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2012年7月6日金曜日

自由について とある若者との会話から

何気ない会話の中で私が20代後半と思しき若者に「自由とは何だろうね」と私が独り言のようにつぶやいたら、若者はすかさず「決まってるじゃないですか。自分を変えることです」と胸を張って言い返してきた。私は下を向きながら「そうだね」とボソッと答えたが、心の中に遠くの春雷の音がこだましていた。

もちろん若者の答えも正しいと思う。ただ、「自由」とはそんな簡単なものでは無い気もする。

私の祖母は満州からの引き揚げの時に弾丸が顔のすぐ近くをかすめ、命からがらに逃げて来た。その時に祖母はどうか普通の生活が出来るようにと願ったそうだ。

ある雑誌のコラムにフランス人の俳優でもありプロデューサーのピエール・パルーのコラムが載っていた。彼はクロード・ルルーシュ監督の「男と女」にも御亭主役で出演していた。トランディニァンのことは皆さんもご存じだろうが、この人の事は案外知らない。この人の父親や母親はトルコ系ユダヤ人で、それは大変な苦労をしてヨーロッパを遍歴しながら彼らを育てたのである。彼はその父親たちの「自由」と私の「自由」そして娘の「自由」はそれぞれ違い、同じものではないと言っていた。

私も彼の意見に賛同する。そして最後に彼は当たり前の自由は人を不自由にするのではないかと締めくくっていた。

私も含めて生まれながらにして自由が当たり前のようにこの国には存在する。自由が奪われるなどと言う事は微塵もないと考えることもしない。

学校は教える。自由は権利であると。若者が自由を無限大の大きさに解釈し考えるのも無理からぬ話である。

権利の行使できない社会において、自由とは何なのか世界中を見渡せばいくらでもある。そうした国の人に「自分を変える」と言ってもピンとこないだろう。その世界にはその世界の自由がそんざいするのだから。

魚の話





我が家にはこの手の魚の本があと4.5冊はある。中でも東海大学出版会から出ている南日本の沿岸魚を取り上げた魚類図鑑は愛読書である。

なんで魚にそんなに興味があるのかと言えば、生まれ育った家のすぐ後ろに渡良瀬川が流れていて、子供の頃の遊びはもっぱら川遊びだったからかもしれない。

当時の渡良瀬川の水質は悪く、生活用水は垂れ流されていた。そんな汚れた水質でも6月のある一日(特異日)にはハヤ(うぐい)が浅瀬にやって来て一斉に散乱する様や、大雨の後に大きな鯉や亀が浅場に取り残される姿を見ていたので魚に触れる機会が多かったのである。

片や食べる方になると、当時の輸送事情を鑑がみてもわかるように新鮮な海の幸は口に入らなかったのである。刺身と言えばせいぜい、まぐろでそれもとても上等な代物とは言い難いものだった。

東京に出てきて叔父が始めて食べさせてくれた江戸前の寿司の美味しかった事は今でも忘れられない。それほど当時の地方は新鮮な魚がなかったのである。

では川魚はと聞かれれば、確かに清流にはイワナや山女もいたが、いつも遊んでいた川の汚れのせいか、魚を取って食べるという気はしなかった。

魚の中で好きな魚と聞かれれば、私は断然「櫨」である。私の大先輩にして私の釣りの師匠でもあり、ハゼの美味しさを教えてくれたKさんに感謝申し上げたい。こんなに美味しい魚がこんな近くにいることを教えてくれたのだ。

ハゼはまず天麩羅、これも最初は塩で食すのが良い。そして大きめが釣れたなら刺身にする。透明な身はやわらかく、臭みもなく最高の食感である。旬のハゼならうっすらと醤油に油が浮くはずだ。また、肝も良い。胆を醤油にまぶして刺身を戴けば、カワハギのそれより高尚でオツな味がすること請け合いである。

ハゼに近い味がするものに、ねずみごちがいる。通称、ネズッポ。ぬめぬめしているのでヌメリゴチともいうが味はハゼに劣る。

魚と言うのは獲れる場所や時期によっても美味しさが違う。ブランドになった関アジもそうであるように、鎌倉周辺でも特に腰越で捕れるアジは最高である。どうも海底の地形や潮流にも関係するらしい。

このところ不漁続きのシラスがやっと獲れるようになってきたと聞く。3月の漁が始まってから3カ月不漁が続いた。このシラスも獲れる場所によって味が異なる。太平洋沿岸では色々な場所でこのシラスは獲れるようだが、私の経験則によれば材木座のシラスは抜群である。もっとも、料理屋や魚屋に並ぶものでは駄目だ。シラス漁師のところに直接買いに出掛け、今取れたばかりの物を買うのである。

買ってきたらとにかく冷たい流水で良く洗う。雑菌を繁殖させないためだ。そして出来る限り早く食す。

生姜醤油の定番以外にも、胡麻油と卵であえて熱いご飯にかければ至福の一杯の出来あがりである。考えていたら朝から無性に食べたくなった。お腹がギュゥーと音がしはじめたのでお仕舞いにしよう。