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2014年1月22日水曜日

技術の時代

昨日テレビでビットコインの特集をしていた。この通貨(通貨と呼べるかどうかは別として)を誰がどうして作ったのかは不明のようであるが、経済危機の叫ばれるヨーロッパ、特にキプロスやギリシャで国民が自己防衛の一手段として活用したことが爆発的に広がりを見せるきっかけとなったことは、その後の投機的価格乱高下と比しても皮肉である。
そもそもEUは自由貿易という錦の御旗によって経済格差のある国を同一通貨のユーロとして統合したわけである。つまり国というユニットを解体し、全体を集合体としてユーロ圏全体の経済、通貨を一極で管理し始めた訳である。ところが各国の中央集権的国家体制は一向に変わらぬまま、この並列的制度に飛びついたわけだから歪が生じる。経済力がなければ国家としてデフォルトの危険性が生じ、全体通貨ユーロの信用も揺らぐ。そこで主軸国はこれらの弱小国に圧力を与え、国民の預金封鎖や圧縮を国民に迫った訳である。
そこで窮した国民は国の中央銀行よりビットコインを信用し始めた訳である。発端はそのような欧州の通貨事情と政治力だったのかもしれないが、その後、中国を始め世界中の溢れかえった投資マネーも黙ってはいない。結果、みるみるうちにビットコインの価格が急騰した。
インド、タイ、中国を始めビットコインを禁止している国もあれば、ドイツのように課税目的で容認している国もある。アメリカも警告は鳴らしているが禁止はしていない。もちろん日本ではまだ検討中である。何故なら条文が書けない。

そもそもビットコインは一般の中央銀行の管理する通貨と違って、発行する額面は決まっている。その点が他の貨幣との一番の違いである。つまり貨幣の統制を誰も行えないということである。完全な自由主義経済について議論のわかれるところであろうが、つまりは信用力となる基盤も実体も何もない、仮想の貨幣なわけである。アメリカの言うように完全なる自己リスクは当然といえば当然の話しだ。

今から25年ほど前にこんな本を書いていた人がいる。私が「縦社会の人間力学」の講義を受けていた頃だと思う。初めて読んだのはそのずっと後になるが、今考えても筆者の論点は面白い。
日本、しいては世界全体を簡単に区分けしてしまう簡便なきらいがあるが、そのどちらも大きく分けて宗教の時代、国家(政治)の時代、経済の時代という過程を経ているというのだ。そして、最終的には「技術の時代」になると将来を予測していた。
私はこのビットコインを聞いた時にこの本の事を思い出した。ある一部の優秀なプログラマーが遊びのために作ったものが、インターネットを介して爆発的に広がりを見せる。まさにパンデミックのように。そして国家はこの片鱗さえ分析理解できない。ビットコインがブラックマネーに流れているとしてもその仕組とフローはまるで理解できないから、制裁を与えたくても出来ない。私たちは授業で資本主義と社会主義という、NATO対コメコンというような政治図式を習ったが、もうとっくにこの境界はなくなってしまった。さらに前述したようにヨーロッパは統合され統一通貨を導入した。ドルや円の価値は、人民元に比べて低下している。そして日本は膨大な累積赤字の後ろにデフォルトの背後霊が付いている。
日本もアメリカも今のような脳天気な事を言っていられるのはいつまでだろう。ビットコインに求心したキプロスやギリシャの国民と何ら変わらないのに。