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2010年12月10日金曜日

日本橋 さるや


日本橋小網町に古くからつづく「さるや」さんという楊枝屋さんがあります。

創業三百年とは驚き桃の山椒の木です。

ここの楊枝は桐箱にくろもじの楊枝が入っています。

親しい人にお渡しするお年賀にしています。とても良い匂いです。

教育論  水やりの大切さ

大学4年の時に急遽教職を履修して教師になりたいと思った私ですが、結局教師にはなりませんでした。

私は高校の国語の先生にあこがれてその先生の出身大学を受験したいと思っていましたが、諦めました。現役の力では突破できなかったからです。諦めましたがその当時は本当に一生懸命に勉強していました。睡眠時間は平均3時間でした。

しかし、ある時駿台の夏期講習の午前部に出席していた私は、自分の実力のなさと、どうしてこんな難問が解けるのかとという不思議さでたまりませんでした。私の点数が10点にも満たないのに、となりの開成高の生徒は80点です。

それから数十年が経過しました。白髪も交じり始めました。そんなとき息子が珍しく自分から「塾に通っていい」とお願いされました。

妻とは顔を見合わせましたが、息子の真剣さにもちんOKを出しました。

妻の友人に家族のどこを切っても東大しか出てこない秀才の家族がおります。そのときに受験の前に九州の阿蘇に旅行に行ったという話を聞きました。しかし、何故「阿蘇」なのかその時は理解できませんでした。

さらに仕事でお世話になっている某大手商社の社長をされているM氏がご婦人とともに食事をしているときに「今の私は中学受験の残滓のようなものさ、中学受験はここまで使えるよ、やりたいならしっかりとやらせた方が良い」とアドバイスを受けました。なるほどみなさん九州全部言えます?

それから2年間私の日曜日は息子の送り迎えに費やしました。長い人生の中、子供とこんなに濃密な時間を過ごせることは滅多にありません。趣味のサーフィンも旅行もとりやめ子供と過ごしました。そのことを楽しみました。楽しめること、ここが重要です。

結果息子は志望した中学に入学し、塾も行かずにそのままストレートで東大に入りました。そうです、余力を持って入学することが出来たのです。昨今の問題となっている「燃え尽き症候群」のようにならずに大学に入れたのです。人生の目標は大学に入ることではありません。その先の将来のためにあるのです。

植物には栄養や水を上げるタイミングが大切です。必要でもないときにやりすぎれば枯れてしまいます。教育とはそんなものです。

是非これから受験をお考えのご父兄がいらっしゃいましたならば、この水やりのタイミングと量を大切にしてください。

今なら何故「阿蘇」だったか私が分かるように、その時には違う世界が見えてくるはずです。

セレンディピティと嫌消費

嫌消費についてはすでに書いたことがあるのでここで説明は割愛します。

ところでよくSパパが私に「路傍の石を金塊にかえる」といいますが、私はそんな錬金術師のようなことは出来ません。

ただ別の事をしていて「たまたま」「偶然」別のものが見つかることがよくあります。一般にはこのような能力を「セレンディピティ=偶然発見能力」とでも呼ぶのでしょうか・・・・・・・

若い頃から自由が丘の「ガーデン」やデンエン、有栖川のナチュラル麻布、ニッシンワールドデリカテッセンなど高級スーパーを「覗く」ことが大好きだった数年前NYに行ったときに目にしたディーン&デルーカに驚き、日本でやりたいとすぐに考えました。もちろん日本に上陸するずっと前のことです。

しかし、その当時の私は子育ての他に飲食業、輸入物販業、不動産管理業、コンサルタント業と2足どころか4足のわらじたったのです。日本に導入したいと内心は思いながら数年が経過しました。

すると新聞紙上に神宮前の「ロータスカフェ」や「バワリーズ」のオーナーY氏がこのスーパーを日本に持ってくるとニュースが出ていました。大手の資本を従えてです。

このとき私はこれで良かったと思いました。無理をしてやることも時には必要だけれと゛社会の流れをよく見極め俯瞰しながら進むことの大切さを十分理解しました。

代わりにキャッシュフローは改善し、私の会社の経営改革が成し得たのでした。

何が言いたいかといえば、大切なのは経営者は異なる引き出しとポケットをいくつ持っているかということなのです。

本来は大学時代にこのことを習得すべきです。もしできなかったなら社会人になっても間に合います。どれだけ自分の興味のアンテナを張り巡らし、自己啓発するかです。つまりは嫌消費がカッコイイと思って行動している人に忠告したい、それは時代遅れのパンクファションと同じだということをです。

