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2010年4月22日木曜日

かっこいいCM  ライクーダー




みなさんパイオニアのロンサムカーボーイとサントリーのアーリータイムスのCMにライクーダーが登場していた事知っていました?

個人的にですがこのCMを抜くカッコよいCMには未だかつて出会っていません。



音楽では「バックドロップ・デラックス」「チキン・スキンミュージック」あたりがお薦めですが、映画「ブエナビスタソシアルクラブ」の音楽といった方が子分かるかもしれません。

ケルト、ハワイアン、メキシカン、ブルース、フォーク色々な要素を取り入れて大きくなる杉玉(?)のような感じです。


医療保険改革  プライベートクラブ

オバマ大統領のすすめる医療保険制度の改革法案が成立する見通しとなりましたが一部ではまだ反対の狼煙があがっているようです。

Sパパが会員だったサンタモニカの「ジョナサンクラブ」ではありませんが、キッシンジャーが会員のニューヨークのクラブなどアメリカには各地に様々なプライベートクラブが存在します。

海岸も独占して他のお客が入れないようになっています。日本だったらマスコミもこぞって差別だ、格差だと揶揄し大問題になりますが、欧米ではこの違いは当然認められているのです。

つまりは医療保険改革に反対する人たちの精神の裏側な訳です。

日本の格差は拡大しているのでしょうか?答えは否です。欧米諸国の方がよっぽど格差は存在しています。

以前 破壊的イノベーションについて、つまりインドのタタやブラジルのさとうきび産業のようにとんでもないイノベーションについて書いたことがあります。

そして、コンサバーティブな日本人が過去を振り返り、物作りに固執して、日本はそんな後進国とは違うと自負する姿勢こそ、この国を破滅に向かわせるのではとも書きました。

そのことをさらに分かりやすく説明するような池田信夫氏のブログを掲載します。

是非、ご一読あれ。

池田信夫氏のブログより

今週のEconomistの特集は、「新興国のイノベーション」。新興国にイノベーションなんかあるわけないじゃないか。先進国のものまねで安物をつくってるだけだろ――と思っている人は、かつて日本車を「おもちゃ」と笑ったアメリカ人と同じ運命をたどるだろう。
かつての日本の役割を演じているのは、中国やインドやブラジルだ。そこで生まれている製品は、先進国のような高機能・高価格の「持続的イノベーション」ではなく、3000ドルの自動車や300ドルのPCなどの「破壊的イノベーション」である。そこには――かつての日本車がそうであったように――新しい技術は何もない。あるのは、新しい市場に適応した最小限度のスペックと低価格、そして低コストの生産方式とインターネットによる安価なマーケティングだ。
先週のメールマガジン「イノベーションの法則」でも書いたように、イノベーションの本質は技術の改良ではなく、パラダイム転換である。新興国は、その膨大な人口、低い所得、信頼性のないインフラ、低賃金といった新しいパラダイムに適応して、不要な機能を捨てる新しいタイプの製品や流通システムを生み出しているのだ。これをEconomist誌は質素イノベーション(frugal innovation)と呼んでいる。
このパラダイム転換の犠牲になるのは、日本だろう。たとえばソフトバンクの提案している「光の道」プランは、FTTHを山間部や離島まで引こうという「豪華イノベーション」の一例だ。このネットワークには、iPadはつながらない。そこにはもうイーサネットの端子がないからだ。いま途上国では、電話もない地域に無線ネットワークを引く質素イノベーションが起こっている。そのほうが1軒ずつ線を引くよりはるかに安くて速いからである。
 
 
納得ですね

写真はジョナサンクラブ?????ではなかったSパパ森戸デニーズでした。

四川風火鍋 塩焼そば 五十嵐美幸さん



我が家ではこの激辛鍋こと四川風火鍋をこの冬4回以上食しました。

夏でももやもやしたときにはこれを食べるとサウナに入った後のようにさっぱりします。

実はこの料理は元々、四川料理の名店で料理長をしていた時枝正剛シェフのレシピです。

シェフは今そこをやめて富津で自分のお店「正凛亭をしています。今度、絶対に立ち寄りたいと思います。

レシピをそのまま載せさせていただきます。我が家で食したこともある人、ぜひトライして下さい。

出来れば四川唐辛子を使うと味に丸みが出ます。


四川省の本格派 熱く辛いしゃぶしゃぶ風の鍋料理 のレシピ



材料(2人分)主材料
しゃぶしゃぶ用豚肉 120g
 全卵 少々
 片栗粉 少々
 塩・化学調味料  少々
きゅうり(小) 1本
にら 1/2束
長ねぎ 1/3本
中国パセリ 少々
調味油
菜種油 100cc
豆板醤 小さじ1
山椒(ホール) 20粒
豆鼓(ブラックビーンズ) 10粒
さや唐辛子 15g
スープ
すりおろしにんにく 小さじ1/2
すりおろししょうが 小さじ1/2
鶏がらスープ 300cc
酒 大さじ1
砂糖 小さじ1
塩 小さじ1
化学調味料 小さじ1
黒酢 小さじ1

