私が大学に入学した頃には学生運動は下火になり、マルクスやレーニンを論ずることも避けられるようになっていました。
丸山眞男もこの頃は話題にされなくなり少しがっかりしたことを覚えています。
私の大学には某東京大学(どこが某だい!!)から優秀な先生が大挙してエスケープしていました。経済学の岩田さんなどその一人でした。
ですから、奇跡的にこうした人の授業をとることが出来たのです。
今考えてみると、あの当時そうした状況も分からずにただ大学に通っていたのだとつくづくもったいなく思うのです。
当時の私の学部には多分に宗教色の強い、人間学という授業がありました。これは生徒同士で討論させたり、集団で考えたりするもので、合宿さえありました。今で言うサンデル教授の白熱教室のようです。
しかしこれが多感な青年にはまずかった。私は一気にその宗教的色彩の強い哲学が嫌いになりました。
大学の一般教養での哲学は充実していたのにほとんど取らなかったのです。
そんな私が30歳を過ぎた頃、全てにおいてそうなのですが、哲学的と政治学の素養の無さを思い知ったのです。
それからです。ハイデカー、サルトルの実存主義、ラカン、フーコー、レビィストロースの構造主義、そしてそれに続く脱構造主義といった思想の系譜から忘れ去られていた丸山眞男、さらにもう一度、マルクスやレーニンも読み返しました。
するとそこには学生時代全く知らなかった「知」か存在していたのです。
丸山眞男が言った「古層」、私が見た「光ニュータウン」の思想的幻影、すべてが瓦解し、溶解しだしたのです。
私は一度も政治運動を行った事はありません。戦後の日本の思想史はそうした運動の基序なくして起こりえませんでした。それを知る良い機会になったのです。
今日も既に5.6回は読み返し、考え直している。アーサー・オー・ラビジョイの「観念の歴史」とヴィトゲンシュタインを開いて見ることにします。
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