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2012年5月31日木曜日

淀川長治さんと桂歌丸さん




家僕が英雄を例えるつもりはないので安心してお読みください(笑)

淀川長春さんと桂歌丸さんの二人についてかねてより似ていると思っていたのです。

風体や性格は全く異なる二人ですが、何か似ている。

淀川さんは温厚で怒った顔を観た事のないような柔らかな物腰を持つ半面、厳しく物事を洞察していて、こちらが誤るとペロっと舌を出されるのではないかと思うことがあります。

一方、歌丸さんは普段は口が悪くずけずけと物言う反面、高座以外では人情味が熱く、弟子に優しいと言われています。

確かに二人は似たような境遇で育ちました。二人とも芸者置屋に生まれ、多くの女性の囲まれながら育ったのです。彼らの華やかさはここから来る生来の物かもしれません。

私はこの二人に「潔さ」を感じるのです。無常と言う言葉のとおり、あらゆるものは流転し変化します。高潔とはこうした事を理解したうえで生きることであり、その事が中々出来ず我々家僕は苦労します。

現代の日本はこうした「キラリ」と輝くものを持っている人が少なくなりました。

歌丸さんに会いに久々に横浜橋商店街にでも足を運んでみましょうか・・・・・白井肉店でお肉でも買って・・・・・


自己と非自己 SNS

FACEBOOKを始めて3カ月が経過した。何事にも良い面と悪い面があるように、今日は悪い面の事を書いて見ることにする。

まず驚かされるのはよくもまあそこまで友達広げたねという人が多い事。もっともビジネスに結び付けて上手くやっている人も多いのだけど、もう一方で自分の信条や価値観を前面に押し出してくる人がいる。

こういうやからは自分と同じように、自分の意見と同質の意見を求める。ある著作や講演を生業としている人物が、自分の本について否定的な意見は掲示しないでほしいというような旨の書き込みがあった。

もともとFACEBOOKの繋がりは友達なんじゃないの?それに忌憚ない意見は彼自身を成長させるはずじゃなかったのと考え込んでしまう。

彼ばかりじゃない。多くの自分に都合のよい繋がりだけを求めているようで、他人の意見は聞いていない。SNSはいわば自己表現なのだろうか・・・少なくとも私は友人に私が経験している日常を出来るだけ即物的に情報発信しているつもりでいる。

政治が劇場化していると言った事があるが、ある意味SNSもそうなのかもしれない。

この国はありとあらゆる場面で家僕が大きな事をいう。政治もそれにひっぱられ機能不全に陥る。

ラジオから消費税増税についてマニフェスト違反なのだから国民に信を問うため選挙し、その結果小政党乱立になってもそれは仕方ないなんていう無責任な発言をする自称評論家もいる。

原子力についても国民に不安をあおるだけ煽ってそれでおしまい。一体あなたは何者なのと気分が悪くなる。

私は多田富雄先生の著作を数冊持っている。免疫会の巨人といわれたが、私には氏の学問にとどまらぬ興味の対象への深い洞察と分析に驚かされる。偶然、息子がその方面に進んでいる事を事務所に時折り訪ねてくる日経新聞の編集委員のH女史に伝えると、女史から多田先生と作った一冊の本をプレゼントしていただいたこともある。

氏の著作の中に自己と非自己の認識こそ免疫の正体であると書かれている。

例えばうずらとニワトリを使ってキメラを作ると多くの場合には数日後に死ぬが、胸腺を移植したものは生きながらえたという。

難しい話は別としても、今の日本はこの免疫が引き起こす過剰なアレルギー反応が起きているようで気になる。いや、日本に限った事ではない。ギリシャを見ても、フランスをみても自分たちの不都合な事があるとすぐ反応する。全体の結末などお構いなしにである。

私の知り合いでFACEBOOKで少しノイローゼになった人もいる。友達だと思っていたのにひどい事を書かれたのであろう。そこへ行くと私は心配していない。そもそも友人なんて物凄く少なくて結構と思っているし、SNSはあくまで仮想空間なのだから必要以上に肩入れするつもりもないからだ。

誰かがブログとフェイスブックどちらが大切かと聞かれればブログですと答えていた人がいたけれど私も全く同感です。

そうそうヘーゲル先生の言葉を借りると「英雄はいるのです。でも家僕が英雄のことをいうと英雄は英雄でなくなってしまう。家僕は家僕なのだから・・・・黙ってなさい」・・・・・・・・・・・・




2012年5月30日水曜日

映画 アレン・スチュアート・コニグズバーグAllen Stewart Konigsberg







ウディ・アレンことアレン・スチュアート・コニグスバーグの映画を何本観ただろう・・・・

たぶん私がウディの映画を好んで観るようになったのにはある理由がある。

渋谷で働いていた頃、淀川長治さんとこのペイペイの新入社員がお話をする機会があった。先生は映画を観るにあたって自分が好きだと思う監督や作品を作るべきだと言っていた。

当時の渋谷ではコピーライターの糸井重里さんが私のいた流通グループの宣伝を引き受け、次々に世相を反映したキャッチーなコピーを発表していた。

「美味しい生活」「本読む馬鹿が、私好きよ」「遊んでねむれ」なんて最高にかっこよかった。世の中のその時代の一頁を切り取っているそんな自負がペイペイにもあった。

ウディの「美味しい生活」はずっと後に封切られたが、ウディを観ていると、かの淀長さんを思い出す。

ウディは決して幸せな子供時代ではなかったと聞く、母親は女の子に傾倒し、ウディは虐げられていたとも聞く、また、熱心なユダヤ教信者であった両親からウディは強制的に信者にさせられ、彼の宗教嫌いは決定的なものになった。

ウディの映画にはただ単なるペーソスにとどまらない、そうもっと奥深い優しさを感じる。人間愛といってしまえば簡単だか、中年をとうに越したダサい男の人生とでも呼べばよいのか、深い眼差しであろう。

ウディはニューヨークをこよなく愛した。不衛生で混沌としたニューヨークがいつも生きいきと描かれていた。

欧州三部作ははっきりいって駄作だった。彼が本当にリスペクトもしてないものに魂が宿る筈はないのだ。

彼は007のパロディーに出演している。そうカジノロワイヤルである。これは80年代カルチャーを語る上で欠かせないと私は思っている。すごい俳優陣である。私は密かにアマゾンにDVDをオーダーした。