作り方


1 唐辛しは切って中の種を取り出し、きゅうりは大きめの厚いスライスに切る。
にら、長ねぎをきゅうりの大きさに合わせて切っておく。

2 豚肉は溶き卵少々を加えて軽くもみ、塩・化学調味料で下味をつけ、片栗粉をまぶしておく。

3 (1)(2)の材料は、9割程度火が通るように茹でて、水気を切っておく。

4 中華鍋に菜種油50cc、豆板醤、山椒、豆鼓、さや唐辛子5gを入れ、弱火で100℃になるまで熱する。

5 一旦火を止めて、【スープ】の材料を全て入れ少し濃い目に味を調える。

6 (5)に(3)を足し、一煮立ちしたら土鍋に移しておく。

7 中華鍋に菜種油50cc、さや唐辛子10gを入れ、弱火で150℃になるまで熱する。

そのまま油はねに注意して、少しずつ土鍋に移す。

8 中国パセリを少々上から散らしてすぐフタをする。


家庭で作るヒント

・熱油の厚い膜ができているので、一見熱そうではないですが、意外と熱いです。

・最後に油を土鍋に移す時は、油が飛び散るので十分注意して下さい。


それと私がよく取り入れさせてもらうのは同じく中華の五十嵐美幸シェフのレシピです。
幡が谷に「美虎」なるお店を近頃出店しました。あの餃子の名店「ニイハオ」のすぐ近くです。
今週末には成城石井で大黒製麺所の細いやきそば麺を購入して塩焼そばを作ります。
その時は五十嵐さんのゴマ塩生姜を加えてみます。

塩焼そば オリジナルレシピ

材料
細いやきそば麺
ニラ
もやし
調味料
生姜 すりおろし

胡椒
白ゴマ
大葉

作り方
フライパンでゴマをよく炒り、塩、しょうがのすりおろしを加えて混ぜ合わせる
中華鍋をよく熱し、少々の油をいれ、やきそばと野菜を加え麺を押さえつけるようによく焼く(ここがポイント)
両面が少し焦げてパリッとしてしてきたら塩ごま生姜の調味料を加え、やきそばをほぐすようにする
最後に大葉をのせて出来上がり

NAKATA NET CAFE


これ何だかわかります?

外苑からの帰り道、駐車場の上に店舗らしきものが?これまるで私達の空中権のパクリです。(パクリで構いませんケド)

店舗は内装工事真っ最中ですが、よく見ると「NAKATA CAFE」の看板がありました。

そう前々から聞いていたヒデのフットボール応援サポーターのための季節限定のカフェです。

ワールドカップの前にここ原宿に今月25日オープンのようです。

お気に入りのお店

レストランはもちろん味が命な訳ですけど、雰囲気も大切です。

私の場合、東京から横浜に戻ると東進したくないので(西はOKなんですけど)近場のお店ということになります。

まず一つ目はタマフラーザにある「バーグイン」です。そのままんま、ウェストコーストロックのようなお店です。店内のイージーライダーの写真も良い味出しています。

次は同じくタマプラーザにある「トルバドール」です。感謝祭に友達とターキー食べに来ました。

そしてこのトルバドールの姉妹店の「バブルオーバー」です。芸能人もときどき現れます。

60年代や70年代を味わいたいなら外せません!!!


ウェストコース万歳!!


Bureigh Heads/Kirra Point

西海岸のメローな波も好きですが、ゴールドコーストのパワーのある波も好きです(見てるほうですけど)

そんな中でも先輩が連れて行ってくれた、Bureigh HeadsKirra Pointです。

今でも乳飲み子を抱えていたのにどうしてサーフポイントめぐりしたのか分かりません(笑)

あのときクローズ気味のゴールドコーストに入ったら、沖のシャークネットに大きなハンマーヘッドシャークが刺さって死んでいるのを見たときは背筋に冷たいものが走りましたけど(笑)

