このブログを検索

2012年12月16日日曜日

月の光


月の光

その女の子は不思議な魅力を持っていた。万人からすれば決して美人の類ではない。しかし何故か男性を引きつける不思議な魅力を持っていた。コケティッシュという言葉がある。彼女の場合はその容姿や表情は決してコケティッシュと言うわけではない。どちらかというと都会的とは正反対の牧歌的で素朴な穏やかなものだった。ところが彼女が話し始めると人々は彼女の魅力に取りつかれていく。まるで魔法でも掛けられたように彼女の言葉とそれを裏付けるしぐさに陶酔するのである。

そんな彼女と初めて出会ったのは彼が大学3年の時だった。彼の親友から紹介されたのだ。当時の彼にはすでに恋人として付き合っている3歳下の彼女がいた。友人と彼女の会話や一連の動作はどうみても恋人たちのそれと同じで、だから彼は二人の関係をあらためて聞きただすこともしなかった。

それから1年が過ぎようとしていた。彼は相変わらず友人や彼女そして何人かの友達を加え、一緒に旅行に出掛けたり、お酒を飲んだりしていた。

ある夏の終わりに伊豆のペンションに6.7人で出掛けた。海水浴には遅すぎたが夏の名残を楽しむかのように12日で出掛けた。そのとき部屋の窓辺で彼は名前も知らない親友の友人とその彼女がとても親密に楽しそうにおしゃべりをしていたのを見てしまった。話の内容は分からないが、その姿はどうみても恋人同士だ。彼女の微笑み、髪をさわる仕草、そのどれをとっても恋人達のみせるものたった。彼は困惑した。

彼は親友と二人になったときに、親友に向かって「本当に君の恋人なの」と恐る恐る言葉をひとつずつ噛みしめるように尋ねた。すると親友は笑いながら「いや彼女はみんなの恋人なんだ。皆が彼女に恋しているのさ。君だってそうなんじゃないのかい。」「いや君が言いたいことは分かる。僕だって彼女を独占したいと思ったことはある。でも・・・」親友は言葉を繋げなかった。

それから3か月が過ぎようとしていた。彼は歌舞伎町近くの大きな書店を出て駅に向かう途中、道路を挟んだ向こう側に見たことのある女性を見つけた。彼の頭は混乱し、ロジックな答えを見つけようと幾通りの解法が頭の中で逡巡し、そして消えて行った。

いつも観ていた時の彼女はジーパンに白のシャツを着ていて、どちらかというとボーイーシュな服装を好んでいた。ブランド物を身につけていることはなく、胸元のティファニーの小さなペンダント程度だった。その彼女がまるで雑誌の特集ページの様なファッションで歩いている。

当時、ハマトラというファッションが流行っていた。ミニスカートにミハマのローファー、フクゾーのポロシャツ、キタムラのバック、それがお決まりのステレオタイプのファッションだった。誰もが同じ格好で、同じ化粧をする。まるで軍隊のそれのようだ。彼はそんな雑誌をときおり眺めて、そこに写る彼女たちの表情が欠落していることを感じていた。同じものを着ることで封印された個性。同時に全てを同質化することで迷彩される個人であるのだ。そんな恰好を彼女がするとは思ってもいなかった。

彼の頭がまるでCPUの処理速度追いつかなくなったコンピューターのようになりかけていたときに、反対側の彼女は繁華街の方向に歩きだしていた。彼女は彼の存在に気づいていない。

彼は書店の紙袋をブルーのディパックに押し込み彼女の後を追った。

表通りから細い路地を右に曲がり、グレーの古ぼけたタイル張りのビルに彼女は吸い込まれていった。

古ぼけたインジケーターに目をやると、エレベーターは4階で止まった。雑居ビルには看板もポストもなかった。ただ窓が全て外から見えないように完全に遮断されそれぞれの店の名前がけばけばしい原色で書かれていた。

4階には「月の光」と書いてあった。彼はそこがどういう店で彼女が何故あんな格好をしていたのかやっと理解した。

彼はその後東京の郊外に引っ越して、親友とも疎遠になり、一緒に会ってお酒を飲んだり、旅行に出掛けたあの人達の事も忘れかけていた。いや、忘れかけていたというよりそもそもほとんどの人の名前を知らなかった。

彼は大学を卒業し、中堅の商社に勤めてた。偶然、取引先のひとりの社員と名刺交換をした際に、あの時の一人だった事が分かった。相手も気付いて、暫くの間昔話に花が咲いた。別れ際、彼は彼女の音信を聞いてみたが、その人によれば、音大を卒業後、しばらく弁護士事務所で事務の仕事をしていたが、とある事件で依頼主の男性の耳を噛み切ってしまい、病院に送られてその後は音信不通だということだった。

