大学4年の時に急遽教職を履修して教師になりたいと思った私ですが、結局教師にはなりませんでした。
私は高校の国語の先生にあこがれてその先生の出身大学を受験したいと思っていましたが、諦めました。現役の力では突破できなかったからです。諦めましたがその当時は本当に一生懸命に勉強していました。睡眠時間は平均3時間でした。
しかし、ある時駿台の夏期講習の午前部に出席していた私は、自分の実力のなさと、どうしてこんな難問が解けるのかとという不思議さでたまりませんでした。私の点数が10点にも満たないのに、となりの開成高の生徒は80点です。
それから数十年が経過しました。白髪も交じり始めました。そんなとき息子が珍しく自分から「塾に通っていい」とお願いされました。
妻とは顔を見合わせましたが、息子の真剣さにもちんOKを出しました。
妻の友人に家族のどこを切っても東大しか出てこない秀才の家族がおります。そのときに受験の前に九州の阿蘇に旅行に行ったという話を聞きました。しかし、何故「阿蘇」なのかその時は理解できませんでした。
さらに仕事でお世話になっている某大手商社の社長をされているM氏がご婦人とともに食事をしているときに「今の私は中学受験の残滓のようなものさ、中学受験はここまで使えるよ、やりたいならしっかりとやらせた方が良い」とアドバイスを受けました。なるほどみなさん九州全部言えます?
それから2年間私の日曜日は息子の送り迎えに費やしました。長い人生の中、子供とこんなに濃密な時間を過ごせることは滅多にありません。趣味のサーフィンも旅行もとりやめ子供と過ごしました。そのことを楽しみました。楽しめること、ここが重要です。
結果息子は志望した中学に入学し、塾も行かずにそのままストレートで東大に入りました。そうです、余力を持って入学することが出来たのです。昨今の問題となっている「燃え尽き症候群」のようにならずに大学に入れたのです。人生の目標は大学に入ることではありません。その先の将来のためにあるのです。
植物には栄養や水を上げるタイミングが大切です。必要でもないときにやりすぎれば枯れてしまいます。教育とはそんなものです。
是非これから受験をお考えのご父兄がいらっしゃいましたならば、この水やりのタイミングと量を大切にしてください。
今なら何故「阿蘇」だったか私が分かるように、その時には違う世界が見えてくるはずです。
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