話を戻そう。映画の結末は述べるべきではないが、この映画は少なくとも小説とくにロストジェネレーションの作家やもう少し前のアメリカ文学を好んで読み漁った文学青年や、パリがパリらしかったエコールドパリさらにその前の時代の美術をかじった人にはもう笑うしかない映画である。

決して、俳優がそっくりというのではないが、誰が見ても「ダリね」「ルノワールね」「ピカソね」「フッジィラルド夫妻ね」と思えるキャラクターを与えているのだ。もう笑うしかない・・・

先般の拙宅でのパーティの副題は「Golden Age Party」だった。私は年齢も職業も違う人達が集まるパーティをそれぞれの人が自分のGolden Ageを持ち、しかしながら今こうやって今を楽しんでいるという気持ちを顕したかった訳であるが、この映画の中でも「Golden Age Thiking!!!!!」と何度もこの言葉が登場していた。偶然である。

このところ懐古的な映画が評価されている。「アーティスト」「ヒューゴの不思議な冒険」などどちらも今のCG中心の映画作りを反省し、昔に立ち帰ってみようという気持ちがあちこちに表れているが、へそまがりの私にはノスタルジーと現実はそんなに簡単ではないのではないの??と訝しく敬遠してしまう。

そこへいくと、この映画は良い。ツタンカーメンの時代のエジプト人が「今の若いやつは」と嘆いたという話とおちは同じである。

ウディの映画は小道具にも凝っている。どこで見つけてきたのかと驚くプジョーのサルーン(まさにサルーンにぴったりの車)が夜ごと主人公を憧れの時代に連れて行ってくれる。

さらに映画に登場する実際のシェークスピア&カンパニー書店は戦前のものは姿を消したが、その後のロストジェネレーションの作家に愛されたその姿で登場する。観ていたらポールオースターに合いに出掛けてみたくなった。

話はそれるがこの書店で思い出すのはジェームズジョイスである。「ユリシーズ」はあまりにも有名であるが、かれの「フェネガンズ・ウェイク」は忘れられない。さらにヘミングウェイは「移動祝祭日」の中でなんども同店を登場させている。

そんな映画の筋書きで主人公たちの宿泊するホテルは.ル・ブリストル。ここからモンサンミッシェルに向かうためゴヤールだらけの鞄を車に押し込むシーンなどはっきりいって好きです(笑)

パリが好きな人なら間違いなく最高に楽しめます。ウディのニューオリンズジャズの物悲しい調べにのって、私達が良く歩いたモンマルトルやサンジェルマンデプレ、チュエルリィー公園、改装が終わったオランジェリーなど見どころ一杯。

中々パリには行けないとお嘆きのあなた!!この映画で是非、パリへのショートトリップお薦めします。

妻は傘をすぐさしますが、私はYさんを真似て少しぐらいの雨なら傘を持たないことにしています。(笑)やっぱりパリには妻より私の方が向いているのかもしれません。

そうそう、最後に図書館司書のように美術館のキュレーター宜しく英語が話せるガイド役の人誰だか一目で分かったあなた・・・映画より政治に向いていますよ・・・・笑


2012年5月29日火曜日

ジロ・デ・イタリア 2012

ジロも3週間のステージを終えても決着がつかず、ミラノの個人TTでマリアローザはカナダ人のへシュダールが獲得しました。伏兵現るといったところでしょうか。

実は毎年Jsports Plusで観ていたのですが今年は止めました。というのもjsportsが複数チャンネル化してバラバラの放送なのです。それとグランツールが何となくスター不在で面白く無くなっているような気がするのです。

毎年取り上げられるドーピング問題もステージが終わった後に水を差す結果です。こんな事言うと叱られるかもしれませんが、本人が分かってやっているのなら全部ありにしてはどうでしょう。

プロレスラーは自らの意思で筋肉増強剤を使っても処罰の対象にならないように、ここまできたらいっそどうでしょうか・・・・まあ認められるはずはありませんでしょうけどね・・・・

チームも資金難からか毎年のように名前が変わります。これも何が何だか分からなくなります。選手は必死なのでしょうが、観ている方からするとあれっ去年のあのチームはどうなったのと肩透かしを食らうのですから。

ロンドンオリンピックの候補が選ばれました。グランツールを走った別府君、新城君です。まあ知名度や実績から仕方ないと言えば仕方ない選択ですが、もっと若いアマチュアもしくはプロ1.2年目あたりの選手を選んでみてはどうなのでしょう(勝手言って申し訳ありません。たわごととして聞いてください)
今年シマノからアンカーに移籍した西園君あたり応援しているのですが・・・・まだ無理か・・・・


ジロ・デ・イタリア2012 個人総合最終成績

1 ライダー・ヘシェダール(ガーミン・バラクーダ/カナダ)91時間39分02秒
2 ホアキン・ロドリゲス(カチューシャ/スペイン)+16秒
3 トーマス・ドヘント(バカンソレイユ・DCM/ベルギー)+1分39秒
4 ミケーレ・スカルポーニ(ランプレ・ISD/イタリア)+2分05秒
5 イバン・バッソ(リクィガス・キャノンデール/イタリア)+3分44秒
6 ダミアーノ・クネゴ(ランプレ・ISD/イタリア)+4分40秒
7 リゴベルト・ウラン(スカイ/コロンビア)+5分57秒
8 ドメニコ・ポッゾビーボ(コルナゴ・CSF/イタリア)+6分28秒
9 セルジョルイス・エナオ(スカイ/コロンビア)+7分50秒
10 ミケル・ニエベ(エウスカルテル・エウスカディ/スペイン)+8分08秒
■ポイント賞(マリア・ロッサ):ホアキン・ロドリゲス(カチューシャ/スペイン)
■山岳賞(マリア・アッズーラ):マッテーオ・ラボッティーニ(ファルネーゼビーニ/イタリア)
■新人賞(マリア・ビアンカ):リゴベルト・ウラン(スカイ/コロンビア)
■ファスト・チーム賞(時間):ランプレ・ISD(イタリア)
■スーパー・チーム賞(ポイント):ガーミン・バラクーダ(米国)

