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2011年2月21日月曜日

マム社 コルドン・ルージュ noblesse oblige

このシャンパン見た事がある人も多いと思います。F1でシャンパンをかけるあの場面です。

このマム社のシャンパンは品質もさることながら、日本と深い繋がりがあるのです。

S家で持っている藤田嗣治画伯の絵は大変なものですが、実はこのマム社は戦争奨励画を書いたと当時追及され、失意のうちに渡仏した彼を助けていたのです。つまりパトロンだった訳です。

今の日本は無駄を省き大企業も個人もこうした文化、教育的活動に私財を投じなくなりました。

やはりノブレス・オブリージの国とは違うのでしょうか・・・・成熟とはそういうことが出来る文化なのですが・・・・

60's 写真集

私が実際にアメリカに初めて渡航したのは1979年なのにウェストコーストやハワイのイメージはその前の60年代なのです。

先日購入したロン・チャーチの写真集も60年代の中頃です。

小林昭さんの写真集P.O.Pも60年代のペニスビーチやマリブです。

この写真は私が撮りました。夕日にサーファーのシルエットが良いでしょう?



この時の彼のショーツはあの頃流行った、丈の短めのトランクスでした。持っていたボードは稲妻マークのライトニングポルトです。まさに60年~70年にタイムトリップした一枚です。

下の写真はロコの男の子ですが、こちらは今風のショーツでした・・・・・

昨年のワイキキでの一枚です。

金春通り 銀座

先日NHKのブラタモリでも路地の多い場所としてこの金春通りの抜け道を特集していました。

夜の銀座にはてんで疎い私ですが、大好きな万年筆のお店があったりするので年に数回はこの界隈を歩くことがあります。


そもそも金春は「観世」「宝生」「金剛」に並ぶ能楽の家柄でその中でも最も歴史あるものだったのです。

家康の江戸入場に際してこの地に屋敷を構えたことから、今でも金春通りという名称が使われているのだそうです。

当時は、武士の会合には女性が余興することはご法度でしたが、この金春の下女が初めて余興を行ったことから「芸者」発祥の地と言われるようです。

屋敷は後日、麹町に移されますが、その後に芸者衆は残り花街を形成したと言われています。

私の好きな「天あさ」もこの路地裏にひっそりとあるのでした・・・・・・

変化は知らぬ間に

近くの小さな八百屋さんに毛がはえた程度のお店が閉店してしまいました。

もちろん商店街の衰退が始まったのは今始まったことではありません。このお店も頑張っていた方でしょう。

しかし、世の中の大きな変化というのは大方の人間では抗いようのないものなのです。

私達が自動車という便利な道具を使い始めたことが商店街衰退の一番の原因でしょう。

変化の中では変化が分かりずらいものなのです。

あと20年もすれば確実に電気自動車の時代になるでしょう。原理的に考えてもエンジンに比べ格段に設計上の制約が少ないのです。その頃にはフラット6がどうだの、ストレート6がこうだのといっても大昔のお話になっているのです。時代の変化というものはあっという間に人間を置き去りにしてしまうものなのです。

変化は知らぬ間に・・・・

AURORA SHOES

雑誌Free&Easyで取り上げているように最近のファッションのキィワードはraggedなのです。

最近ではコーチなどもホーボーバッグをつくり出していますが、元々は19世紀頃の渡り鳥労働者が使っていたバッグのことだったのです。

アメリカにはこのホーボーミュージアムもある程なのです。



そんな流れの延長か、若い子の間で「AURORA SHOES」なるものが流行っているようです。アメリカのオーロラ村で作られている靴で、履けば履くほど馴染んでくるとのことです。

愛嬌のある顔が特徴です。

物知りのMちゃんパパが葉山にあるサンシャイン&クラウドと言うお店で売っていると教えてくれました。

このお店代官山にあるG.O.Dと同じとのことです。

カジュアルなBDシャツを春先に向けて仕入れてみようかと思っています。

春はすぐそこまで、花粉もすぐそこ????