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2013年1月24日木曜日

甘鯛の酒焼き お雑煮 京都 なかむら


甘鯛の酒焼き お雑煮 京都 なかむら

この店は言わずと知れた名店である。様々なガイド本にも紹介され、星さえ付いていたと記憶する。私は星には全くもって無関心なのであるが。まあそれはさておき、この店のルーツは魚屋である。若狭湾で取れたぐじ(甘鯛)を馴染みの料亭に卸していたと言う。それがいつしか仕出し屋をやるようになり、最後は料亭となったようだ。
この店の名物はなんと言っても一子相伝で受け継がれるこのぐじの酒焼きである。ここで
甘鯛について補足しておく。読んで字のごとく身が柔らかく仄かな甘みを感じる美味しい魚であるが、日本近海には4種類ほどあるらしい。その中でもアカとシロが主に食用とされるわけであるが漁獲量はアカが多く、味となるとシロに軍配が上がる。
この魚は鱗が柔らかくその鱗も食べることが出来る。つまり身が柔らかいのだ。この手の魚は新鮮か新鮮でないか直ぐわかる。時間がたつと魚にぬめりが出てくるからだ。
ここで使われている甘鯛はもちろん極上のものである。新鮮さもさることながら大きさが丁度いい。魚と言うのは大きさによって味が違う事はご存知であろうか。例えば10キロと4キロの鰤とでは味が全く違うのだ。ここの魚はこの手の料理法として最適な大きさという意味である。ゆっくりと時間を掛けて焼きあげられるのだろう。表面の皮が美味しい。
香ばしくて海の豊饒さを一気に口の中に感じさせてくる。そして身を綺麗に食べ終えたらその骨にお湯を掛けて戴く。骨と骨の間にある旨みが広がり素晴らしいスープになるのだ。
そしてもうひとつこの店の名物料理が雑煮である。京風の雑煮は白みそ仕立てが定番であるが、店により麩を使うところと丸餅を使うところがある。ここは丸餅だった。
ここの雑煮は一切出汁を使わないのだ。ただ自分の家で湧き出る水を使い、白みそだけで味付けする。究極の料理法である。ワインを嗜むご仁ならテロワールという言葉を聞いたことがあると思うが、まさにそれである。京都は至る所に湧水がある。しかし、それぞれの場所で味が異なるのだ。これはワインの土壌と似ている。そういえばぐじの焼き方もじっくり時間を掛けて火入れするそれはフランス料理の手法にもあったような気がした。
もっとも懐石料理に慣れていない私達は運ばれる料理をあっという間に完食し、次の料理が運ばれるまで長い合間を持て余していたのが一番印象的であったと告白する。





鯊釣り


鯊釣り

子供のころにはよく釣りをした。もっとも家のすぐ裏手に川が流れていて竿をもってちょつと出掛ければ済むような塩梅だった。近くに釣り具店はあったが餌のみみずを購入した事はなかった。その裏手の川で釣れる魚は「ハヤ」だった。東京ではこれを鯎(うぐい)というらしい。婚姻色になるとお腹にオレンジの縞模様が顕れる。もっともこのハヤを釣り竿で釣るようになったのはずっと大人になってからだった。小学生の頃は、半ズボンにシャツを捲りあげて両手を石の穴に突っ込み、むんずとつかみ取る。時折、ギギという毒の背びれをもった魚をつかんだ時にはひどい痛みと腫れに悩まされた。
鯊釣りをするようになったのはKさんの誘いだった。一昔前まで鯊は江戸前の海には沢山いて、庶民の台所を楽しませた。ところが江戸前の天麩羅の鯊は姿を消し、キスにとってかわられた。時折、ねずっぽという風体の悪い魚が供されるがあれはネズミゴチという別の魚である。もっともキスよりこちらの方が美味しいと私は思うが。
鯊釣りにはのべ竿がいい。リールなんていらない。水深に応じて2.3本用意するが出来れば鯊の感触が手に伝わるような柔らかく鋭敏な竿がよい。それにジャリメをちょんと引っかけて鯊の鼻先に垂らすのだ。鯊が小さい時にはイソメでは食べない。このジャリメの方が断然食いが良い。鯊は実は多種多様な魚である。先の陛下が研究されていたように日本近海だけでも相当の種類が確認されている。
小坪の港で釣り糸を垂らすと、真鯊は滅多に釣れない。替わりに岩鯊といわれる少し薄い色のこぶりの鯊が釣れる。真鯊には負けるが天麩羅にするとこれも上手い。
秋谷海岸で釣り糸を垂らした時には、鯊の代わりに黄色と黒の縞模様のはっきりした、キヌバリという魚が釣れた。あのときはバケツいっぱいほど釣れたが、その色から食べられそうもないので全て海に戻した。
鯊で一番美味しいところは、実は肝である。夏場に餌を十分に蓄えて大きくなった鯊の肝ほど美味しいものはない。そのさっぱりとした味わいに醤油をまぶして淡泊な鯊の身を戴く、最高のぜいたくである。カワハギより上品かつ貴重であると偏見を交えて申し上げる。


PM 6:50



 美佐子の息子は浩一郎の息子の勧めもあって塾に通い始めた。もともと成績は悪くなかったので試しにテストを受けさせてみたらかなりの高得点をとりそのまま特待生となった。特待生は授業料が掛らない。美佐子にとってはありがたかった。

 それと同時に息子へのいじめは影を潜めた。一緒の塾に通うTやHが息子をかばうようになったのだ。庇うようになったといより、むしろ今までいじめていた方といじめられていた立場は逆転した。
 息子は大きいお兄ちゃんとの約束を守っていた。「もし友達が出来て、相手より優位な立場になったとしても、仕返しをしてはならない。そうすることがいじめには一番良くないことだから。それをいじめの連鎖という。君はいじめている子になってはいけないから。そう、いじめの連鎖は断ち切らなくてはならない」

 息子の顔が前より柔和になった。そして何より勉強という集中できるものがあることで、精神的に一回り大きくなったような気がした。今までは読まなかった新聞も目を通すようになった。
 どうして難しい漢字が読めるようになったのか不思議な思いで見ていると、分からない漢字を辞書で一生懸命に調べていた。分からない事はそのままにしない。自分で調べるといった事を実践しているようだった。浩一郎の息子から貰った辞書の一番最後のページに息子の名前が書いてあった。そしてその横に「君なら出来る」と書かれていた。美佐子嬉しくて目頭が熱くなった。