2012年5月28日月曜日

医療ショッピング

私がブログほ始めたのが2008年の8月28日です。今年の8月28日で丸4年になります。

当初はブログもプライベートな日記のような感覚で毎日起きた出来事や、自分がハッと思ったようなことをつれづれに書いていましたが、フェイスブックを始めるようになって毎日の記録のようなものはフェイスブックに載せて友達と情報を共有し、もう少しまとまってアーカイブスにするようなトピックをブログに載せるようにしたので、ブログの更新はスピードダウンしたことは歪めません。

ブログを始めた2008年の8月は私の尊敬するT先輩が癌の告知を受けた月です。

I先輩、M先輩、一つ下のT氏と病院にお見舞いに行ったことを覚えています。

先輩の癌はたちが悪く、S字結腸の上部にありほとんど自覚症状の無いまま進行していました。

さらに癌の原発叢は切除しましたが、リンパ節、さらに肝臓にも転移していました。

先輩の子供はまだ幼い女の子がいたのでなんとか直したいと厳しい治療にも立ち向かいました。

私も色々な事を相談され、当人より民間療法(実績のはっきりしない)まで持ち出されました。これには困りました。

癌の大きさや数進行度合いによって手術が出来るものと出来ないものがありました。たかだか4年前なのに今承認されている分子治療薬もまだ使えず、一般的抗癌剤の投与しか残された道はありませんでした。

何とか方法はないものか数人の専門家に聞いては見たのですが、そこは特効薬などあろうきずはなく、逆に医療ショッピングに走ることへの警鐘も教えられました。

当時はその意味(真の意味)を理解する事は出来ず、反発を覚えたのですが、今になって考えれば一線で治療に従事している人が知らないはずはないのです。皆が出来る限りの方法を最善でやっているのですから、その事をもっと考えるべきだったのです。

先輩はその翌年逝去されました。亨年52歳でした。早すぎる死でした。

医療は万能ではありません。まだまだ分からないことが多く、日々進化しています。しかし、一方でその行為は人が行います。医療ショッピングはもっとも嫌悪される行為ですが、同時に医療についてのリテラシーも必要だと思うのです。

近くの整形外科で加齢による膝間接の痛みと診断されていた妻は大学病院に行って、膝関節も筋も問題ありません。もし問題があるとすると筋肉が何らかの損傷を受けたことしか考えられませんと言われたというのです。今まで膝に注射してきたヒアルロン酸も何でもない所に刺激を与えるだけで何ら効能はないとも言われたのです。そういえば筋肉の損傷からの回復は大体3カ月掛ります。妻は昨日も鎌倉を歩いて痛みが出なかったといいます。ちょうど3カ月・・・・なるほど・・・・・・・

妻はもっぱら溜まった洗濯物の息子の大きすぎる白衣にアイロンをせっせとかけています。

2012年5月25日金曜日

陶磁器と私

父親の職業が「窯業」というのが気にいらなくて二十歳を過ぎるころまで、陶磁器や焼き物の類には手を触れることさえ嫌だった。

十数年前、知り合いが猿楽町の一軒家を改築してニューヨークの「FISH EDDY」というテーブルウェアのお店を始めた。どれもポップでニューヨークらしい食器だった。残念ながら親会社の負債のため閉店を余儀なくされたが良いお店だった。これがその一部。




しかしながら知らない間に色々な陶磁器を見ていたようだ。昨年、リックのパパに勧められ初めて訪れた大阪の東洋陶磁美術館もすんなり見ることが出来た。京都の楽美術館もしかり、埋め込められたDNAのせいであろうかこのところ陶磁器に目が行く。

父親は私が幼い頃に全国の窯元を渡り歩いた。益子にもよく連れて行かれた。河井寛次郎氏にも会っていた。バーナードリーチ先生から褒められたというのが自慢だった。父の最終的目標は足尾の拘泥をなんとか製品化し、公害の種をなくしたいというものだったようだ・・・夢は叶わぬままだった。

建築の世界では私はコルビジェが好きだ。バウハウスに代表されるシンプルな建築が好きだ。西海岸のCSHをみたときも衝撃を覚えた。真っ青なLAの空とされを切り抜く建物、素晴らしかった。

個人的にはライトより彼と袂を別けたシンドラーや彼に招へいされたノイトラが好きだ。

弊社の小さな建物を普請したときにノイトラのサインを要望したが出来あがったものは別物だった。だが文句は言わない。

器は料理を入れてなんぼだと思う。使えなかったら意味は無い。妻が肉じゃがを入れたのも正解。

その点では北大路魯山人や白洲正子の感覚が好きだ。

数年前、波佐見に行った。長崎に今も残る父の建築を訪ねて。その波佐見にある白山陶器は私が好きな窯元である。よくみかけるなんでもない白い醤油さしを作っているところだ。


同じような窯元が西海岸にもある。ヒースセラミックスだ。街道沿いのダイナーや食堂で出される何の変哲もないポテッとしたお皿である。

今検討中のライフスタイルショップで扱おうと思っている。青磁のような海を感じさせる色合いのソルト&ペッパー、シュガーポット・・・自分で欲しいものじゃなければ扱わない・・・・







ノイトラのタイルは個人的にものすごく欲しい・・・・・・・・





好きなものに囲まれているのはなんとも愉快ではないか・・・・

2012年5月24日木曜日

石を見つける  リテラシーの話

ブログはそうでもないのだけど、フェイスブックやツィッターをやっている人からはこんな危ない事があったとか、こんな危険な情報が平然と流れていると言った類の話が多く目にとまります。

当然、フェイスブックはオープンで原則実名です。悪用しようと思えば出来るでしょう。

ただ、私の仕事は長年、書類から事実を見分けることが要求されるのです。自慢ではありませんが1件を除いて、禍根なく20年続けています。唯一の一件は書類に書かれている事は全て真実で嘘が無く、提出した人も本人だったのに第三者が入居してきたという例です。これとて経験で今では判別できるようになりました。

しかしながら一般の人にこの経験を会得するには時間も掛るでしょうし、機会も少ないと思います。

そこで今日、糸井重里さんのブログにとても良いは記事が掲載されていましたので以下引用させていただきました。是非、それ以外にもイトイさんの慧眼ある言葉が掲載されていますので興味の方はブログに足を運んで観て下さい(指を運ぶ???)