今は自分のアイデンティティのみで良いでしょう。しかし、経営者になるということは他のアイデンティティも認知し、消化することなのです。

セレンディピティはこれなくして成立しません。

はやぶさの失敗

6年後にチャンスがあると一縷の望みを託しているようですが、我が国の最先端の研究は今や瀕死の状態にあります。もちろんこのプロジェクトに関係してきた人は一生懸命に頑張っていたはずです。

我が国の現状を冷静に俯瞰すれば高度経済成長と共に成長した企業が蓄えていたテクノロジーを
現在蛸の足食い宜しく、貪りつくして生きつないでいるようなものです。

CPスノウが「二つの文化」で述べるまでもなく、理系と文系の乖離した世界で、国は文系の政治家により本当に必要なものを理解しないまま数10年が無策に経過していったのです。

国民のご機嫌ばかり取っている政治は国を衰退させます。基礎研究には長い時間と莫大なお金が掛るのです。これを怠ったツケが回ってきます。

今日もファイナンスの仕事があります。金融というものは本来、産業を育てはぐくむ使命を持っていたはずです。経営者や幹部がグリードであるのはもっての他ですが、投資家たるものそうした金融の本質を理解し投資を行う自負が必要です。

息子の話では泥船から逃げるがごとく優秀な研究者はこの国を去る事を真剣に考え始めているようです。

子供手当を貰うより、この国の将来にそのお金を使って欲しいものです。

エレノア・ロッシュ 

この著作の作者のひとりでもあるエレノア・ロッシュは1970年代にプロトタイプ理論を提唱した人物です。ここでプロトタイプ理論について簡単に説明します。

プロトタイプ理論とは、言語学・認知心理学上の概念で、人間が実際にもつカテゴリーは、必要十分条件によって規定される古典的カテゴリーではなく、典型事例とそれとの類似性によって特徴づけられるという考え方であり、このようなカテゴリーをプロトタイプ的カテゴリーと呼ぶ。認知言語学の基本的なテーゼのひとつである。


たとえば「鳥」という語から想起されるのはカラスやスズメなどの空を飛ぶ小動物であり、ダチョウやペンギンなどは典型事例から外れている。典型性の差にもとづく現象は一般にプロトタイプ効果と呼ばれる。またこれに関連して、「鳥は飛ぶ」のように特別な文脈上の理由がないかぎりデフォルトとして仮定される状況は理想化認知モデルなどと呼ばれる。


プロトタイプ的カテゴリーの考え方は言語学上の概念自体にも適用される。例えば、名詞や動詞のような品詞も、境界は明確でなく、それぞれ典型的なメンバーと、非典型的・周辺的なメンバーをもつと考える。

以上ウィキペディアより抜粋

この著作の中で何が注目に値するのかといえば、自己と世界との循環的繋がりに対して西洋哲学が無視し続けていたものを仏教哲学の力を借りて、究明しようとしている点です。そしてやっと邦訳され発売された別書「U理論」も実はこのエレノア・ロッシュ達の思考を連綿と受け継いでいるものなのです。経営哲学において最も重要なことは内省と外省の関わりを認めることです。過去の経験ばかりにとらわれ、認知バイアスにより物事の本質が歪められることは経営にとって最も恐ろしいディスアドバンテージです。その循環的関係を理解することは重要なテーゼです。

Morning Glow

まだ暗い静寂を3号線に乗って東に向けて走る

ヘッドライトが濡れた路面を照らす

夜の帳を切り裂くように、東の空が俄かにさわがしくなってくる

モノクロームの世界から、カラードの世界に、時計の針が午前6時を回る

星たちはまたたきを急にやめ、すっと姿を消してしまう

Mornig Glow

流れている曲はParis MatchのAfter SixのTime after sunriseです。