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2011年5月18日水曜日

Shakatak "across the world"

UKファンクで80年代に大ヒットしたレベル42とこのシャカタクを忘れてはいけません。

シャカタクの音楽を掛けるとついスピード出しすぎてしまうのが難ですが(笑)

このアクロスザワールドというアルバムも良いですよ。この手の音楽は何も考えずにドライブしている時には最高です。

シャカタクというネーミングは近くにあったレコード店「Shark Record」と「Attack」を掛け合わせた言葉のようです。

シャカタクといえば一昨年無くなったT先輩を思い出します。

ささやかながらこの曲はそのT先輩に捧げます・・

スマートグリッド ハワイ

インターネットで当たり前のように使われているイーサネットはもともとハワイ大学のノーマン・エブラムソン教授がALOHAシステムと呼ばれハワイ諸島を結ぶネットワークシステムを作ったことが始まりでした。

今回このハワイでスマートグリッドの試験的運用を日立、シャープなどの企業と学術団体が協力して行うようです。

マウイ島はすでに15%が再生エネルギーを利用しており、今後これらの利用が気象条件等が変わることでどのように影響されて行くか(エネルギーロスとバッテリーの問題等)調査すると記されていました。

民間は進んでいます。先日お会いして話した先輩はM商事に勤務されており、この状況下利益は最高益となる見通しだといいます。

原発のせいで海外での受注が激減しているT社も次世代スマートメーターの再大手のスイスのランディスギア社を買収し、スマートグリッドの市場参入を図る狙いです。

官のスローペースに比べて、民間はスピーディです。民公官低は歪めません。

MD研究者育成プログラム

人の縁というものを本当に強く感じます。恩師であるS先生がこのことをよく口癖のように言っていました。

考えてみれば息子が東大の理Ⅲに進学したのも、我が家で開いたパーティで妻の友人でもあるK家のご主人ことK先生が理Ⅲは捨てたもんじゃないよと息子に話してくれたことが大きかったようです。(それまで理Ⅰを専攻しようと思っていた)

そして数年後、東大に基礎研究を志す生徒にとって有難いMD研究者育成プログラムというシステムが出来ました。息子は発足間もないこのシステムを利用させてもらっているのです。

写真は履修者全員の写真です(HPよりお借りしました)

息子の隣には筑駒で6年間一緒で、トップを競っていたK君がいるのも不思議な縁です(中学1年の時、このK君と3人の友達を鎌倉に招いて一緒に宿泊したこともありました)




このところ毎週のように試験に追われている息子です。先日も内科学の試験だったようで、ハリソン内科学の分厚いこの本がベッドに散乱していました。



でも実のところ私の方が面白くてこの本を読んでいます(笑)良書というのは素人でも分かるように書かれているものです(笑)

結局、人は色々な人の影響を受けて、変化しながら成長(成長してるかは分かりませんが 笑)しているのだなと痛感します。

客家の言葉です。幸運を運んでくるのも、不幸を運んでくるのも人なのです。

SHARE 

アマゾンで購入したこの本を読みました。

考えてみるとこの本の表題の「シェア」とは、私達が普段から行っていることに過ぎないのです。

一言でいえば欲張りすぎず、ほどほどにということなのです。結局その行為がシェアに至る訳です。

時価数十億円の資産を管理している仕事をしている関係からか、時折人から資産運用について聞かれることがあります。しかし、誰にでも効く特効薬など存在しないのです。

ただその人の資産が1億円以下ならば、リスクが最小となる方法を薦めます。そして1億円以上ならば出来る限り皆が良くなるような方法=シェアを薦めます。

何故なら、他人を助けることは自らを助けることになるからです。良く言うでしょ、「情けは人の為ならずと」巡り巡って自分に帰ってくる、お金とはそんな性質なのですから・・・・・・

ABARTH 500



1200万円のテスラとこのアバルト500直接比較することはもちろん出来ませんが、どっちが欲しいと言われたら・・・・・アバルト500です。

昨日も古いアバルト500が駐車場にありました。薄いブルーの車体にサソリのマークです。

ボンネットにラッチが付いているのもOKです。

人それぞれ好みもそれぞれ・・・それでいいんじゃありません????

ガレージに降りて行って白い貴婦人ことG500と黒い令嬢こと911カレラSをそっと撫でている私がいました。

しばらくは水平対向6気筒エンジンにハマって抜け出せそうもありませんので(笑)

訃報 児玉 清さん

このところ体調不良でアタックを降板していたので心配だった児玉さんが亡くなられました。

亨年77歳です。

児玉さんは中の条町に疎開していた関係からか毎年四万温泉に来られていると知り合いから聞き、さらに偶然、私が目黒に住んでいた頃には時折り、食べに行っていた大原の磯勘というお寿司屋さんでお会いしたこともあります。

ご本人は背筋をピンと張り、グレーのツイードの背広をさらっと着こなし、背の高いハンサムな方でした。

本に対する興味も大変なもので、NHKのブックレビューでは本当に楽しそうにお話をされている姿が印象的でした。

昭和の好きな俳優さんがまたひとり旅立ちました。ご冥福をお祈りいたします。合掌!