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早野龍五さんが、霞が関での勉強会で、
「ツイッターに集まる玉石混交の情報を、
どう判断して選別するか?」という質問に、
「石を見ることが大事。
石を知らないとリスクコミュニケーションはできない」
と答えたと知りました。
なるほどなぁ、と思いました。

さまざまな危機のなかで、
ウソだのデマだのまちがいだのも、
事実や真実のように流通します。
しかし、どこかにウソやデマであるという点が、
見つけられるはずです。
それは、善意から出発して発せられたものでも、
善意のなかで流通していくものでも同じことです。
「ああ、これはデマなのか」と知ることが、
選んではいけない方向に
じぶんが進んでしまうことから、身を守れます。
これが、「石を見ることが大事」という意味でしょう。

ぼく自身が、二年間ツイッターをやってきて、
自然にやっている情報の選別が、
早野さんの語っている、この方法だったと思います。
ほんとうは価値のない、信じては危ない情報のほうが、
ハデだったり驚きがあったりね、スキャンダラスです。
そういう情報を目にした場合、
「たいへんだ!」とすぐに騒ぎ出すのではなく、
「ほんとかな?」といったん立ち止まって、
じっと見ることが大事だと思うのです。
幽霊を見たと思ったら、正体は枯れ尾花だったりします。
でも、それは、じっと見たからわかったことですよね。
「まさか!」という情報のほうが、人の興味を引きます。
でも、その「まさか!」が成り立つためには、
そうとうにたくさんの条件が必要になるはずですよ。
じっと見ると、おかしいところがかなり見えてきます。
ぼくは、ほとんどの問題にシロウトなので、
これが正しいと断言できるようなことは少ないのですが、
その情報は「石」だな、ということだけ判断しています。
「ほんとかな?」程度の勉強は、
シロウトでもできるから、そうしているだけです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
新緑がきれいだ‥‥とか言ってると、梅雨がくるんだよな。



http://www.1101.com/home.html

気になる人 堤 幸彦

映画の取り方には無数の方法があると思う。ストーリーを大切にして人物の心の様子を丁寧に描く方法、時間軸を基準にパラレルワールドを対比させる方法など手法は星の数ほどあろう。

私はこのところ堤幸彦監督の映画をよく観ている。漫画ではまった「20世紀少年」、テレビでお馴染の「TRICK」さらに藤田誠主演でB級戦犯で唯一死刑になった岡田准将の「明日への遺言」などそのどれもが堤氏の作品だ。

堤氏の出所は大学卒業後、専門学校で映像を習い、テレビ局に入社し数々のテレビを制作してきた。

そして最近になって映画のメガホンを取ることが多くなったと聞く。

先日「SPEC」観た。私はストーリーの展開が写真で切り取られた画像の連続のような気がした。

バルトの言葉を借りるまでもなく、日本は記号の国だ。彼はその記号をうまく利用しているのだ。

とある道路工事現場の画面に大きな看板が立てられている。実際に住宅街の郊外都市にある奇妙なこの看板を私も観たことがある。

そして並列してある看板も首都高に忽然と掲げられすぐに撤去された熱海の某旅館の看板・・・みごとに都界に存在する記号を違和感を映像の下敷きにしている。

何かの感覚に似ている・・・・そうだ、村上春樹氏が描くそれに似ているではないか・・・首都高3号線の西日の部屋、ベランダに出されたゴムの木・・・・どこにでもありそうで奇妙な景色だ・・・・

都界のラビリンスは存在する。少なくとも私はそう思う。映像は切り取られそれぞれバラバラにされ再構築される・・・・まだまだ堤氏から目が離せない・・・・・

2012年5月22日火曜日

庄司 薫

高校生の頃の愛読書と言えば庄司薫だった。仲のよい親友数人と彼の本を読んでその場面を共有していた。

田舎者の高校生は当時の東京での大学生の華やかな生活と政治や思想についての友人たちとのあけっぴろげの議論に憧れを抱いていたのかもしれない。

庄司薫は丸山眞男の最後の生徒だろう、彼は当時大学生で小説を書いていた。当時文Ⅱ(今の文Ⅲ)に入学するも成績優秀で文Ⅰに転部した。私は彼がかっこいいと思った。

デビュー当時、武田泰淳氏らには評価されるも、三島由紀夫には疑念を持たれる。しかし、最後には三島も認めた。

彼の作品がサリンジャーと似ているといわれることがある。あの独特の口語表現である。

私達にはそんなことはどうでもよかった、私達の近い目線で世の中を切り取っていた。

東大には行くことも志望校として書くことも憚られたが、憧れは強かった。同じ空気を吸いたかったからだ。

私達の頃には学生運動は下火になり、私立のいくつかの大学で辛うじてプラカードが残る有様だった。

丸山眞男に直接会っていた、Rパパから当時の雰囲気を聞く、羨ましい限りだ。

私達の頭上を学生運動という大きなエネルギーの通過した後の何にもないキャンパスで大学生活を送った。

後年、庄司薫が美人ピアニストと結婚した。やるな、と思った。

その後バブルで借金は膨れ、株や投資で大失敗をしたと聞く、普通なら破産していてもおかしくない。しかし、それも完済したと聞く・・・これもかっこいいではないか・・・・

いつまでも私達、昭和の青春のヒーローなのだ・・・



器用貧乏

「私は人に何でもしてあげるのだけど、いい事はないのよ、こういうの器用貧乏というのかしらん」

という人を見かける。それは間違い器用貧乏でも何でもありませんから。

私の仕事は江戸の頃よりサービス業です。そう家守の仕事というはサービス業なのです。

物を作る仕事でも、物を販売する仕事でもありません。

若い頃は、日本人と言うのはサービスの対価として何故お金を払いたがらないのかと前述の女性同様に憤っておりました。

それから数十年がたって今思うのは、自分がその時に行ったサービスというのはどこか打算的で、もちろん対価がその先に見え隠れするような薄っぺらいサービスだったのです。

我々は物を頼む以上、プロには対価を支払うのは当然のことです。しかしながら、今の私には無償の仕事こそが一番大切な仕事だと思っているのです。

先般も弊社のスタッフがある依頼に、その将来性が見込めないという理由で尻ごみをしていました。私はその縁が良い縁であるならば何故引き受けないのかと伝えました。

弊社にとってマイナスはないのですからプラスばかり追いかけても仕方ないことです。それより縁を大切に人から感謝される仕事をするべきなのです。

我々の業界は何かと言えばすぐ手数料を言いたがります。サービス業の対価というのは相手が満足してくれなければ頂戴出来ないのです。相手に満足してもらう仕事をどれだけしたかがその仕事ぶりということになります。

