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2010年5月28日金曜日

投資信託 為替リスク 国債

先程、お世話になっている某銀行の支店長が来社されました。

投資信託はどうですかと勧められましたが、私は基本的に投資信託は行いません。まあ不動産にしても投資は一切しないことを原則としているのでこれに準じます。そもそもキャッシュフロー経営の大切さを教えてくれたのはここの銀行の人です。ノルマなのでしよう仕方ありませんが、ポリシーなのでおいそれとハイと言うわけにはいきません。

何故、投資信託をしないかというとこの投資信託は「過去・現在」を基準にしているからです。

現実の世の中は見えない将来より、過去と現実を分析して、将来を読み解こうと試みますが、実際の未来はそのとおりにはなりません。

現在の目に見えている経済状況が正しいとは限らないからです。企業レポートだって信憑性は感じません。国だって同様です。国債が安全な訳ではありません。ギリシャが好例です。

為替リスクに至ってはこのギリシャの経済不安は終息するどころか、ユーロ通貨の矛盾点が次々に白日のもとに晒されています。そしてこのユーロが没落すれば、ヨーロッパに製品を輸出している中国は少なからずダメージを受け、その中国に輸出している日本も影響を避けられないでしょう。
国債も変化します。

経済学者はゆるやかなインフレなどと標榜します。しかし、そんなに都合よくいきません。

アルゼンチンにしても、イタリアにしてもダラダラとしたデフレが長い間続き、最後にハイパーインフレが国を襲いました。戦前のワイマールも同様です。


経済とはホップスのいうリヴァイアサンではありませんが、得体の知れないものなのです。実は世界中と繋がっていて、形を変化させ、大きさやスピードまで常態ではありません。

そうです人間の欲に似ています。仮想空間で欲を出そうとして損をしたと訴える人たちがいますが、相手はあなたのその欲に呼び水を掛けただけなのです。

経済を甘く見てはいけません。くれぐれも。

芦田宏直氏 フロー中心の自己

日経BPネットに芦田宏直氏の連載が始まりました。大変面白い記事があったのでご紹介します。
詳細は日経BPネットでご確認ください。私が常日頃感じていた事を綺麗に明確に言い表しています。今後の連載も楽しみです。

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以下日経BPネットの抜粋より

フロー中心の「自己」が肥大化
 現在のハイパーメリトクラシー主義(コミュニケーション能力論、問題発見・解決力、社会人基礎力、人間力など)が改善の見えない教育現場と親和性が高いのは、教育の出来不出来を生徒、学生の個人的な素因に解消できるからだ。自分で「選んだ」科目や進路の出来不出来は自分(生徒・学生本人)にあるというように。教員の教育力は永遠に棚上げにされる傾向になる。
 しかし、そんな重い選択の責任を取れる自己など生徒や学生に存在するわけがない。「学校」教育の受講者(生徒、学生)がいわゆる〈顧客〉ではないのは、彼らが消費者的な主体性以前の学習者だからだ。これから自己を形成する若い世代に、「自己」など存在しない。
 しかしこのような空虚な「自己」主義を不断に強化する装置が携帯電話やITオンライン環境だった。
 現在の40歳以下の(かつての)若者たちは、通信手段の個別化、24時間化を通じて、その反作用のようにして「自己」を獲得していった世代なのである。私はそれをとりあえず「オンライン自己」(の世代)と呼んでおきたい。


 Input(ストック)よりは、output(フロー)中心の「自己」が肥大化している。つまり他者が自分をどう思っているのかばかりが前面化する。「自己」はその反作用でしかない。


 他者が自分をどう思っているのかなどという悩みは、その他者が少数者でしかない場合にのみ可能なこと。携帯電話の着信表示やハイパーリンクの選択的な情報化は、自己拡大の契機と言うよりは、既知なものへの心理的な安定を獲得するためのものでしかない。


 既に知っているものの知識拡大とは奇妙なことだが、自分に肯定的な要素を持ったものだけを過剰に獲得しようとする傾向のことである。逆に言えば否定的な要素は過剰に排除する。非通知の着信には一切反応しないように。つきっぱなし」の個人が前面化している



