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2010年3月23日火曜日

OB会 第31回真友会

昨年は体調不良のた出席できなかったOB会に今年は出席しようと思っています。5月16日に開催の予定です。
教育とは何だろうと時々思ってしまいます。こうやって50才を過ぎると教育、学校の違う意味が見えてきます。そうもういちどあの頃の自分とどう離れたのか再確認する良い機会です。親友の術後の回復が心配ですが彼女のこと不屈闘志でじきにカムバックすることでしょう。「そこにいる」大人として若者に機能しているのかどうでしょう?


内田 樹先生のブログに良いことが書かれていました。引用させていただきます。

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「教育のアウトカムは卒業時点で考量されるものではなく、卒業生ひとりひとりが卒業後に過ごす時間のなかで形成してゆくものである」と申し上げる。自分がそこで何を学んだかは、卒業してから長い時間が経たないとわからない。ひとによっては数十年経ってはじめて受けた教育の意味がわかるということが起きる。それは、卒業時点で眼に見える知識や技術や資格や免状を持つことよりも、ずっと教育的には意義のあることだと思う。私はそれを「卒後教育」と呼んでいる。「卒後教育」の主体は卒業生たち自身である。ラカンの「分析主体」analysant をまねて言えば「教育主体」éduquant は卒業したひとりひとりである。私たち教師はその活動については、間接的な支援をすることしかできない。私たちにできるわずかな支援のひとつは「母港」としてそこに「ある」ということである。学校はあまり変化しない方がよい。これは30年余教師をしてきた私の経験的実感である。


学校というのはそれがある場所も、建物も、教育プログラムも、校歌も、制服も、どうでもいいような校則も、できるだけ変えないほうがいい。
「学校制度には惰性がある」ということを私に教えてくれたのは諏訪哲二先生であるが、それは単に事実としてそうであるということにとどまらず、そうあることによって機能している部分があるということである。そのことに、諏訪先生からその言葉を聴いたときには気づかなかった。
今は少しわかる。
それは「変わらない学校」が定点としてあることによって、卒業生たちは、自分が「そこ」からどれくらい離れたところまで来たのか、「そこ」にどれくらい深く繋がっているのかを計測することができるからである。
「教育のアウトカムを考量する」と上に書いたけれど、それができるためには、「定点」が計測の基点として存在しなければならない。自分の場所を知るためには、定点が存在しなければならない。


学校の、あるいは教師の重要な社会的機能は「定点」として、卒業生たちのために、「そこにいる」ことである。

ベリゴール風サラダ


Y子さんよりレシピを待たずに作った干鱈のブランタードは塩抜きをせず大失敗でしたが、こちらのベリゴール風サラダは大変美味しく出来ました。写真では一部の材料をのせる前でしたが、全部のせた方がより美味しく戴けました。ポイントは砂肝がこんなに美味しかったのか再発見したことです。どうもいままで砂肝はただ硬いだけで、美味しいと感じたことはありませんでした。いやびっくりです。要するに丁寧に下処理を行うことです。下処理したものも我が家の2匹が美味しいと食してくれるので一石二鳥となります。

レシピ
砂肝の皮と筋をよく取り除く
☆砂肝を赤ワインにつける(20分くらい)
☆フランパンでにんにくのみじん切りを炒め、砂肝を入れさらに炒める(油はやや多め)
☆砂肝に火が入ったら、赤ワインビネガー、赤ワイン(新しいもの)を少量入れアルコールを飛ばす
☆塩胡椒で味を調える(カリッとなるように水分を飛ばす)
☆エンダイブを洗ってよく水きりする
☆りんごを塩にさっとつけてからくるみとパンと砂肝を一緒に散らす
☆食べるときはバルサミコ酢をお好みでかけて食す

※野菜は苦みのある野菜が合います。ルッコラやベビーリーフにチコリのスライスでも合います。
※砂肝は中々焼き色がつかないので油と水分の蒸発をうまく調整して下さい
※パンはカンパーニュをちぎって散らしても、クルトンでもかまいません

SPEEDPLAY platformer


面白いもの見つけちゃいました。リクイガスも使用することが決まっているこのスピードプレイのペダルはご存じの方も多いとは思いますが、これはそのビンディングペダルを普通のスニーカーでも乗れるようにするプラッフォーマーという代物です。面白いこと考えますね!!!

でもよくよく考えてみると、ビンディングペダルでセッティングしたポジションと普通のペダルのポジションはまるで違うのでその都度シート位置を調節する必要が生じ、インテグラルシートポストのようにポジション変化に対応できない高級バイクでは使えません。

というわけで残念!!二兎を追うものは一兎も得ずのたとえになりそうです。私の場合はです。

誤診のおこるとき みすず書房


書籍の中には名著というものがあります。この本もその一つです。重版により最新の症例や治療法が付記されていきます。

以下発行元のみすず書房のよりの紹介のコメントです

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「診断とは、疾患について、疾患をもつ個体について、さらに個体をつつむ環境について、必要なあらゆることを知り尽くそうとする、終わりのない努力を意味すると言える」


『精神医学ハンドブック』で知られる著者が誤診例をまとめた名著。再刊にあたり、「うつ病の労務災害」「発達障害」「精神安定剤・睡眠薬の副作用」など今日的なトピックを追加した。さらに最終章に加えた論考「精神科診断の宿命と使命」では、診断に必要な経験と知識、操作的診断運用上の注意点を踏まえながら、あらためて精神科診断の基本を整理する。


精神症状のみならず付随する身体症状にも着眼した症例検討は、精神科以外の医師にも日々の臨床の一助となるだろう。研修医から精神科志望者まで、診断学への入口に最適の一冊。

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今では当たり前となっている治療方針や薬もほんの少し前まではなかったのです。まだまだこの分野は十分疑ってかかってみる必要がありそうです。まだまだ情報の対称性には程遠いものだからです。

ルーシー・リー Dame Lucie Rie 展


4月28日より新国立美術館で開催される「ルーシー・リー展」は今年の私の期待する展覧会の一つです。

私の父は生前陶芸家として、バーナードリーチ氏に面談しそのままの作風で頑張って続けてほしいと彼より薫陶を受けたことを誇らしげにテレビの取材で語っていただけにその正反対の作風を作り続けた彼女の作品に惹かれるものがあります。

リーチ氏は既知の通り強い火と土の力強い、いわばその土地に根の生えたような男らしい作風を好みました。一方、リー氏は当初電気窯を使って焼いていたように、女性的な繊細な作風です。

リーチ氏のこの批判により彼女は困窮に瀕したようです。

しかしながら、リーチ氏も晩年には彼女の作風を認め、彼女の名前は世に知られていくようになったのです。

器のみならず彼女のボタンを三宅一生氏がコレクションしていることも有名な話です。

他人に左右されず、キャベツの生活をしながらも、作り続けることこれが大切なのだと思います。

千鳥が淵の桜が終わった頃に行くことにします。

1月以上先でした。終わっていて葉桜でしょう。