お金は後から付いてくるの例えはこのことです。

閑話休題

ここ数年お願いしていた植木屋さんを今年は辞めて、叔父に切ってもらいました。

実はここ数年の植木屋さんの仕事ぶりはまずく花芽は切るし、生垣の中は空かないので風通しが悪く、出来上がりの見栄えだけを意識したものだったので、いつかは変わるだろうと思っていましたが結局変わりませんでした。

こうみえても私は気の長い方で、相手が変わるのを待つこともあります。しかし、シグナルを送っても一向に変わらない場合には仕方ありません。契約を終了します。何故なら、自分たちと価値が共有できない人をいつまでもこちら側に留めておくことはその人達にとっても、私達にとっても無駄な事だからです。私はこうなると早いものです。

もし自分は要領がよいと思っているならご注意あれ。要領のよさなどこの世の中でこれっぽっちも価値はありませんから。器用なのは指先なら分かりますが、生き方が器用では信用がなりません・・・




2012年5月21日月曜日

「天衣無縫」「弊衣破帽」

人生は毎日が取捨選択の連続だけれど、大きな転機と言うものがある。

結婚と言うのは縁、上手くいく場合もあれば、上手くいかない場合もある。

それぞれの人によってその価値観は違うし、ましてや他人が一つ屋根の下に暮らすのだから色々な齟齬が生じてもいたしかたない。もちろん、それに耐えきれず別れる場合もあるだろうし、ずっと我慢して風船がはじけたように熟年離婚に至る場合もあるだろうし、最後までお付き合いいただける場合も多い。

私の場合には長女が生まれた時にひとつの転機が訪れた。

大学を卒業し、教員になる道を捨て、いくつかの企業の内定ももらい、自分で企業を選び入社した。

入社して、そのシステムに驚いたのだ。モラトリアムだった大学生が社会の荒波にもまれたというのとも少し違う。私が入社した企業はひとりのカリスマ経営者によって全てが決められていた。そのカリスマ性群を抜き、はっきりいって若造の私はその素晴らしさと慧眼に魅せられていた。

ところがそのカリスマを取り巻くお偉方や直属の上司ときたら、少しでも自分を良く見せようと諂いおべんちゃらを言い、あまねく上の優しく下に厳しいイエスマンだった。

同期も全部ではないが、自分の出世と少しでも高い人事評価のため、仲間を蹴落とすような功利的人間もいた。

私はそんなやり場のない憤りをストレスとして抱え込んでいた時に事件が起きた。私は体良く、地方に左遷された。そんな私の事を同期のほとんどは冷ややかな目で見送った。

ところが捨てる神あれば拾う神あり、私達よりひとつ上の先輩達は初めての学卒採用(4年生大学卒業者)の採用で、男性の縁故採用はない。本当に優秀な人たちだった。私はそこで数人の先輩たちにとても可愛がられた。

そんな時に長女の誕生である。東京と地方に切り離され、長女が生まれて帰りの新幹線で涙した事を覚えている。

暫くして帰省していた妻と長女が戻ってきた。そんな長女を見ながら自分のこれからの背骨になるような言葉を見つけた。「天衣無縫」ごぞんじのように、天女の衣に縫い目がない意から、詩文が自然でいて巧みなことや、純真で無邪気な人柄を言うのだが、中々その様になるには難しいし時間もかかろう。ならば「弊衣破帽」はどうであろう。バンカラとは意味合いが違う。どちらかという「騎士道の精神」に近いものかもしれない。服はボロボロ帽子も破れたような体裁でも、社会のためにならないこと、周りを傷つけるような事はせず、例え99人が反対してもその事が正しいと思えば正しいと言う人間になりたいと考えた。

すると目の前に掛っていた霧は晴れ、視界が良くなった。私は1年後に会社を辞めたのである。

今でも私が窮地に合った時(今考えると窮地でもなんでもない小さな事)に可愛がってくれた先輩達の多くは要職に就き、会社を経営陣として運営している。あの人たちの能力なら当然の結果だと思う。ただ、その中で特に可愛がってくれた先輩が数年前に他界した。とても残念だった。

子育ては神様から親に与えられたプレゼントだと思う。もちろん期間限定のプレゼントである。

生まれたときから子供が社会に出るまでが親業の期間である。親はその事を通じて、様々な価値観の人と出会う。それを咀嚼するかしないかは本人の努力次第である。

結婚して子供がいない人もいる。総じていうつもりはないが、若々しい反面、賢慮=フロネティクスに欠けている人が多いような気がする。

子育てとは自分の価値観の前に子供がいる。いくら自分の価値観を通そうとしても子供がいるのである。つまり、弊衣破帽の心根であっても子供と言う制限によって、社会的、普遍的価値観と擦りあわされ昇華されるのである。これによって唯我独尊はだいぶ修正されるのではないか・・・

