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2012年4月6日金曜日

前向きに行動する クレジットカード会社のお話

私の30代は悩みや葛藤の日々だった。飲食店と輸入雑貨の店の経営、家族の事、そして自分自身の事、悩みの無い日などなかった。

そんな中でも腐らずに一生懸命に必死になって前向きに仕事をすすめた。

お店で使うことのできるクレジットカードにはそれぞれの手数料が必要だ。これは当然のことなのだが業種や規模によってその手数料が違うのだ。

それはそれで仕方のない事だが、苦しい経営事情のときにどのカード会社もそんな声にはまるでぬかに釘、それどころか物申すなといわんばかりであった。

そんな中、Dのマークの会社だけが私の話を聞いてくれた。

私の話を丁寧に聞き届けてくれた。そして、出来る限りの協力もしてくれた。

当然、私は捨てる神あれば拾う神ありの心境で嬉しかった。今でも昨日のことのように覚えている。

私がDのマークのカードを愛用するのはそんなエピソードもあったからだ。

それから10数年、犬友のRパパがなんとその会社にいた。

私の話を当時の上司に伝えたら大変喜んだという。

何事も前向きに行動した結果は自分に帰ってくる。逆もまた真なり。

自戒の意味も含めてあのときの感謝の気持ちを伝えたい。

白黒付けたがる日本人

テレビを見ていると「100%安全なのでしょうか?」とか「絶対同じだと言えますか?」と言う風な言葉が耳に飛び込んでくる。

以前も「マスコミの劇場化」とそれを楽しむ国民としてブログにも書いたことがあるが、要するにそうしておいた方がお互いに簡単だからである。

物事にはこの面は白だけど、こちらの面は黒だということがくある。

どちらかだけ取り上げるのは前者であるが、もっと嘆かわしいのは分からないときにその全体をグレーだと言う輩だ。

これが実際にはとても多く、ビジネスで出会う人(その後もお付き合いしている人は別)はこの発想である。

間違ってはいない。でも何にも本質を見抜いていない。

そうしたマクロ的視点も必要だけれど、同時にミクロ的視点も必要だ。

野田総理が田中防衛大臣の更迭をめぐって、彼を擁護するように「無知の知」だと言った。

無知とはソクラテスが定義したように人は知らない事は知らないという本質的テーゼである。

ファーブルは彼のところに来たパスツールがあまりにも何も知らないことを知らないから知ることが出来る。知らないことを知らないという「無知の知」として賞賛した。

知りもしないのに白黒付けたがる我が国民性・・・なんとかならんものだろうか・・・・

大切な大先輩が今新しい抗癌剤の治療を受けている。5年前に肝炎による肝硬変が発見され、治療を受けてきたが今年癌が見つかった。

この手の癌は進行が遅く、幸い転移もなく見つかる小さな癌は塞栓術で対応していたが、今回はそれが出来ず抗癌剤による投薬治療となった訳である。

私はこの人の生き様に影響を受けている。

物凄い財産を持っているのにそれはそれとして勤勉に働き家族を養い、そして友人とも交わる。

当たり前の事かもしれないが、金に目をくらませて何もかも失う人を多く見てきた。だからこそこの人の生き方は尊敬に値する。

私はこうした諸先輩の薫陶を受けながら生きている。感謝、尊敬を忘れてはならない。