 現在の40歳以下の(かつての)若者たちは、そうやって自己を形成してきた人たち。言わばコミュニケーション過剰反応症とでも言うものに自己形成を委(ゆだ)ねてきた人たちなのである。土井隆義(筑波大学・社会学)が言うように「『個性』を煽られる子供」時代をすごした大人たちである。

 iモードは、初めて設定操作なしに(その初期には電話番号が自動的にアドレス名になっていた)、インターネットメールを手のひらにもたらした。iPhoneは初めて(実践的に)フルサイトブラウジングを手のひらにもたらした。
 「手のひら」というのは、個人化と24時間化を意味している。いまではベッドの中にまで、そして眠りにつく瞬間まで、そしてまた眠りを妨げるまでにインターネットとメールが個人の生活の中に入り込んでいる。

 そしてiPadはPCそのものを机の上から解放し、パソコンワークそのものをベッドの中にまで拡大しようとしている。そうやって個人の意識は絶えず覚醒を強いられている。「絶えず」というのはまるで電気のようにフロー状態の覚醒を強いられているということだ。


 かつて昭和30年代(前半)以前の人たちは自宅を出るときには、電気メーターを見て自宅を後にした。「つきっぱなし」の電灯が存在していないかの確認のためだった。当時、電流が流れっぱなしの家電など存在していなかったのである。


 電気冷蔵庫が「つきっぱなし」の家電の最初だったが、今ではそれが「サーバー」になっている(私は、IT時代というのは依然として電気の時代の比喩でしかないと思っている)。そうやって個人もますます先鋭化し、「つきっぱなし」の個人が前面化している。個人がフローになっている。対面機能主義(functionalism)=行動主義(behaviorism)、つまり「オンライン自己」論が、現代の自己啓発論、コミュニケーション論の諸前提を形作っている。


 この連載では、「オンライン自己」現象の諸問題とでも言うべきものを扱っていきたい。次回は「iPad現象とは何か」。
(文中敬称略)

並行読書



今この3冊のを並行読書しています。内容が内容なだけに時間は掛ります。

どちらかというと新しい情報は少なく古典の部類ですが、「その過去に知り得たものを確認する作業」にこそ古典を読み返す面白さがそこにはあります。

オーダーメイド医療  横浜市立大医学部付属病院

ヒトゲノムの解析が進み、個人個人にあった医療が望まれ国でもこの「オーダーメイド医療(和製英語ですけど)を推進する動きがあります。

息子の同級生で横浜市立大学の医学部に進学した彼がキャンパスが遠くて、自転車がなければ移動できないと自転車(ママチャリ)を買ったようです。確かに幸浦の離れた場所ですからね。

その横浜市立大学医学部付属病院でも個人個人の細胞の活性に注目したオーダーメイド医療が行われていると聞きました。個人によって細胞の活性化する時間が違うというものです。そう体内時計に注目して治療に役立てる訳です。

時間を的確に把握すれば通常の倍量の抗がん剤を投与出来て、しかもその副作用もほとんどないという効果が表れているようです。もちろん全てではないでしょうが、推進しているようです。

あと10年先にはどんな治療法が確立されるのでしょう期待するところです。

Bruce Hibbard

1980年にリリースされたブルース・ヒバードのアルバム「Never turnig back」持っていました。

彼の歌詞にはやたらと「jesus」とか「God」が出てきます。こういう人をCCM系と呼ぶということを後で知りました。カナディアン。・クリスチャン系の略ということです。

そういえばM先輩も同じようなことを言っていました。


宗教的背景は別として、スームースな80年代のAORです。今日のような天気の日にどうぞ!!!

わからない言葉

大抵のものは調べればなんとか分かります。でも実は調べてみても以前分からない言葉というものも存在します。

裁判所か何かの資料の中に「移転呂磯」と言う言葉がありました。意味としては「移転補償」のようなものだと思うのですが、この「呂磯」が分かりません。調べても出てこないのです。