この歳になって、二人の子供が生まれた事に感謝する。君たちによって私はだいぶ成長する事が出来たのだから・・だいぶ・・ね・・・・

2012年5月18日金曜日

悪い利益 良い利益

お金は全部同じだと思っているのなら、それは違います。

お金には良い利益(お金)と悪い利益(お金)があるのです。

実務はスタッフのT氏にほとんどお任せしていますが、相談事や頼り事があると私の出番です。

もっとも私がそんな頼みごとを受ける人はこちらも相手を尊敬し、無私の心で行える相手に対してです。

弊社がお世話になっている先生は、人格もさることながら、その縁で一番大切なお客様の事業を飛躍的に発展させる礎となった人でもあります。

結果として弊社も助かりました。

そんな人の頼みとあらば断るわけにはいかないでしょう。

大きく街が変わった品川のホテルでこれからの展望について稚拙ながらお話させていただきました。

幸いにもまだお若いお二人のご兄弟は保守的でもなく、初対面の私の話を受け入れてくれて、真面目にノートまで取っていました。

話の中で、悪い利益と良い利益の話になり、結局、悪い利益は自らにとって必ず負の作用に及ぶということも理解されたようです。

個室で昼食をご馳走になった上に帰りのお車代も戴きました。今後何かあったら何なりとご相談下さいとご挨拶してお暇しました。

そんなに回数がある訳ではありませんが、私はお車代は使わないようにとってあります。

もともとお金を目当てにしている仕事ではありません。相手に喜ばれることが何よりなのですから・・・・

そうこうしている内に7ケタになりそうです。塵も積もれば何とやら・・・面白いものです・・・・・

2012年5月17日木曜日

私の開高健

開高健の小説や散文はほとんど読破している。どうして好きかと言うと彼の文章には体験して知っている人にしか持ちえないニヒリズムとシャイが同居しているからだ。

後年、彼がアマゾンやアラスカの冒険旅行をしたのもそうした原体験を埋める作業のような気がしてならない。

私が当時、ワインのことなど何も知らぬ若造の身分で短編集「ロマネコンティ 1935」という本を読んだ記憶がある。

今は手元にもなく絶版となっているので、手に入れるのは古書店で見つけるしかない。ただし、文庫になっているので比較的手に入れやすいだろう。鎌倉で探してみようか・・・



先日、犬友のMちゃんパパにこの本をお借りした。著者は長年開高の編集者として身の回りのことや愛人への送金まで任された人である。これは読んでいなかった・・・

現在はパリに在住し、ワインの専門家として人気を博している。

そんな彼女が人生で薫陶を受けた開高のことを書いている。面白くないはずがない。

好き勝手に生きてきた開高が、いまわの際になって復讐をされる。独占と言う復讐を・・・そして彼が去った後に残ったものは・・・

男の優しさとはなんであろう・・・今、自分に出来ることとして相手の事を考え、封筒に100ドル札を束ねてそっと渡すことなのか、それとも君が来ると色々とまずいから君はこないように釘をさすことなのであろうか・・・優しさとはやっかいな代物である・・・・

開高とヘミングウェイはその風貌もさることながら、自分で何事も実践する作家として共通していると思う。
ヘミングウェイはスペイン内乱、開高はベトナム戦争・・ふたりとも人間の最も卑しい所作である戦争を体験している。

この二人は書くと言うことが出来なかったらもっと早く命を落としていたのではないかと思う。

ふたりにとって書くことは、唯一の現実だったのだ。それ以外は全て夢かうつつか分からないものだったのでは・・・・と考えてしまう。

それにしてもボルドーのシュバルブラン(今はどうかわからないが)のオーナーがサントリーださったとは初耳であった・・・・

2012年5月16日水曜日

カズオイシク゜ロにご用心

カズオイシグロの本を読んだことはあるであろうか?まあ無いならそのまま飛ばせばいい・・・

私はこの手の作家が苦手である。そう村上春樹氏のように・・・何が苦手かというと(苦手という表現は間違っている、自分と違うという意味)彼らの思想はコスモポリタンだからである。

私のようにこの小さな島国から出ることもなく、せっせと農耕民族の性からか、律儀に働き共同体のルールを守る。こんなつまらない人間とは比較にならない世界観を持つからだ。

彼らには羽根がある。世界中どこへでもまたたく間に飛んで行ける。いや、目をつぶれば私達の見たこともないような景色が原色で表れるのだ。

私は彼らに嫉妬する。観た事が無ければ想像できないからだ。私には想像できない。

しかし彼らの本を読めば「その世界」に旅立ちする事が出来る。一種の麻薬である。

今週末は天気も穏やかだという・・・デッキに寝そべって・・・こんな本を読み、心のトリップでもしてみたらどうだろう・・・・


Fair

僕がブログを初めて3年になる。もともとしつこい性格だからこの位は続くと思っていた。

当然、数人の友人のプログは毎日見ているし、気になる有名人のブログも見ている。

数日前に丸山眞男の「キヨキココロ」の危険性について少しばかり書いた。ヒステリックな日本人の「古層」にこのキヨキココロが存在しているのだ。

ところが昨日、ある人(有名人)のブログにハリウッドの大女優であるジョディ・フォスターが今のアメリカに巣くっている現況が「Fair」であると述べていたのは驚きだ。

以下そのブログをご参照あれ・・・

http://blog.excite.co.jp/switch-imai/


アメリカもそうなのか・・・確かにオバマの選出とその後の政治運動、その節が見当たる・・・いやまてよ、フランスだってサルコジが敗れた・・・これは???・・・・・

何となく世界全体、キヨキココロを目指して臭いものに蓋をしているような気がする。

みんながみんな繋がっているつもりになって実際には空気団子しか食べていない。

そんなことしてたらスカスカになっちゃう・・・世界が・・・・・

2012年5月15日火曜日

野田VS小沢

テレビで話題になっている野田首相と小沢元党首の消費税増税を認めるか否かという議論をどのようにお考えであろうか。

消費税増税は財政再建と社会保障のために必要とする政府に対して、景気回復していない現状での増税を反対する小沢氏であるが、私は大統領選を大勝したレーガン政権の時にだぶってみえる。

その前に経済学のお話。マクロ経済においてサプライサイド経済学というものがある。簡単に言ってしまえば減税すれば、景気が上向くといった理論である。

レーガンはこの政策をとった、多くのサプライサイド経済学者を周りに集め、レーガノミックスという経済政策をとったのである。

そもそもサプライサイド経済学の生みの親であるアーサー・ラッファーが提唱したラーッファー曲線なる減税と経済成長と言う二つの要素を無理に結びつけ一つの法則でこの政策は実行されたのだ。

結果は、経済成長はなされず、双子の赤字と言われる貿易赤字と財政赤字を発生させたのである。

後になってこのサプライサイド経済学はブッシュによって馬鹿げた呪術的政策としてブゥドゥー経済学と揶揄され、次第にホワイトハウスからこの手の人間が放逐されたのはいうまでもない。

私には小沢さんがレーガン元大統領にタブって見えるのはそのせいだろう・・・

自動車考

宇沢弘文と言う経済学者を知ってますよね・・・この人の著作は数あれど、「自動車の経済学」という本は素晴らしい、簡単に言ってしまえば自動車を持つと言う事は「不経済」なのです。

それまでどういう風に車を所有して、減価償却をどうするか、ガソリンの消費量はどうなのかなど自分で試算し、合理性を求めていましたが、どんな事をしたって「不経済」なのですから、そもそものルーツが間違っている訳です。

