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2012年12月27日木曜日

AM 7:30


AM7:30

朝食の支度を終え美佐子が息子を起こそうとするが息子は布団から出てこない。ぐっすり眠っているというわけではなく、布団にしがみついて離れようとしない。美佐子が何度試みてもまた布団を被ってしまうのだ。美佐子が訳を聞くが何も話さない。ただ布団の中で「今日は学校に行きたくない」とだけ言った。

美佐子は少し思い当たる節があった。昨晩、浩一郎の息子が美佐子の用意した料理を食べながら、美佐子に「腕のつけねのあたりに痣がありますけど、何かぶつけたりしましたか」と尋ねられたからだ。美佐子は気付かなかった。息子は風呂からあがるとさっと別の部屋に行って着替えてしまうから美佐子は分からなかった。

もう何か月も前になるが、息子の筆箱に入れてある5.6本の鉛筆の芯が全部折れていることがあった。その時は乱暴に扱ったから芯が折れたのだろうと簡単に考えていた。

しかし、美佐子は改めてそれらの事実を繋ぎ合せてみた。布団の中の息子に「誰かにいじめられているの」と問いかけても「ちがう」とだけ返ってくるその返事はあきらかにイエスのサインだ。美佐子は「今日は寝てなさい。お母さんが学校に風邪で熱があるっていておくから」と息子の布団に向かって明確にそして丁寧な口調で話した。布団は無言のままだった。

美佐子が夫から暴力を受けていた頃、息子の様子が変わったことがあった。最後にはその暴力は我が子に向かうのだが、その少し前に急に陽気になったことがあった。楽しくも面白くもないような場面で急におどけてみたり、笑いだしたりするのだ。

美佐子は気が変になったのかと心配し、姉の夫に相談した。大学時代に心理療法の勉強もしていた姉の夫がいうには、きっとそれは子供心の防衛本能のようなものではないかと言うことだった。美佐子に向かう暴力を自分がおどけて笑うことで少しでも和らげることが出来るのではという子供の抵抗の表れであり、心に相当な傷を負っていると思うと言われた。その数日後、夫の暴力は息子に向けられ。美佐子は離婚を決意した。

二人で暮らすようになって息子の精神状態は安定した。あのときのように何もない場面でおどけたり笑いだしたりすることはなかった。浩一郎の息子に勉強を教えてもらうようになって息子の表情はさらに明るくなった。

息子は浩一郎の息子のことをおっきい先生と呼んでいた。息子はおっきい先生が来るのをいつも楽しみにしていた。おっきい先生は来るたびに読書がどの位進んだか必ず聞いてくる。息子にはそれが楽しみだった。今読んでいる本はおっきい先生がくれた「飛行機のしくみ」という本だった。図解入りで飛行機が何故空を飛べるのかその原理のようなものが説明されている。息子は飛行機の羽が受ける力のことを揚力と言うことを知った。つい2日前にも美佐子に「お母さん揚力っていう力知っている?」と得意げに話してきたばかりだった。

美佐子は学校に電話を入れた。息子が風邪で熱があるので休みますとだけ伝えた。いじめのことは一言もしゃべらなかった。美佐子は息子にドラッグストアに出掛けると嘘を言い、公園のベンチから浩一郎に電話を掛けた。
 
 



 

 

ラーメン 袈裟丸家 鎌倉


ラーメン 袈裟丸家 鎌倉

土日の鎌倉は自転車に限る。細い道は観光客がひしめき駐車するのもままならないからだ。我が庵から鎌倉駅まで自転車で15分はかからない。おまけに平坦である。別に用事かなくてもぶらり自転車にまたがり鎌倉駅近くを散歩する。

私のお決まりは、まず小町通りにある古本屋「木犀堂」である。ここを教えて戴いたのは本好き、オーディオマニアのリックパパである。愛犬リックは天国に身罷られたが、いまだに愛犬の名前で呼ぶのは同類相哀れむの例え通りお許しいただきたい。この店の主は無口である。ほとんど口を開かない。私が通い始めて4回目の頃、この店で「漂流物図鑑」という本を買った。確か1200円だったと思う。初めて店主の声を聞いた。「こういう本買う人いるんだね」それだけである。考えてみるとこの鎌倉には文士が多く住んでいたようである。だから、貴重な本が時々売りに出されることが多いのではないかと。私はとくにサイン本を集めているわけではないが、偶然買い求めた本に直筆と思われるサインがしてあるものがあった。山口瞳氏のサインのある「いきつけの店」ではその中に登場する横浜の八十八との実際の出会いがあった。野上八重子氏の「森」も同様にサインがある。こうした本との出会いは本当に嬉しくなる。

若宮大路に輪を向ければ、「BEACH DOG」というTシャツ屋がある。もう20年近い付き合いだ。店主は親の介護のため一時恵比寿から通っていたという。今は違うらしいが、雨の日は必ず休むし店は不定期である。店主の飄々とした風貌と身のこなしからただものではないと推測されるが、お互い深いことは聞かない事にしている。

ここ数年、鎌倉のラーメン屋を食べ歩いている。由比ヶ浜通りにあるHという店も良く通ったが、昨年2号店を出したあたりから変わってしまった。席に着いてから客を待たせる上に手際の悪い品出しは興ざめである。それ以来、色々と試してみたが私の好みの店は少なかった。そんなとき袈裟丸家に出会った。トンコツと聞いていたので最初は敬遠したのだが、ものは試しと意を決して飛び込んだのである。

鎌倉駅の踏切を渡り終えた右手に袈裟丸家はある。ここの店主も土日は休業と言う欲もへったくれもない営業をしている。私が初めて食べたのはある夏の暑い日だった。幸い、2.3組の客待ちもそうたいして時間は掛らず、店内に入ることが出来た。

店主は丸坊主である。傍目からすると強面のアンちゃんといった風貌である。そんな強面君ではあるが、私が目にしたその光景はアルバイトと思しき若い女性にチャーシューの切り方を教えていた店主であった。アルバイト君は中々うまく切れない。不揃いで厚さもマチマチである。それを店主は「こうやって切ると旨くそろうんだよ」と言って優しく丁寧に教えていた。そして不揃いのチャーシューは別に使うからと付けくわえ彼女に作業を続けさせたのである。はっきりいってこういう人が作るラーメンが不味いはずがない。

運ばれてきたラーメンにはチャーシューも卵も一応全て入っている。これで650円は安い。しかも、全くトンコツの嫌な匂いがしない。私はトンコツの匂いが強いラーメンは苦手である。どうやらスープの作り方に秘密があるらしい。本来、屋台発祥のトンコツラーメンは前のスープに継ぎ足して使う。これによってスープは濃くなる。一方、一風堂やここのスープは作り置きしない。だから匂いが違うのだ。通に言わせれば私の好みは傍流であろうがこれとて仕方がない。何分トンコツラーメンに出会ったのは舌の出来あがった30歳を超えてなのだから。ここのスープは最後まで飲める。そして飲み終わった後にちょうど牛乳で胃袋が優しく包まれたような感じになる。この小さな店は私にとって鎌倉の大仏より大きい存在なのだ。唯一、道路側の暖簾が風になびいて食べている私の顔をさするのが難点と言えば難点であるがまこと些細なことである。