彼はあの日の新宿での彼女といつも白いシャツで多くの人に囲まれていた彼女を順番に登場させ、幕間を下した。

それから10年が経過した。

彼が中野駅前にある開発されたばかりの大きなビルの横につくられた街路樹のある歩道を歩いていると、正面からジーパンに白いシャツをきた女性が二人の子供を連れて日陰を探すように歩いてくる。子供達は揃いの長袖のテーシャツに赤い野球帽をかぶっていた。女性は子供たちの笑顔と同じくらい、楽しそうな表情をして軽やかに彼の横を通り過ぎた。

喫茶店からドヒュシーの「月の光」が流れていた。
 
 
 
 

アメリカンクラブハウスサンドウィッチ 森戸海岸 デニーズ


アメリカンクラブハウスサンドウィッチ 森戸海岸 デニーズ
 

食に関する事を話題にしてきたのであるが、今回は断然人の話である。そのことを最初にお断りしておく。

私が友人S氏(ご夫妻・ご家族)と友達になったのは18年前である(たぶん)。

私が横浜に引っ越して間もなくしてジーニーというゴールデンレトリバーを飼った。もちろん飼ったというより買ったという表現が正しいほど、唐突に直情的にペットショップからもぎ取るように引き取ってきたのだ。ジーニーはディズニーの魔法使いから名前をもらった。私達に幸せの魔法を掛けてくれるように名前を決めた。ジーニーは家族の愛情を一杯もらって順調にすくすく育った。そんなジーニーの遊び場所になる空き地が当時は家の近くに多かった。三角と呼ばれるその場所は人家も少なく、地形的にも一方を崖地に囲まれフェンスで覆われたまさに犬を遊ばせるには最高の空間だった。

ある日、マスクをした紳士が私達の方を見ていた。すると以前から一緒に遊ばせていたゴールデンの飼い主の男の子が紳士のところに近づき、紳士に向かって「おじちゃん怖くないよ、入っても大丈夫だよ」と大きな声で促した。紳士自らも大きな体躯のハスキー犬を飼っていたのだが、実は犬は怖かったのである。その男の子の眼力は当たっていた。

その紳士こそ今回の話題のS氏なのである。その後、S氏も含めて犬を共通の話題とするその空き地の人々とは犬の名前を使って呼び合う間柄になった(当時は犬の名前は知っていても名字も職業も全く知らなかった)。

最初に犬抜きで(何か蕎麦の天抜きみたい??)合ったのは市が尾駅近くの相馬という焼鳥屋だった。2階に上がった私達は足の踏み場の無いという表現がぴったりのその空間にぎゅうぎゅう詰めで座してジヨッキを重ねた。当時は10家族いたと思う。

S氏が言っていたとおり、次第に集まるメンバーも決まり、また病気や引っ越しなどで離散してしまった人もあらわれ、結果的に5家族が残った。この5家族はいまでも事ある度に集まり祝杯(いつでも祝杯なのだ)をあげている。

S家には二人の秀娘がいる。私達が知り合った頃は長女のM子さんはまだ大学生だった。確かUCLAから東部のコーネルに移った頃だっと思う。そして次女のW子さんはその当時まだ高校生。やがて国際線のCAを経て、慶応のMBAを取るこの二人のその秀才振りはまたの機会にとっておく。

私が今までの海外経験をした知り合いを見ると、日本の学校になじめず親が無理をして海外の学校に通わせるが、周りには日本人ばかりで語学の学習は愚か日本での基礎的教養も教わることなしに過ごして来た人が多かっただけに、このお二人には正に目からうろこ青天の霹靂だった。

S氏の詳細はここでは述べることはしないが、ようするにこのお二人を育てた、国際人なのである。パロスベルデスで暮らした生活ぶりからもその人脈、経歴はお分かりであろう。

兎に角、日本人離れしているのである。そんなS氏とは一回り以上歳は違うが失礼ながら年寄りと感じたことは一度もない。ゴルフで飛距離が負けた時の少年のような悔しさたけではない。全てに前向きなのだ。2度の大病の手術の時にも大笑いした病室が語るようにその魅力は私だけでなく万人が感じるものなのである。

そんなS氏が大好きな場所が森戸のデニーズなのである。どこのデニーズでも良いというわけではない。森戸のデニーズで、出来れば初冬の今のような季節がいい。S氏に言わせれば「厚手のアランスゥエーター」を着こんで風のない昼間がそのシチュエーションにぴったりらしい。そして注文するのは「アメリカンクラブハウスサンドウィッチ」である。

どんな高級なクラブハウスサンドウィッチよりS氏の日本離れした話題とともに頬張るここのサントウィッチが世界一なのは言うまでもない。