それ以来自動車は趣味、燃費がどうだとか、経済性がどうだとか考えない、つまり自分の好きなものに乗れば良いと考えるようにしたのです。

21世紀に入ってインターネットの普及によりポーターレス化が進み、情報量は飛躍的に増しました。

しかし、そのことで我々は間違った情報取得をしているケースも多いのではと考えてしまいます。

アルゴアの「不都合な真実」が上梓されたとき、誰もがエコロジー、エコロジーとおおはしゃぎしました。ところが蓋を開けてみるとその事実は「作られたもの」だったり、人々の不安を煽るもので科学的根拠のないものだったりしたのです。

確かにこのまま人間が自然に対して傍若無人に振る舞うことは許されないでしょう。ただ、人間の不安心理を煽ってカルトと同様な危険思想をマスコミが流布する事はもっと悪いことです。

丸山眞男をここ数年読み返していますが、彼が言った日本人の「ヨイココロ」とは裏返せば科学的検証も無しに「ヨイココロ」はそれら論理性の上段に位置し、全てを飲みこむものです。

池田信夫氏も言っていましたが、特攻精神もその顕われでしょう。

断っておきますが私は原発依存派ではありません。原発は将来において別のエネルギーに変えるべきでしょう。ただ、ヒステリックに今すぐやめろとか、事故直後にマスコミに登場し、自分の子弟をすでに国外に退避させていると言った輩のように蛮行はしません。

エコとは企業戦略です。皆さんはその事をご理解されていますか。エコカーと言えば売りやすい、燃費が良いと言えば売りやすい、ただそれだけです。

本来なら一つの車を大切にして何十年も乗っている事がエコなのです。燃費の差なんて車本体のエコ係数にくらぶれば僅かなものです。買い変えないのが一番エコなのは一目瞭然なのにです。

ここまでお話すれば、如何に私達は企業とマスコミに踊らされているか良くお分かりになるかと思います。

エコと言う企業戦略、そして合理性の追求が我々の生活をつまらない、均一なものにしようとしているのです。

まあ、私がハンドルを握れるのはあと15年程度でしょう。エコカー以外の重量税が2倍に跳ね上がっても、へそ曲がりの私はエコじゃないと指さされようとも気にしませんが・・・・・・・・・

2012年5月14日月曜日

縁とは

大学のゼミのOB会がありました。30年以上続いている稀有な存在です。先生のご健康のお陰と感謝しております。

その先生が現役で私達を教えている時も良く口癖のように良く使っていた言葉があります。

それが「縁」です。

考えてみると結婚したのも、子供達が生まれて育っていたのも、犬を飼ったのも全て「縁」です。

何かの「縁」が無ければ一生出会うことの無かった人同士がこの「縁」によって結ばれます。

探してみるとこの「縁」は毎日、どこでも、あちらこちらに存在しています。

若い時分にはそんな事考えたこともありませんでしたが、40歳を過ぎてつくづく感じるようになりました。

今こうしていられるのも、この「縁」のお陰だとしみじみ感じます。

私がMBAの取得を真剣に考え、英語の履歴を書いていたときにある人が「そんなことしても意味がないし、遊べなくなっちゃう」と言ったことがきっかけで辞めました。辞めた代わりにとても貴重な経験を沢山することが出来ました。物事の選択でした。

また、ビジネスにおけるオフバランスの感覚の大切さも教えてもらいました。これは同時にサンクコストの意識も教えてくれました。これ以来、物は持つものでなく使うものだと考え方が大きく変わりました。

息子の学校の先生もそうでした。中学2年生にウォーラーステインやスーザンソンダクを教えてどうなるのかと思いましたが、教えなければ成長する芽も成長しないし、全てに同じ栄養を効率よく与えることが教育ではないということも教えてもらいました。

こうした多くの「縁」によって日々生かされているというのが実感です。

歳を取った時に若い時の苦労を苦労として思い出すのではなく、その苦労が今の自分を作った良い経験だったと思えるようになりたいものです。

柄にもなく、現役の子育て奮闘中のお母様に偉そうな事を言ってしまいましたが、こちらとてまだまだ成長過程、若輩の身なのであります。ご勘弁下さい(笑)

先生の教えて戴いた「縁」をしっかり守って育てて行きたいものです・・・・・・



2012年5月11日金曜日

MY ALBUM

皆さんはアルバムを何冊くらいおもちですか?我が家には50冊近いアルバムが本棚の最上段で埃を被って眠っております。
何処の家庭でも最初の子の方が写真が多くなるたとえの通り、我が家でも長女の写真が多いようです。
考えてみるとこのアルバムは結婚してからのもので、私達の幼い頃の物は実家においてあります。

結婚と言うひとつの儀式を契機に自分たちの人生をリスタートさせたのかもしれませんね。

つまりはこれらのアルバムは私達夫婦のものであり、子供達のそれではないのです。子供達は自分たちも新しいアルバムを作って行かなければならないのです。

最近では重くて嵩張るアナログの写真より、デジタル化が叫ばれ全ての写真がPCの中で管理できるようになりました。
時系列に検索すればあっという間に写真を取り出すことも出来ます。さらにクラウドを使えはその写真を数人で共有したり、いつでも見ることが出来ます。

そんな古くて重いアルバムを見ていると私達の尖がった顔も大分丸くなった(物理的には十分丸いですが・・笑)ようですが、若い時に世間全体を敵に回しても自分の考えを貫いていた鋭い眼光は多少穏やかになったにせよ、相変わらず反骨の精神は残っているような気がします。

今日、糸井さんのブログ(愛読者ですので)に「30才位までは少年のようなと言われても良いが、それ以上の年になってまだ少年のようなという形容をされたら、それは自立していない、危なげなことである」と否定的に書かれていました。

そうでしょうか、丸山眞男がいうように日本人は多分に「動機の純粋性」好むの例え通り、感情的な正しさを優先させます。昨今の原発廃止論などまさにその通りです。動機が純粋なら、経済性も、法理性も無視しても良いと考える訳です。池田信夫氏はこれを「福島みずほ化」と読んでいました。(笑)

確かに動機の純粋性のみで感情鼓舞するのは間違いです。そうではなく、大人になると見えなくなる何かをインスピレートすることです。

少年っぽいとは見掛けや、スタイルの事ではありません。そんなインスピレートを大切にして、自分の考えを持つことです。そして周りに迷惑を書けない、それが本当の大人の少年っぽさではないでしょうか。