誰か知っている方がいたら教えて下さい。

建築家 絵画

今お付き合いさせていただいている建築家には後段のような建築家はおりませんが、時折、大先生といわれる人の中にもいたりします。

そうです。自分の建築について、「自ら定義し」「哲学」してしまう建築家です。

私は建築とは絵画に似ているような気がします。そうです。「後になって」「第三者による客観的評価」によって「定義」されるべきものであると。

それを自己によって定義してしまうのはナンセンス極まりないばか者です。

幻影の書」など多くの小説の作者、ポール・オースターがアメリカのラジオ番組で一般の人に多くの物語(短編)を募集したと以前書き記しました。

その日本版が始まるそうなのです。日本での担当は「日本辺境論」でもおなじみの内田樹氏です。

物語は真実でなければならず、嘘はいけません。多くの人の人生がそれぞれ違うように、嘘のような本当の話が実はこの世の中多く存在しているのです。そこがこの面白さです。

建築家も自らの狭量な世界観を人に押し付けるのではなく、多くの世界観を吸収してみては如何でしょう?そうでなければ「先生」は嫌われ者です。


ある若いサラリーマンの会話

ピシッとしたスーツを着ているもののネクタイは寄れ曲がっており、靴もうす汚れたサラリーマン2人の居酒屋での会話

男A 「****課長はいいよな、給料は高いし、家は資産家だって、奥さんも***大の出身だってさ」

男B 「よくあんなブサイクな顔でも結婚できたな、俺はああはなりたくないね」

男A 「ところで部長が載っているレクサス、オヤジの遺産相続で買ったらしいよ」

男B 「親に買ってもらったみたいだよね」「黒ぶちのオヤジの写真なんか入れてたりして」

男A 「いやだね」「おれはああはなりたくない、イイ女と結婚して、良い家に住んで、良い車なんていらないよ」

男B 「ああ俺もイイや」

男2人は止めてあった「******製薬」と大きく字の入ったライトバンで帰って行きました。
オイ、そこの2人飲酒運転じゃないかよ!!!

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あんたら2人はなりたくてもなれませんから、人のことばっかり気にして、自分は何にももってないあんたたちのようなバカサラリーマンが日本をダメにしているのです。
下流社会も仕方ありません。あんたたちには未来はないですから。残念!!!

Dolma ドルマ   ロールキャベツ

フランス料理はどこから伝承されたのか皆さんお分かりですよね。そうです。イタリアです。ローマ帝国時代にこの地に入ってきたものが始まりのようです。

ではローマ(イタリア)料理はどこから?答えはギリシャです。

ギリシャには今でもドルマという料理があります。どういう料理かと言うと、肉を葡萄の葉っぱのようなものに包んで、煮たり、蒸したりしたものです。このことは紀元後230年ころにアテナエウスが書き残してあります。

今日私達が食べているポトフやロールキャベツもこのギリシャのドルマが起源だと思うと不思議です。


完組ホイール 手組ホイール  バランス




ロードバイクのホイールで今やメインは完組ホイールですが、少し前までは手組ホイールでした。
今でも私の気になるエッジホイールは手組みです。

組むとしたら写真のFRMTUNEのハブにサピムのCX-RAYで組めば1キロを切るはずです。

しかし、性能というのはこんな簡単なものではありません。

以前私は日本に正規輸入されていないアウディS6のアバントに乗っていました。そのアバントにスポーテックのロムチューンやフェラーリと同じブレンボブレーキ、サスペンションとホイールの交換をして総額200万以上改造に掛けました。結果、出来あがったものは扱いずらく、気ぜわしいすぐに壊れる代物でした。それ以来、車の改造はしていません。

今のっているBMWもドノーマルです。普通の直列6気筒エンジンです。メーカー側で設定したスポーツ仕様ですが、これが実に気持ちいいんです。高性能モデルにも試乗しましたが、このバランスに惚れ込んでいます。

そうようするに全体のバランスが肝要なのです。どんなに軽量パーツを使っても全体のバランスが悪ければ結果、アバントと同じ結果になります。

ジジイのたわごとではありますが


ガルガンチュアとパンタグリュエル

ガルガンチュアとパンタグリュエルはルネサンス期のラブレーの小説です。

今では日本語訳の書籍もありますが、中世のフランス語でかつ難解な文章により相当な時間と労力が掛ったようです。我々はこうした様々な人たちの膨大な労苦の上にいることを忘れてはいけません。

ところで、この物語は荒唐無稽、奇想天外であることは知るところですが、過去にはこの書籍は非キリスト教的ということで、パリ大学では禁書となったこともあるのです。

もちろん今では非キリスト教的という評価も修正されています。

私はこの物語の中に「恐怖」を感じます。滑稽で、荒唐無稽な物語ほど私には恐怖を感じるのです。そうです。表情の全く変わらない人形の恐ろしさと表現できます。あの人形が何も言わずにまっすぐ歩いてきたときの恐怖です。

作られた恐怖はまだしも、仮面の下に隠された恐怖ほど怖いものはありません。

私は怖がりの大人なのです。