そんなこんなでオーストラリアも大好きな私であります。





ポパイ 北村勝彦氏


小林昭氏の繋がりで昔の雑誌を探していたら出てきました。1977年のポパイです。

実はこの頃のファッションで忘れてならないレジェンドがいます。そう私達に「シアサッカー」や「マドラスチェック」そして「ドレスダウン」なんてものを教えてくれた北村勝彦氏です。

この北村氏とは数年前に叔父の家で紹介されました。叔父は都内で大きな写真スタジオを経営しており、そんなこんなで初めてお会いしました。

山奥の貧乏青年にはこういうお手本のような人が必要でした。その人にお会いできたわけです。

人生何があるか分からないけど、興味をもった人だけが経験できるんです。何でもそうだと思います。興味がないと気付かないからです。

今でもフリスビーを地面にふつけて浮き上がらせ相手に送る投法は忘れていません。えっ、これも暗黙知?でしょうか????

鷹の目 マスコミと大衆


さくらのポールを皆が狙っています。さくらにはいい迷惑かもしれませんが、微妙な力関係で均衡が保たれているところが面白いのです。

閑話休題

小林昭氏のようなまさに「鷹の目」もった人によって私達は情報を受けてきました。

今はどうでしょう。誰でもインターネットを通じて情報を取ることができるので情報量としては苦労はしないですが、マスコミにこの「鷹の目」を持つ人がいないような気がします。

情報と言うのは全部多ければ良いというものではありません。量は少なくても旅のように自分の足で苦労して体感できたものが宝となることが多いからです。

個人的には私の軸足はあの時の、そう1978年に出来た気がします。

ハンティントンビーチのピアがコンクリート製に代替わりした今でも木製のピアの先のペアーの店は生きてます。オヒョウを”Hlibut”と呼ぶこともこの時知りました。人間には若い時に無理をしてもこの軸足を作る時期が必要なのではと考えます。

小林氏はその後西麻布で事務所を立ち上げ、各種の雑誌に引っ張りだこだったのを急に居をロンドンに移し、ファッションの仕事にのめり込みます。そして現在、そこも引き払って原点に近い、アメリカ特にサーフカルチャーに近い仕事をしている訳です。

ものすごい拘りとものすごい拘りの無さ、この二つが共存しています。

イーグルスのホテルカリフォルニアが流れています。イーグルスの前身はリンタ゛ロンシュタットのためのアーテイストでした。そしてこの曲は1976年です。そう1986年の10年前です。

小林 昭写真展 写真集「S・O・P」



外苑で24日まで開催されている小林昭写真展見てきました。

小林昭氏は1940年生まれの方でご存じの方も多いと思いますが、平凡パンチ、ポパイやブルータスでアメリカの文化を私達に伝えてくれたまさにレジェンドです。

フリスビーもスケボーも初めて知ったのはあの頃の雑誌でした。

山育ちの私が貧乏旅行で西海岸に向かったのは1978年です。Hamosa BeachやLagna Beachでサーフィンを見て、日本に戻ってサーフィンに夢中になったあの頃です。

なんと会場でそのレジェンドの小林氏が迎えてくれました。緊張しながらしばらくお話を伺うとこの作品は1969年から1975年にかけてとられたもので主にペニスビーチらしくマリブなどもあるとのことです。

私はその数年後にこの西海岸に行ったことになります。だから氏の撮ったウッドストックは写真でしか知りません。

小林氏も当時の赤貧の様子を楽しそうに語っていました。

氏は5年前にサーフィンを始めたということで、愛犬のウェルッシュテリアもボードに乗るようです。

テラスではその愛犬が夏のような日差しを避けながら水を欲しがっていました。

写真集「P・O・P」を購入させていただき、次回の個展はサンフランシスコでのグループ展とのことでした。次回の書籍の話を聞きながらギャラリーを後にしました。

こういう人は決して偉ぶったりしません。ジーンズに白のTシャツ姿で全くの自然体です。アーテイストに必要なことは「目」であると強く感じました。それにしてもお若いです。ちまたのアンチエイジングは意味を失います(笑)

氏が「こんどはぼくの写真も飾ってください」というので恥ずかしくなってしまいました。でも鎌倉ベースには是非飾りたいという気持ちもあるのは事実です。

一期一会、行かなければ出会えない。そんな一日でした。


横乗り系の書籍を出版している「Bueno Books」に併設されているこの「Slope Gallary」センスが良いです。黒い建物の外観にアンティークなパインのドアとフローリング、表の黒く床が塗られたデッキも良い味です。これって中目黒っぽいかも!!!!

写真はギャラリーのHPよりお借りしました。23日までです是非足をお運びください。絶対のお薦めです!!写真展ではブルース・ウェーバー展以来ですから。