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2013年4月2日火曜日

天衣無縫 弊衣脱帽


天衣無縫 弊衣脱帽

28年前娘が生まれた時にこの二つの言葉が浮かんだ。「天衣無縫」はちょうどその数日前に見たイッセイミヤケのファッションショーがこの言葉を使っていたからだと思うがそのあたりの記憶は曖昧である。あのころ、お洒落とは無縁の私がファッションの仕事をしていた。といっても服を作ったり、売ったりするのではない。そうしたテナントさんとお話をする仕事である。そんな訳でショーの招待状をもらう事も多かった。

地方都市は都会とは別の仕組みがある事が分かった。東京に本部をおく多くのメーカーは中々地方まで目が届かない、さりとて売りたい。と言う事でメーカーの販売を代行する会社が生まれてくる。これがいわば販売代行という仕組みだった。今のようにネットにつなげば世界中の情報が手に入る時代ではなかったから、ファッションに興味のある人はこうした販売代行業者の特定の人(マヌカン)から情報を手に入れていた。

地方では縦社会が強い。高校を卒業しても先輩には頭が上がらない。ある販売代行はその事を利用して、未成年の後輩に大量の洋服を売って問題になった事もあった。
大人になって分別も持ち合わせオシャレをするむきはよいのだが、自分の給料の何倍も洋服にお金を掛け、挙句の果てに他から用立ててもらってまで購入する人を見ると、とても寂しい気持がした。そんな人を見ていたからかもしれない、人は表面ではない中身だと強く感じていたのだろう。

考えてみると私達の高校から大学への時代は屈折している。数年前まで青春の語り草のように喧伝していた学生運動はすっかり姿を消し、世の中泰平ムードだった。思想的な議論などあほくさいとばかり出来るだけ表面的な事に徹した。しかしそれをすればするほど青年の押しつぶされた反骨精神と情熱はアマルガムのように一切の物を溶かして、そのルサンチマンの炎は湖底に沈められ積み重なっていった。

その後、娘はどうだったのだろう。体力的な問題に突き当たり初めての夢を諦めた時の悲しさ、出来る弟との心の中の確執、親は平等に扱っているつもりでも彼女の心は穏やかではなかったろう。そして社会に出て数年が経過し結婚した。
今度は彼女の番である。親業と言うのは何ともやっかいな代物である。親である自分を投影し、こうせい、ああせいというのはご法度である。やってもいいが、必ず失敗する。

子供が自発的に成長するのを待つしかないのだ。

もう数日で娘に子供が生まれる。彼女も同時に母親になるわけだ。恐らくその時初めて妻の気持ちを知るだろう。これほどまでに慈しみ愛しいものはないと知るはずだ。そしてそれからが大変でもあり楽しくもある人生のスタートになるから。

孫に言葉を掛けるとしたら、娘に掛けたときと変わらない。しなやかで強い人間になってほしい。独りよがりでは駄目だ。打たれても、打たれても立ちあがるしぶとさと優しさが欲しい。そう勁草の如く。「疾風に勁草を知る」の例え。世の中疾風だらけだからね。