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2010年5月12日水曜日

Reincarnation 既知夢


私はよく夢を見ます。かなりしっかりと内容を覚えています。

しかしそれとは別にふと「ここいったことがある」「こんな経験をしたからこんなことしちゃだめ」と感じることがしばしばあります。

こういった現象をReincarnatioとか既知夢とかいうそうです。

昨日も解剖実習をやっている息子が人間の鳩尾あたりで胴体を切った絵をスケッチしていたことが頭にあったからでしようか、夢の中でリアルな胴体が現れました。脊柱筋はそれなりに厚さを持っていました(わからないですよね)でもこういう理解できる夢はいいのです。


先日も都内の某所を訪れたとき、一度も行ったことがないのに町の風景を知っているのです。

この先に薬屋があって、その角をまがると焼き肉屋があると予感してしまうのです。

これは嫌な感じです。で本当にあったかって?    それはご想像にお任せします。

普天間問題を考える

普天間問題で迷走中と言われている鳩山政権ですが、多くのアメリカ人の知識層と呼ばれているはどう考えているのでしょう。

ダイヤモンドオンラインに面白い記事がありました。ご紹介します。


―鳩山政権は普天間問題で窮地に立たされているが、これまでの日米両政府の対応をどう見るか

 まったく悲劇的だ。両政府は1995年の米兵少女暴行事件以来ずっと交渉を続けてきたが、いまだに解決していない。実を言えば、米国には普天間飛行場は必要なく、無条件で閉鎖すべきだ。在日米軍はすでに嘉手納、岩国、横須賀など広大な基地を多く持ち、これで十分である。


 そもそもこの問題は少女暴行事件の後、日本の橋本首相(当時)がクリントン大統領(当時)に「普天間基地をなんとかしてほしい」ということで始まった。この時、橋本首相は普天間飛行場の移設ではなく、無条件の基地閉鎖を求めるべきだったと思う。

―普天間を閉鎖し、代替施設もつくらないとすれば海兵隊ヘリ部隊の訓練はどうするのか。

 それは余った広大な敷地をもつ嘉手納基地でもできるし、あるいは米国内の施設で行うことも可能だ。少なくとも地元住民の強い反対を押し切ってまでして代替施設をつくる必要はない。このような傲慢さが世界で嫌われる原因になっていることを米国は認識すべきである。

 沖縄では少女暴行事件の後も米兵による犯罪が繰り返されているが、米国はこの問題に本気で取り組もうとしていない。日本の政府や国民はなぜそれを容認し、米国側に寛大な態度を取り続けているのか理解できない。おそらく日本にとってもそれが最も簡単な方法だと考えているからであろう。


憂国の雨です。

月9  気になる女優 イン・チーリン


月曜9時、月9のドラマが始まりました。月に土地を持っている私としては月は大好きです。

キムタク主演のこのドラマいつもなら、興味の範疇外というところですが、台湾の女優イン・チーリンさんが出ているというのです。

このイン・チーリンさんかねてよりその抜群のプロポーションはもとより、演技も評価され数々の映画やドラマに出演しています。

日本のドラマ制作者の多くは、アジア人の女性の登用に消極的だと聞いていたので、個人的には喝采を送りたい気持ちです。

それにして座ると座高は他の出演者とそうかわらないのに、立つと20センチ近く身長が高く、膝の位置が誰よりも高いのには驚きました。神はこんな風に人間を作ることも出来るのかと感心しきりです。

ただ、このドラマの内容が私の知るところのインテリアメーカーの若き社長とあまりにそっくりなので驚いています。当然、架空の物語でしょうが、あまりに似ています。

そのマサト似の社長のメーカーはどうなったかって?ドラマの中でリムジンに乗って商売している訳ですから、追って知るべしです。ハイ!

学びの必要性  レビィ・ストロース


私が高校生の頃、数学の教師に「何故学ぶ必要があるのか」と問うたことがある。

しかし、教師は何も答えなかった。当然私は数学への意欲はなくなり勉強しなくなった。

今、私に同じ問いがかけられたなら、私はこう答える。

それはね「合切袋」に入れる行為だからさと。

レビイ・ストロースは著書「野生の思考」の中で、マトグロッソのインディオたちが、「プリコルール」という行為を行っていると書いている。

ジャングルを歩く彼らは、当然持ち歩けるものの量も決まってくる。彼らは「合切袋」にこれが必要だと直感するものを入れて移動する。木の端の場合もあれば、葉っぱの場合もある。いつ役に立つか分からないが、いずれ役に立ちそうだと思って入れていく。これが「プリコルール」

教育の必要性とはいわばこんなものだと思う。

いつ役に立つか分からないものを入れていく本能的行為である。

カラビヤウ多面体を知っているからといって、セントラルドグマを知ってるからと言っていつ役に立つか分からない。

しかしね、教育とはこんなものだと思う。

勉強すればするほど頭がよくなるというのは嘘です。ある一定の閾値を超えれば効率性は極端に悪くなる、それが勉強です。何だってそうです。一番上限のほんの少しの違いには莫大な労力と費用が掛るものです。

あのときの数学の教師にレビィ・ストロースを読む「プリコルール」を知っていればもしかして私も数学が好きになっていたかもしれません。

そのような質問が予想される世の若いお父さん、お母さん、みすず書房より上記書発刊されています。買ってご一読ご理解あれ。