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2010年3月3日水曜日

岩田規久男先生 マクロ経済学 

この本の著者こと岩田規久男先生の授業を受けたことがあります。まだ助教授だったころです。

その頃の母校にはレッドパージを逃れて大量の優秀な教授陣が東大より移り住んでいたのか、はたまた生え抜きの先生との軋轢があったのか定かではありませんが、優秀な先生が多かったと記憶しています。

岩田先生は小宮隆太郎氏の弟子でもあり、その後師が日銀との間で起こしたインフレーション論争の延長ともとれる、日銀との「マネーサプライ論争」を始めるのです。

簡単に説明すれば岩田氏の主張はこうです。

ハイパワードマネー×信用乗数(貨幣乗数)=マネーサプライ

左辺から右辺の因果関係があり、かつ信用乗数は比較的安定しているから、日銀がハイパワードマネーを増やせばマネーサプライは増える。

一方日銀は所要準備の後積みを行っているという理論から、ハイパワードマネー×信用乗数(貨幣乗数)=マネーサプライという公式において信用乗数には乗数の意味はなく、マネーサプライとハイパワードマネーとの事後的な比率に過ぎないとしたものでした。

結果はこの乗数が低下し続けたことで先の主張は崩れた訳です。

先生は今は母校を離れて学習院大学で教鞭を振るっているようです。

そんな背景を思い出しながらの1冊でした。

就活  面接のヒント

元人事部新卒採用を経験したものとして(笑)ひとつ就職活動中の皆さまにアドヴァイス申し上げます。

私の経験から受かる人は受かるのです。単に成績ということではなく、例え成績はそれほどでなくても3社も4社も受かるのです。

逆に受からない人はどの会社も受からないのです。

まず、紋切り型の質問に紋切り型で答えることはご法度です。「弊社の何に興味があって応募されたのですか」というよくある質問に、「御社の堅実で将来性を」などと答えたら即NGです。

だって社長だって分からないのに、将来性って何ですか?と言いたくなります。

受かる人は自分の輝いている部分を見せています。自分の趣味や人から「ヘェー」といわれることを話します。

面接者はこの短い質問のやり取りの中でどんものがその人に詰まっているのか探りだそとするわけです。

という私ももちろん就職活動している20代の頃には何もできず無知の塊でした。

その時の某レコード会社の人事部長に「君は演歌が向いている。演歌は年上に気に入られなければならない。君は向いているよ」と言われたことがあります。洋楽希望していたので驚きでした。

しかし今になって私の顧客はみんな年上だったです(過去形ですが 笑)

若い頃、自分はこうなんだと決めつけめ傾向があります。しかし、傍からはそうでない場合も多くあるのです。

テレビで活躍してる藤巻兄弟社の弟こと藤巻幸夫氏が同窓と書いたことがありましたが、彼も番組の中で伊勢丹に入社したての頃、「配属された先は小さなコーナーで彼の意図するものではなかったけれど、彼はその中でひとつひとつ積み重ねながら手本となる人物に出会えた」と言っていました。その後の活躍は既知の通りです。

極端に言ってしまえば、どんな業種かとかどんな会社かとかは関係ありません。誰と一緒に仕事をしたいのか、誰と出会えるのかということが大切です。

客家の諺にこんなものがあります。「幸せは人が運んでくる。また人が幸せを持って行ってしまう。」

新たな会社でみなさんのような若い人の「シャペロン」になる人を是非見つけてください。

シャペロンとは「若い女性が社交界にデビューするときにこれを手伝う人」です。

これをもじって生物学では「たんぱく質が正常な機能・構造を獲得するときに手伝うたんぱく質の名称」として使用されます。こんなネーミングが出来る生物学者は中々ユーモアを持っていると推察されますぞ。

就職活動中の若人の一助にでもなればと・・・・・・・・・・・・

日米安全保障条約  経済摩擦

Sパパが「村田良平回顧録 上下巻 ミネルヴァ書房」を読んで「日米安保とはそうだったのか」と膝を打ったと申しておりました。アメリカという国とどっぷり相撲を取ってきたSパパならではの所感です。
早速、購入して昨日一読しました。上下巻であり、幼年期から三高、京大、外務省へ入省したての頃までは自分史的な内容でありますが、その後外務官僚として政治の中枢に仕えながら、徐々に心境変化して行った様子は大変興味深いものです。

村田氏は日米同盟は本来敗戦によって押し付けられた屈辱的な条約であり、現在の日米関係は「良識を超えた特殊関係」であると言っています。日本は独立国としての自尊心を譲るべきでなく、「私は憲法改正を実現し、その上で全基地を対象として米国と再交渉し、二十一世紀にふさわしい新しい安全保障条約と、これに内容的にふさわしい地位協定を締結し直すべきであると思っている」と言って、思いやり予算などには真っ向から反対の意向を表明しています。