幸いな事に私の周りには60歳を過ぎてもそうした大人の少年っぽさを持っている人が多くいます。

私もそうした大人の少年っぽさを失わない老境を迎えたいものだと考えています。

2012年5月9日水曜日

好きな街  Paris

ヨーロッパの街はどこも歴史的すぎて私達を容易に受け入れてくれない。

パリを訪れたのは仕事の商材を集めるためだった。私は妻の用心棒といったところだ。

パリにはその後1年に1.2回は出掛けるようになった。お店を辞めるまで5.6年通い続けた。

最初にパリに着いて向かったのはモンマルトルの坂の途中にある小さなホテルだった。

重い荷物を石畳の階段を引ずるようにしてそのホテルまで運んだ。

ホテルはレストランもない小さなもので、部屋にはスーツケースを入れると動き回れるスペースもなかった。

このホテルは画家たちが集まり、アトリエとして使われていたと表の看板に書いてあった。

ユトリロやロートレックと同じように、小さな部屋の窓からモンマルトルの坂を行き交う人の姿が良く見えた。

季節は9月の末だと言うのに異常気象の影響からか、夏のような暑さで、昼間は半袖でも暑い位だった。

私が階段のベンチに腰をおろして妻を待っていると、階段の下の方から身長は2メートルを超えるような真っ黒な大男が近づいてきた。

一瞬身構えたが、その男は私に握手を求めてきた。男はセネガルから出稼ぎにやってきているようだった。すぐしたのレストランで下働きしているので遊びに来るように誘ってくれたのだ。どうやら日焼けしてぐたぐたのコートを羽織った私も同様の出稼ぎと間違えたようだった。

モンマルトルという駅は無い。一番近いのがアペスという駅だ。

駅とは反対側に坂を上って行くとサクレクール寺院がある。高台の広場は画家たちが思い思いの絵を描いて観光客に売っていた。

ここからパリの街が一望できる。パリの街には様々な形のチムニーが屋根に張り付いている。

パリの屋根が見えるのだ。

坂の下にはぶどうの栽培をしている畑が広がっている。ワインの国といっても街中でブドウの栽培をしているところは少ない。

その後もっと高級で立派で快適なホテルに泊まったがこの最初のホテルが一番印象深い。







好きな街  Hongkong

まだ啓徳空港だった頃、飛行機はビルすれすれにこの空港に舞い降りた。世界でももっとも離着陸の難しい空港だという。

飛行機はBAの経由便だったために3時間近くデレイトして空港に着いたのは10時近かった。

香港島から九龍に向かうにはフェリーか海底トンネルになる。

この時はトンネルだったが、フェリーで九龍の灯りが徐々に大きくなるその光景はこの街に来た実感が増す。

いずれ壊される予定だと言う九龍城は明かりもなく、入り口を閉鎖されていてまるで巨大な怪物を動けないように雁字搦めにしているようだった。

ブレードランナーに出てくる近未来の世界は香港そのものだ。新しさと古さがごちゃまぜになり、どことなく湿った雨の匂いを感じさせる。

香港に来て3回目の時、鳥籠を通りのあちこちで売っている所にいった。階段を上りその通りに出た。するとさっき通り過ぎたはずの街の景色がまた広がった。既視感。

この街の色は晴れていても、鮮やかではない。どこかピンボケしたようなデイドリーム。通りで大きな牌で麻雀をしている人達も向う側にある。

そのくせ夜になるとそのくすぶっていた色とは裏腹に原色の世界になる。強烈でどぎつさはどこか人間の欲望に似ている。

この街の不思議さに魅せられて1年間に3回も訪れた事があった。

中国に返還されてからは一度もいっていない。




好きな街  NY

私は街が好きだ。喧騒と街の息遣いが感じられるようなそんな街が好きだ。夜、一人で放り出されるとそのカオスの中で方向感覚を見失うようなそんな街が好きだ。

まだワールドトレードセンターのツインビルが存在していた頃、ニューヨークの分水嶺=watershadwである初夏のシラキュースの上空を通過してJFKに降り立った。

空港の施設は古びていて、空港内の荷物用カートも鈍色の傷だらけの物が散乱していた。

しばらく前にこの空港を舞台にしたターミナルという映画を観たが、この時のJFKは時代の疲れを一気に背負っていた。

タクシーはマンハッタンを結ぶ橋の上を走っていた。対岸のレンガ造りの建物のペントハウスにはサマーベッドとパラソルが用意され、主人の帰りを待っているようだった。

日はいよいよ西に傾き、ガラス張りのビルを橙色に染めて漆黒の夜に姿を変えて行った。

私はインド人の運転手礼を言い、ほんの少し多めのチップを渡した。

私の泊ったホテルは前の方の建物こそはネオゴシック様式で、蛇紋岩の柱にレリーフが施され荘厳さを醸し出していたが、宿泊する建物は構想のタワービルで薄っぺらい内容のホテルだった。

エッグベネディクトは1920年代にこのホテルのレストランで二日酔いの常連客に出したのが始まりだったと何かの本に書いてあった事を思いだした。

翌日は真夏のような天気で、街を歩く人は上半身裸の人までいるくらいだったが、この熱気は今日がプエルトリカンの祝日であることも加わっていた。

この日ばかりは警察も大目に見ているのか、街の中では派手なクラクションを鳴らしながら、国旗を靡かせて通り過ぎる車も多かった。

セントラルパークの木陰で涼をとりながら通りに目をやるとパレードが始まったようだ。

沿道は多くのヒスパニック系の人々で埋め尽くされ既に立錐の余地はなかった。そんな中、いかにも場違いのサイクルウェアに身を包んだアングロサクソンのカップルが無理に自転車でその群集を横切ろうとするので、群衆から野次が飛んでビールをかけられていた。

夜半までその熱気は続いた。

私はグランドセントラル駅まで歩いた。この駅はニューヨークで好きな場所である。以前この駅を題材にクロッシングという小説を書いたことがある。この駅は人種の交差点である。白人もいればアフリカ系黒人、ヒスパニック、アジア人・・教科書で習った人種の坩堝である。

日本の駅と違うところはその天井の高さだ。アーチ型をした天井は高く、綺麗な曲線を描いている。

靴磨きの黒人と目があった。黒人は笑いながらまたくるりと向きを変え、関係ないねといった顔をしていた。

私の脚元はキャンパスのスニーカーだったからだ。良く見てみるとキャンパスの時代遅れのスニーカーを履いているのは私ぐらいなもの、そもそもスニーカーの人が少ない。

ダコタハウスについたのはその翌日だった。