私は街が好きだ。喧騒と街の息遣いが感じられるようなそんな街が好きだ。夜、一人で放り出されるとそのカオスの中で方向感覚を見失うようなそんな街が好きだ。
まだワールドトレードセンターのツインビルが存在していた頃、ニューヨークの分水嶺=watershadwである初夏のシラキュースの上空を通過してJFKに降り立った。
空港の施設は古びていて、空港内の荷物用カートも鈍色の傷だらけの物が散乱していた。
しばらく前にこの空港を舞台にしたターミナルという映画を観たが、この時のJFKは時代の疲れを一気に背負っていた。
タクシーはマンハッタンを結ぶ橋の上を走っていた。対岸のレンガ造りの建物のペントハウスにはサマーベッドとパラソルが用意され、主人の帰りを待っているようだった。
日はいよいよ西に傾き、ガラス張りのビルを橙色に染めて漆黒の夜に姿を変えて行った。
私はインド人の運転手礼を言い、ほんの少し多めのチップを渡した。
私の泊ったホテルは前の方の建物こそはネオゴシック様式で、蛇紋岩の柱にレリーフが施され荘厳さを醸し出していたが、宿泊する建物は構想のタワービルで薄っぺらい内容のホテルだった。
エッグベネディクトは1920年代にこのホテルのレストランで二日酔いの常連客に出したのが始まりだったと何かの本に書いてあった事を思いだした。
翌日は真夏のような天気で、街を歩く人は上半身裸の人までいるくらいだったが、この熱気は今日がプエルトリカンの祝日であることも加わっていた。
この日ばかりは警察も大目に見ているのか、街の中では派手なクラクションを鳴らしながら、国旗を靡かせて通り過ぎる車も多かった。
セントラルパークの木陰で涼をとりながら通りに目をやるとパレードが始まったようだ。
沿道は多くのヒスパニック系の人々で埋め尽くされ既に立錐の余地はなかった。そんな中、いかにも場違いのサイクルウェアに身を包んだアングロサクソンのカップルが無理に自転車でその群集を横切ろうとするので、群衆から野次が飛んでビールをかけられていた。
夜半までその熱気は続いた。
私はグランドセントラル駅まで歩いた。この駅はニューヨークで好きな場所である。以前この駅を題材にクロッシングという小説を書いたことがある。この駅は人種の交差点である。白人もいればアフリカ系黒人、ヒスパニック、アジア人・・教科書で習った人種の坩堝である。
日本の駅と違うところはその天井の高さだ。アーチ型をした天井は高く、綺麗な曲線を描いている。
靴磨きの黒人と目があった。黒人は笑いながらまたくるりと向きを変え、関係ないねといった顔をしていた。
私の脚元はキャンパスのスニーカーだったからだ。良く見てみるとキャンパスの時代遅れのスニーカーを履いているのは私ぐらいなもの、そもそもスニーカーの人が少ない。
ダコタハウスについたのはその翌日だった。
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