彼は当初からこれほどまでの反米意識を持っていたのでしょうか?私にはそうは思えません。
この回想録の一文「しかし私のかかる日米安保体制との間の心理的葛藤は、当初は大きいものでなかった」「全世界的な情勢を見れば、現在でも日米間の利害は一致している部分が殆んどである」とも言っています。
では何が彼をそこまで反米的にさせたのか?それは冷戦終結前後の日米経済摩擦ではないのでしょうか。冷戦の終結はいうなればパラダイムの変化だった訳です。さらにそのパラダイムの変化と同時に日本の経済力が高まり、アメリカに影響を及ぼすようになったとたんパタンと裏返ったのです。立ち位置が変化すれば物の見方も変わります。パラダイムシフトにより必要なくなってしまったということなのです。

彼が駐米大使の時代は出世街道を上り詰めてきた村田氏にとって、唯一の憂鬱な時期だったとも思われます。そんなことも彼の論調に出ています。

一部の論客の中にはあのような経済摩擦はもうないだろうという人もいます。

そうでしょうか、牛肉の問題のようにマスとして対抗するやり方ではありませんが、今度は個別に無理難題を突き付けてきます。今のトヨタ問題が良い例です。

いずれにせよ、戦前の政治や外交の表舞台を踏んだ稀有な回顧録で、大いに参考にせねばなりません。

韓国やドイツに簡単に大規模プロジェクトを取られているどこかの国の政治家は、経済と政治について、いやその関わりについて勉強せねばなりません。

最低でもあと数回読み返す必要のある本だと思います。

犬のお守り  江北氷川神社

病も気からといいます。私が仏門に帰依していたり、敬虔なカトリック教徒という訳ではありませんが、やはり一緒に暮らしている犬が病気になったりすると何とかしてやりたいと思うものです。

以前、ボーダーコリーのメルちゃんは後ろ足が全く立てなくなってしまいました。まだそんな歳ではありません。獣医さんに見せても中々方法はありませんでした。

江北氷川神社のお守りが病気によいと聞いたので車で四つ木まで行き購入したことがあります。

その後、針治療を行うなど懸命な努力もあり今では走れるようにまで回復しました。

みなさん、知り合いや自分の犬におひとつ如何ですか?

SADE "Soldier of love"

http://www.youtube.com/watch?v=JbB1eI5WlEg

SADEの前作「ラバーズロック」以来の10年ぶりとなるニューアルバムが本日発売されました。

このSADEも当時のエアチェック少年の常連でしたが、彼女は全く変わっていません。美人です。

彼女は私と同じ年なんでよ!びっくりです。ナイジェリアよりイギリスに移り住んでいます。

民放ラジオの日

今日3月3日は民放ラジオの日だそうです。33で耳なのかしらん?真偽は定かではありません・・・

ところで皆さんのラジオデビューはいつですかという質問をナビゲーターが聞いていました。

私がラジオのヘビーユーザーになったのは旺文社のラジオ講座です。考えてみると大学受験で駿台の夏期講習に一夏は通ったものの定期的な塾には行っていませんでした。塾もないし、経済的にも無理でした。唯一、このラジオ講座(ラ講)が都会とを結ぶ架け橋でした。残念ながら95年には打ち切りになったようです。

続いては大学1年の頃にはまりだしたエアチェックです。NHKのクロスオーバーイレブンはヘッドホンをしながら布団に入り、絶妙のタイミングでテープのRECボタンを押すべく準備していたのを思い出します。

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今でも車内ではラジオをつけることがあります。ただ、どの放送局もパーソナリティがしゃべりすぎで音楽を中心に流す番組が少なくなったような気がします。Jーwaveでやっているワイキキにあるスタジオから生放送しているプリーズ・オブ・ハワイはハワイの雰囲気が伝わってくるので好きな番組の一つです。

桃の節句 ちらし寿司



我が家では毎年3月3日桃の節句には妻がちらし寿司を作ります。

雛人形は出さないと婚期が遅れるということで毎年出していませんが???????

ちらし寿司といってもお世話になっている方、会社のスタッフ、親戚と何升のお米を使ったのか分からないほどの量です。昨日も徹夜で作ってくれたようです。

一度、手抜きをしたら息子に「今年は味が違う?」と言われてからは、元に戻しました。シンプルな料理ほど手抜きをすると味に違いが出ます。

言っておきますが私の妻は家事をしないわけではありません。ただ、大らかな性格のため時々ドジを踏むことはありますが、このちらし寿司のように一つでも子供たちに「味の記憶」を残したいと彼女なりに奮闘しています。私の料理はあくまで趣味なのです。

ということで急遽お弁当を持っていく息子にももう少し小ぶりのお重でこのちらし寿司をつめました。

我が家の「味の記憶」に間違いありません。