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2013年5月15日水曜日

花パン


花ぱん

子供の頃、生まれ育ったK市は大きな街だと思っていた。大きなぐわらんどうの器の中で滓となってまとわりつき一生涯その街を外れることなど出来やしないと思っていた。あの頃、夏まつりは盛んで、旧暦のお盆のときには町内ごとに御神輿や八木節の舞台が道の真ん中に作られていた。老いも若きもこの日ばかりは浴衣を着て集まった。中学生の頃、祭りの日は喧嘩の日でもあった。街中の血気盛んな中学生が集団になり対峙する。ただ一番威勢がいいのは喧嘩が弱い。たいがいはそうだった。強い奴はその横に居てじっと黙っている。私は当時体も大きくバスケットで鍛えていたので、一目おかれていた。大概は喧嘩をせずに済んだが中にはつっかかってくる奴もいた。隣の中学に相当な悪を気取った奴がいて、そいつがよくつっかかってきた。
ある試合でルーズボールになり、思い切り振り回したらその男は体育館の下窓が割れないように拵えてあった鉄の柵に背中を強打した。それ以来つっかかってくることはなくなった。
子供の頃、誰かが訪ねて来た時によく「花パン」を土産にもらった。群馬県内でもここだけとは知らなかった。例えば前橋や高崎の人に聞いてもこの話はチンプンカンプンであると思う。
この街の名物にもうひとつ忠治漬けというものがある。有体に言えばワサビ漬けの代わりに奈良漬が入っている。手土産に購入する人が多かったが味が茫洋として好みではない。
いずれにしても名物に旨いものなしの通り。
花パンはパンというより中身がスカスカのクッキーのようなもので、周りに白い砂糖が塗り固められている。寒い時はよいのだが、暑い夏にはこの砂糖が溶けてどうしようもなくなる。一度袋に入れてあった花パンが全部溶けてくっついてしまい大変な事になった。
片原饅頭をもらうと子供心に嬉しかった。翌日のストーブの上でこんがり焼いた饅頭を想像していたからだ。一方、花パンをもらうとがっかりした。今でもこの花パンはあるのだろうか。私の甘いものへの恐怖心はどうやらこの頃刷り込まれ始めたようだ。
母さんは花パン怖い。これ本当。