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2013年2月13日水曜日

私のアメリカ

1979年の8月私は片道のチケットを握りしめてロサンゼルス国際空港に立っていた。

経由便に載せられやっとアメリカに着いた。外は雨が降っていた。

食費とアルバイトで貯めたいくばくかのお金で格安航空券を購入した。確か空港会社も何もかも決まっていない、まるでこれからの自分を暗示するような心細いスタートだった。

海外どころか飛行機にも一度も乗ったことのない若者が初めて降りたのがここロサンゼルスだった。

私にとってのアメリカはポパイや平凡パンチに掲載される西海岸の文化そのもので、そこには日本にない自由と新しさがいつもあった。

それから30年以上が経過し、そんなことを忘れていたときに、ふとしたことで青山のギャラリーに足を運んだ。

するとそこには当時にそれらの雑誌にアメリカから情報や写真を送ってくれていた小林昭さんがいた。

そう、彼の「P.O.P」の写真集の個展だった。彼は昨年からサーフィンを始めたらしい。

サーフィンはとても魅力的で、自然と一体になれると言っていた。彼らしい。

その中でも特に私の印象に残ったものがこの一枚。マリブの全景だった。

記憶の澱の中に忘れいた記憶が甦ってきた。

若者の暴力的とまで言えるエネルギーが当時のヒッピーやサーファーに静かに神託された自由と寛容と引き換えに広がっていたアメリカ、そのアメリカを観たかった。

果たしてアメリカは変わってしまったのだろうか。

答えは言わない。

この写真を見て考えてほしい。

日本とアメリカ、この二つの国は同じように年をとったはずなのに、ふたつの国の立っている場所がまるで違う。

どちらがどうのと言うんじゃない、ただ違うのだ。