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2013年9月26日木曜日

1978年のサムタイム

1978年のサムタイム

1978年は私にとってのターニングポイントだった。笹塚、阿佐が谷、浜田山と安アパートを転々としながら大学に通っていた。
この頃になるとアルバイトも先輩や友人の斡旋もあり、割と効率の良いアルバイトをしていたので多少の自由になるお金はあった。もっとも一回少し贅沢な外食をしてしまえばなくなってしまう雀の涙ほどのお金だったのであるが、それでも興味のあることに費やすことが出来た。
あの頃、中央線の沿線は賑やかだった。賑やかというのは語弊があるかもしれないが、私が通いたくなるような店が多かった気がする。自転車で5分程のところにもジャズバーがあった。店主はウィスキー1杯で3時間も4時間も居座る私達を大目に見てくれていた。
私は時折、吉祥寺にも出掛けた。友人と行く時も一人の時もあった。吉祥寺という街は今でこそ住みたい町ナンバーワンになっているが、あの当時は何となく暗く、寂れてコンサバティブな感じがした。きっと街の発展がお寺によって分断され、箱庭のような小さなエリアにお店が集中していたからかもしれない。後で分かった事だがコンサバのはずが赤旗の多く読まれる街でもあった。
ちょうど開店して何年目だったと思うが、サムタイムとチャチャハウスという店によく出掛けた。サムタイムは今でも続いているが、チャチャハウスは無くなってしまった。
サムタイムではライブの演奏をやっていた。ジャズのスタンダード曲を覚えたのはこの店だった。1950年代の古いアメリカンバラードが心地よかった。そしてコルトレーンもここで教わった。酒とバラの日々を聞きながらフォアローゼズのソーダ割りを頼む。この店ではバーボンソーダ以外は頼まなかった。
一方、チャチャハウスでは古いジュークボックスから西海岸風の軽いロックが流れていた。
ここでは色々な飲み物を頼んだ。イーグルスを聞きながらテキーラサンライズも飲んだ。底に赤くたまったシロップが水平線から昇る朝日だと説明した事もあった。そんな遠い記憶。
私はそこにいながら1970年代をロクに知らずに過ごしていた。それでもその時代に今でも追い掛けられている。その影を振り払おうといくら思っても、ある時急に私の前に顔を出し、そら見たことかとアカンベーをしてせせら笑う。