゲレンデで段々に運んで遊ばせることが出来るのでよいが、鎌倉では海まで多少の距離がある。砂浜についてしまえば良いのだが、その間が心もとない

以前、ドクターFの奥様のお友達のピレネーを飼っている人の家で大型犬も乗せられるドギーカートを観た。

善は急げ・・・早速購入した。まだまだ寝込むのには早すぎますぞ、セプ君!!!



庭の贈り物  蕗の薹

妻が袋を抱えて庭から持ってきました。

庭の贈り物です。外皮を一枚外して水につけます(水に付けないと黒くなります)

苦みと和のかな甘み、春の味です。



忘れてきたもの

私が大学に入学した頃には学生運動は下火になり、マルクスやレーニンを論ずることも避けられるようになっていました。

丸山眞男もこの頃は話題にされなくなり少しがっかりしたことを覚えています。

私の大学には某東京大学(どこが某だい!!)から優秀な先生が大挙してエスケープしていました。経済学の岩田さんなどその一人でした。

ですから、奇跡的にこうした人の授業をとることが出来たのです。

今考えてみると、あの当時そうした状況も分からずにただ大学に通っていたのだとつくづくもったいなく思うのです。

当時の私の学部には多分に宗教色の強い、人間学という授業がありました。これは生徒同士で討論させたり、集団で考えたりするもので、合宿さえありました。今で言うサンデル教授の白熱教室のようです。

しかしこれが多感な青年にはまずかった。私は一気にその宗教的色彩の強い哲学が嫌いになりました。

大学の一般教養での哲学は充実していたのにほとんど取らなかったのです。

そんな私が30歳を過ぎた頃、全てにおいてそうなのですが、哲学的と政治学の素養の無さを思い知ったのです。

それからです。ハイデカー、サルトルの実存主義、ラカン、フーコー、レビィストロースの構造主義、そしてそれに続く脱構造主義といった思想の系譜から忘れ去られていた丸山眞男、さらにもう一度、マルクスやレーニンも読み返しました。

するとそこには学生時代全く知らなかった「知」か存在していたのです。

丸山眞男が言った「古層」、私が見た「光ニュータウン」の思想的幻影、すべてが瓦解し、溶解しだしたのです。

私は一度も政治運動を行った事はありません。戦後の日本の思想史はそうした運動の基序なくして起こりえませんでした。それを知る良い機会になったのです。

今日も既に5.6回は読み返し、考え直している。アーサー・オー・ラビジョイの「観念の歴史」とヴィトゲンシュタインを開いて見ることにします。



立松和平 相沢忠洋

この本は上梓したときに作者から送られてきた本です。そう今は亡き立松和平氏です。

彼は日本の公害問題の原点として足尾銅山鉱毒事件を取材していました。

偶然、父親が足尾の汚泥を原料に作陶に励んでいた頃に訪れ、足尾の公害についてヒアリングをしていたのです。

私が幼かった頃、足尾の川は清流なれど魚はいませんでした。渡良瀬川の源流です。

そんな渡良瀬の水をずっと飲んでいたのです。

私の嫌いな言葉です。「エコ、反原発、効率的、人にやさしい」全て聞くと虫唾が走ります。

こんな言葉を声高に主張している人は政治家でも、経済人でも信用なりません。

***********
***********

父親の所によくパンを持ってきてくれた人がいました。パンと言ってもお洒落なパケットやクロワッサンなどではありません。ジャムパン、アンパン、クリームパンといった菓子パンです。

その人と一緒に父親に連れられて土器を発掘したことがあります。有名になる前の岩宿でのことです。

その人は後に教科書にも登場する相沢忠洋氏でした。

今でも土器を観ると何時代の土器か分かります。黒曜石も発見したことがあります。

私の地味な少年時代はそうして作られたのです・・・・